別視点23 知らぬは本人ばかり(ディルナン視点)
初めての場所と仕事で疲れていた上に、風呂場で長湯をさせた所為でユーリはぐっすりと良く眠っている。
ユーリが書類部隊へ出勤した後、厨房ではユーリを心配する声ばかりが上がっていた。
だが昼に顔に傷を作って食堂に来たのには驚いたが元気そうなユーリに安心し、ぬいぐるみと昼寝をするユーリの可愛さでデレデレだった。それはやがて一日の報告を聞く楽しみに変わった。
ぬいぐるみを連れて帰って来た時には本気でユーリがどっかにかっ攫われるか、北の魔王城内で犯罪者が出るんじゃないかと思ったが。
何だかんだで元気に楽しく一日を過ごした様だ。
「良い子で寝てろよ」
暫くユーリの様子を見てから掛け布団を掛け直し、部屋を出る。
その足で向かったのは、一階にある小会議室。
中に入るとそこには書類部隊のエリエスとマルスを筆頭に農作部隊のジーン、騎獣部隊のヤハルとツェン、医療部隊のヴィンセント、情報部隊のヴァス、鍛冶部隊のジョットとカラフ、設備部隊のヤエトが揃っていた。人数がそれなりにいる所為か、元々が小さい会議室とはいえ妙に狭く感じる。
「…で? 呼び出しの理由とこの顔ぶれは何だ」
この場に召集を掛けた張本人であるエリエスに問い掛けると、無言で着席を促される。
書類部隊にユーリを迎えに行った際、ユーリの目が無い隙に唇の動きだけで時間と場所を指定してきたのはエリエスだ。
大人しく手近な空いている椅子に座ると、エリエスが口を開く。
「呼び出しの理由は勿論ユーリです。ここにいるのは今日ユーリに関わった面々ですから」
「…本人から幾らか話は聞いた。色々やらかしたらしいな」
「貴方が思っている以上に。情報共有とロイスへの報告の為に集まって頂きました」
「!」
エリエスの言葉に、思わず片眉が跳ね上がった。
ロイスに報告だの集まっている面々だのを考えると、どうやら想像以上に事態は面倒な事になっていそうだ。
「ユーリからどこまで聞きましたか?」
「朝一の試験で満点取った、その後に散歩して二階で絨毯を堪能、エリエスとマルスに色々聞きながら歩いて畑でジーンに遭遇して美味いトゥートを貰う、獣舎でフィリウスとエディットに会った後にレツの脱走騒動、医務室でヴィンセントに消毒と説教少し、昼寝したらぬいぐるみが出現、トイレに行って迷子になってヴァスに助けられる、書類部隊で計算の初仕事」
「成程。見事に一日の流れだけで終わっている辺り、ユーリ本人は自分のした事がどれだけとんでもないか自覚がないのですね」
「一体何をした?」
溜息交じりのエリエスに、腹を決めて問い掛ける。
「朝一の試験は普通に入隊試験で使われているモノで、それを制限時間内で満点を叩き出しています。まぁコレは食堂でカラフと話していたから知っているでしょうが。二階では知られていない高度な知識を何でもない事の様に出しています。そこでロイスに遭遇、絨毯を堪能したのは確かですがその一方でロイスの本質をアッサリ見抜いてきました。これに関してはジーンも聞いていますし、ジーンも一つ気になる情報を出していました。騎獣部隊では実は複数の怪我人まで出していたレツの脱走騒動を解決しています。また、散歩中にいくつかユーリの置かれていた環境を示す状況が明らかになりました。それとヴィンセントは…お腹の虫と上目遣いに珍しく負けてましたね。ぬいぐるみを抱っこして昼寝する姿は実に可愛らしかったです。迷子は幾つか問題があったのでお説教しておきましたが、ヴァスと遭遇したのは好機でした。仕事に関しては問題無し、寧ろ即戦力として期待出来ます」
「………省き過ぎだろ、色々と」
サラリとエリエスに追加説明された内容に、思わず溜息と共にボヤキが零れた。何だそれは。
しかも、途中とんでもないモンが混ざってたぞ?
「試験とレツの脱走と仕事はまぁ、まだ良い。迷子は…次は間違いなくオレの説教だが、今回はエリエスとヴィンセントに説教食らったらしいから目を瞑る。
だが高度な知識? ロイスの本質を見抜いただと?? 何の冗談だ」
「その辺りを貴方にも聞いて貰わねばならないからこうして集合を掛けたのではないですか」
エリエスの言葉に、全員が改めて聞く姿勢を取る。
「今回話すべきなのは、この後のロイスへの報告事項を中心にユーリの素性調査の為の情報交換です。
まずは今日一緒に歩いた私とマルスから気付いた点をいくつか挙げます。補足点があったら追加していって下さい」
『了解』
これまでに分かっているのは、ユーリが東領で命を狙われている稀有な中性体である事。
それを述べた上で今日新たに判明した情報をエリエスが挙げると、徐々に室内の面々の表情が真剣さをましていく。その一方で、マルスが内容を紙に残していた。
二階でエリエスが少し零した城の構造の話で、ユーリが漏らした”マジックミラー”と言う初めて聞く技術。恐らく、その話をロイスも聞いているであろうと言う時点でユーリはロイスに目を付けられるに十分な事を仕出かしている。
更にそこでユーリから原理の一部を聞いたらしいジョットとヤエトが技術者として「今の北の魔王城にある技術では”マジックミラー”を直ぐに作製する事は不可能」とまで評価を下せば、どこでその知識を得たのかと言う話になる。
エリエスの見解としては、ユーリはまさしく『籠の鳥』と呼ぶに相応しい反応を示していたらしい。
普通に生活していれば当り前に目にする動植物を知らないのに、オンマは知っている不自然。文字を、計算を一般的な大人レベルかそれ以上を理解する異常な知能。
それだけでも問題だと言うのに、エリエスの人物評価でマルスを爆笑させたらしい――それはそれで驚異的な出来事だが――ユーリの人物評価を面白がってジーンがロイスの評価を聞けば「怖い、魔王様絶対主義者」とはっきり言い切っただと?
これをロイスに報告しなければならないと来た。頭痛がする。
更にジーンが齎した情報。ユーリが北の魔王城に来た頃から作物が異常豊作と来た。これは単なる偶然かもしれないが、偶然と言うには余りにも無理があるらしい。
ヤハルがそれに便乗して魔獣に好かれやすい体質らしい事も報告に上げれば、レツの実例があるだけに否定出来なかった。更にはエリエスの騎獣であるフィリウスにまで初見で好かれたらしい。
これ等については詳しい調査が必要だから詳細が判明するまでに時間が掛かりそうだが。
トドメはヴァスだ。
「ユーリは、何も知らない。覚えていない。それは確か。
―――…でも魔術が反応した。恐らく、何かしらの封印魔術がユーリに、掛けられている」
「ヴァスの探査魔術が歯が立たなかったのですか?」
「間違いなく、シェリファスレベル。若しくは、それ以上の魔術師が封じている」
流石は情報部隊隊長と言うべきか。
迷子だったユーリを回収した際、聞き取りと一緒に間者が使う様な魔術を使っていないか探査魔術を掛けていたらしい。
ヴァスの情報収集能力は北の魔王城一であり、東西南北の四領どこに出しても間違いなくトップクラスだと言う定評がある。
そのヴァスが探査しきれない魔術となると、間違い無く魔導部隊隊長であるシェリファスの管轄へと移る。コレは半ば決定事項だ。
だがもし、シェリファスの手に負えないレベルだったら?
「マジか。東の大人達はあのちまっこいのにどんだけの重荷を背負わせてんだよ」
「ロイスの反応が予測しきれねぇよ」
「こうなるとまずはシェリファスにも依頼しねぇとマズイだろ」
ユーリは、一体何者なのだろうか。オレは本当にユーリを守れるのか?
「―――…状況だけ聞いていると、ユーリは生きているのが奇跡の様な子供だな」
「……ヴィンセント?」
そんな思考に捕らわれ掛けた時、ヴィンセントの声が現実に引き戻した。
「シェリファスレベルの魔術師がそこらに転がっているとでも思ってるのか? 東領ならばそんな人材は間違い無く権力闘争の格好の駒だ。そんな人物が態々封印をしてからユーリを『深遠の森』に連れ出したと仮定する。普通ならばそんな面倒な事をせずにもっと早くに…それこそ成長して情が生まれる前に殺してしまうべきだと考えるのが自然だろう。つまり、逆を返せばそうしなければならなかった理由は何か」
『理由…』
「同時に、その理由が分からない間は北の魔王城としてもユーリを処分出来ない。下手をすれば東領との確執を生みかねないからな。それは逆にユーリを生かす為の新たな理由となる」
ヴィンセントが静かに考えを告げると、ヴァスが少し考えて口を開いた。
「東領のシェリファスレベルの魔術師、調べてみる」
ヴァスの言葉に、ヴィンセントが頷く。
「こうなってくると次に気になるのは未知の知識だな。ユーリがどこでそれを学んだのか。エリエス、マルス、知識に関する事ならばお前達だろう。何か心当たりは?」
「…正直、余り考えたくない可能性を思いついています」
「隊長…?」
次いでヴィンセントがエリエスとマルスに話を振ると、エリエスが表情を陰らせつつ答える。常ならぬエリエスの様子に、マルスが怪訝な顔をする。
「我々さえ知らない知識となると、古文書関係が有力になります。けれど、古文書は基本的に昔の知識を与える物。未知の知識を記す物ではありません。
…ですがそれが当てはまらない書が、私の知る限り一つだけ存在しています」
「隊長、それは…っ」
エリエスが心当たりを口にするなり、マルスまでが顔色を変える。
二人の反応をみれば、明らかにヤバい代物である事は疑いようもない。
「それは、そんなに特殊?」
「―――存在を秘匿されている程に」
ヴァスの質問に、エリエスが慎重に答える。
「勿論、ユーリの知識の源がそれだと決めつける訳ではありません。しかし、全ての可能性は考慮した方がいいでしょう」
「存在を秘匿されている様な書とユーリをどうやって繋げる?」
「正直、これについてはここで詳しい事をそう簡単に教える訳にはいきません。ですのでもし確かめるのであれば他の確認が終わってからにしたいのです。私の一存で書自体に触れさせる事は出来ませんが、書に詳しい人物に会わせる事ならば出来ます」
「書に詳しい人物がいるのか」
「フェシル隊長こそが北の魔王領における書に関する第一人者です」
エリエスの言葉に、誰もが件の人物を思い浮かべる。
フェシル隊長と言えば20年程前まで書類部隊隊長を勤め上げた、エリエスの師匠とも言うべき人物だ。
若かりし頃に今以上に女っぽかったエリエスを我が子の様に可愛がり、その事で下世話な口を利いた連中をどこまでも笑顔で掌の上で転がし、精神的にボロボロになるまで玩びまくった人物だ。
更には退職前に書類部隊隊長としての今のエリエスに育て上げた人物でもある。
温和な顔してある意味ヴィンセントの上を行く狸ジジイである事は間違いない。
「フェシルか…。丁度近い内に飲みに行く約束をしているから私から声を掛けておこう」
「ヴィンセント……」
「内容に触れる様な事を言わなければ良いのだろう。あの男がその程度を察しないとでも?」
「それはあり得ません」
「それにフェシルならば必ずユーリに会いに来るだろう。この状況に加えてエリエスが気を許した存在に好奇心を持たない筈が無い」
ヴィンセントの言葉に、誰もが沈黙する。
「それってよ、ユーリを狙う新手が出現するって事じゃねぇのか?」
暫くしてジョットがポツリとこぼすが全く笑えない。否定する要素が無いのだ。沈黙が更に続く。
「ユーリちゃんだったら、間違いなくフェシル隊長に直ぐに懐きそうよねぇ…」
「ますます笑顔で連れ去られる構図しか浮かばねぇ」
カラフが乾いた笑みを浮かべつつ言えば、ジョットが同意する。
「―――今のユーリの所在は北の魔王城だとハッキリ釘を刺しておこう」
「―――ユーリが三ヶ月で正規隊員になれる様に気合いを入れて仕込みましょう」
「おい。ユーリは調理部隊の大事な新人だからな」
ヴィンセントとエリエスの言葉に思わずツッコミを入れたオレは悪くない。
他の隊のヤツ等、関係ない顔して揃いも揃ってオレを生温い目で見るんじゃねぇ!
「―――取り敢えず話はこんな所でしょうか」
「そうか。なら、ディルナン」
マルスが纏めていた議事録モドキを手に、エリエスが呟く。
それを見て、ヤハルがオレに声を掛けて来た。
「早速じゃが、本人も怖がらん事だし都合の良い時にユーリをドラゴンに会わせてみたいんじゃが」
この言葉に、今度は視線がヤハルに向かう。
「体質的に騎獣に好かれて、居るだけで作物は豊作。これが本当なら魔力が少なくとも貴重な人財じゃ。その証明が少しでも早く出来ればユーリの助けになるじゃろ。勿論、ワシとツェンが一緒に立ち会う」
ヤハルのこの言葉に、ジーンも頷く。
「そういう事なら農作部隊にもその内来ればいい。何かを証明出来りゃ強いだろ」
「…ヤハル、ジーン」
「ワシはユーリを気に入ったからの」
「ありゃ面白れェな。久々に中々のモンが入ったじゃねぇか」
笑う二人に、ユーリが短時間で二人に気に入られた事は疑い様も無く。
「後の問題はその力が何処へ向かうかだろう。少なくとも周囲の大人達がおかしな方に行かない様に見ててやりゃユーリならそんなにおかしな事にはならないと思うがな」
「この安全とは言い難い北の魔王城に置く事が前提条件か」
ジーンの見解に、ヤエトが微かに難色を示す。だが、それはユーリを心配しての事だと誰の目にも明らかだ。食堂でのヤエトとユーリのやり取りは既に話が出回っている。
「どちらにせよユーリの命を狙う輩が存在しているのならば逆に北の魔王城はユーリにとって鉄壁の守りにもなる。連れ去られておかしな連中に利用される事を考える方が面倒に思えるが」
ヴィンセントがヤエトを宥める様に言えば、ヤエトも大人しく口を噤む。
「さて、内容はある程度は出たし、やるべき事の方向性も見えた。これで話は終わりで良いか? 今日は患者が多くてな」
「えぇ、構いません」
「ディルナン、明日の朝、ユーリを医務室に連れて来い。もう一度消毒をしておくとしよう」
「分かった」
「…お前には騎獣の主人としてのアレコレを言いたいが、またの機会にしよう」
「寧ろレツに言ってくれ」
落ち着いた所でヴィンセントが不吉な言葉を残して小会議室を去って行く。
こうなると自然解散的な雰囲気が会議室内を満たした。
「ディルナン、ロイスへの報告は私からしますので」
「頼む。オレが下手に口を出すよりもお前の方が格段に上手くやるだろ」
「おや、随分信用されたモノですね」
「ユーリに関してはな」
「……。事後報告はまた改めて」
エリエスが手に持った紙をひらひらと揺らしながら声を掛けて来るのに答えると、不敵な笑みが返ってくる。
「あぁ、それとこれをユーリに。少しは役に立つでしょう」
「…助かる。礼を言うぞ」
それとは別に何かを思い出したらしいエリエスが、亜空間から何かを出して手渡してくる。
それを見て、素直に受け取っておいた。
「ディルナン、ユーリを連れて来る日はまた応相談っつー事で」
「ユーリの休みを教えるんじゃぞ」
更にジーンとヤハルに声を掛けられ、手を上げて応える。
「オレもそろそろ戻る」
「オカンは子供が心配ってか」
「誰がオカンだ、誰がっ。…ったく」
ジーンのからかい交じりの言葉に溜息を吐いていると、誰かが吹き出しやがった。
視線を向けると、その先にいたのはマルス。コイツ、笑えたのか。
驚きはしたがそれ以上の興味は無い。さっさと小会議室を後にした。
部屋に戻ると、さっきまで話題に上っていた当のユーリは良く眠っていた。
さっきまでの話合いの内容なんか全く知る事も無く、幸せそうに眠っている。
「お前、ロイスに目を付けられるなよ。これから大変だぞ」
サラサラの髪を撫でつつ声を掛けるが、当然それに返答は無い。
「………ごはんー……」
「”ごはん”じゃねぇだろ、”ごはん”じゃ」
それどころか可笑しな寝言が返って来て思わず苦笑が漏れる。
だが、ユーリはこれで良いのかもしれん。
自分のスペースに戻るがまだ眠る気にはなれず、部屋に常備してある中でも強い酒とグラスに手を伸ばした。