別視点22 苦悩と癒しと(エリエス視点)
色々あったものの、午前中を掛けてユーリに北の魔王城を見せて回りました。そのお蔭で色々と見えたモノもあります。
まるで何かに惹かれ合う様にロイスやジーン、ヤハルと出会うユーリ。
普通はこんなにすんなり隊長達に会える事の方が圧倒的に少ないんですがね。
医務室で左頬の擦過傷を消毒してもらい、ヴィンセントのお説教が始まるかと思えばユーリのお腹の虫が妙な鳴き声を上げて医務室の空気を乱し。本人は酷く反省し、泣きながらも無意識の上目遣いでヴィンセントに空腹を訴える事でお説教とお仕置きを回避しました。アレは実に可愛らしかったです。
とばっちりがほぼ確定しているディルナンは災難ですが。
その後お腹の虫が鳴いたままのユーリを連れて食堂に入れば、調理部隊がユーリの傷に食いつき。
ついでにディルナンに忠告しておきました。
まぁ、ヴィンセントの前では無意味でしょうが。
食事が始まれば、食堂で昼食をとっていた隊員達を美味しそうに食べる様子で和ませ。
食べ終われば眠気に負けそうになりながらも必死に片付けを済ませたユーリも、今はマルスに抱き上げられて気持ち良さそうに昼寝に入っています。
「エリエス隊長、今、いいかしら」
「カラフ」
マルスに抱き上げられて眠るユーリを見ていると、後ろから鍛冶部隊副隊長のカラフに声を掛けられて振り返りました。
丁度食堂に来た所らしいのですが、随分と大きな袋を所持していますね。
「どうしました?」
「お願いされてた物が出来上がったのっ」
カラフが興奮しつつ言い、持っていた袋から中身を取り出します。
カラフの腕の中に出現したのは、それは可愛らしくデフォルメされたレツとフィリウスのぬいぐるみ。
あぁ、そう言えば確かにカラフにそれを依頼しましたね。
「枕にもなる様に柔らかいタオル地と綿で作ったの。さっき完成したからお昼を食べがてら書類部隊に届けようと思ったんだけど、エリエス隊長を見かけたからお声を掛けさせてもらったわ」
「丁度良いタイミングですよ、カラフ。
マルス、ユーリにこれを」
直ぐ側で待っていたマルスにフィリウス型のぬいぐるみを渡すと、マルスがユーリと共に抱き込みました。
ふんわりしたタオル地の感触に、幸せそうに眠っていたユーリが反応してぬいぐるみに抱きつきます。余程ぬいぐるみが触り心地良いのか、擦り寄るユーリ。
…これは想像以上に可愛らしい光景ですね。敢えて言うのならばユーリを抱き上げているのが無表情のマルスと言うのが難点でしょうか。
食堂中の視線が釘付けですよ。正直、鼻血噴出者が続出しているのか食堂が妙に血生臭いです。
カラフは奇声…いえ、黄色い悲鳴を上げて悶えていました。
「いっやーん、やっぱり可愛いは正義よぅっ! ユーリちゃん、かーわーいーいーっっ!!」
「ユーリが可愛いのは当然ですが少し静かに。起きてしまいますよ、カラフ」
「あらいやだ。いけないいけない、色々滾っちゃったわ」
カラフの言う様に、確かに食堂中で良くも悪くも色々滾っています。血生臭く、荒い鼻息と意味不明な呻き声とテーブルを叩く音があちこちで聞こえる位に。
ユーリの可愛らしい寝顔をこれ以上この場で晒すのは癪に障りますね。
「マルス、ゆっくり眠れる様にユーリを連れて先に執務室へ戻っていて下さい」
「分かりました」
マルスに声を掛けると、ユーリを連れてさっさと食堂を後にします。
その後ろ姿にブーイングが起きますが、潔く全て無視がマルスです。素晴らしい。
「あーん、ユーリちゃん…」
「カラフ、またの機会に見にいらっしゃい。それで費用の件ですが」
他の隊員に混じって残念そうな表情を浮かべるカラフに苦笑しつつ声を掛けると、カラフが直ぐに反応します。
「そうね。
所で費用はどこに請求すればいいのかしら?」
「私個人に。あれは必要ですが、隊に請求すべき物ではありませんから」
「そーぉ? じゃあ、これが請求書。いつもの様に服飾担当部門に書類回してくれればこっちで処理しちゃうわー」
ポケットから取り出した畳まれた紙をレツのぬいぐるみと袋を抱えたまま受け取り、早速中を拝見しました。
「…この費用で本当に良いのですか?」
「あのタオル地、実は二階で使ってる新しい備品を回してもらったから物は良いけど安いのよ。それをこちらで加工してるから、実質タオルと中の綿と装飾に使った小物の費用だけで良いの」
「流石ですね。やはり貴方にお願いして正解でした、カラフ」
「中々面白い仕事をさせてもらったわ」
思いがけずに安い値段に目を丸くしてカラフに問うと、ウインクしつつカラフが答えました。
他の正規店に頼めば既製品の生地で作ったでしょうから、この二、三倍はしたでしょう。
勿論ユーリの為に肌触りの良い物を厳選したらそうなった部分もあるでしょうが、恐らくは隊費として処理される時の事を考えて負担にならない金額になる様にして下さった部分が無きにしもあらずの筈です。
格好に惑わされて気付く者が少ないですが、余計な手間になりかねない心遣いを仕事に取り込んで普通の仕事と変わらない時間でこなせるのがカラフの凄い所ですね。
「では、この費用の処理は今日中に済ませます」
「…大丈夫なの?」
「問題ありません。ユーリが来ると分かっていたのですからそれなりの対応は済んでいますし、思いがけずに即戦力なのですよ。午後に仕事を手伝って頂ける程に」
費用の話を締めくくろうとしたら、カラフが心配そうな顔を覗かせてきました。恐らく、ユーリがいる事で業務に支障が無いのか心配してくれているのでしょう。ですがこれに関しては本当に問題ありません。
「ユーリちゃんが即戦力って…」
「言ったままですよ。ユーリの計算能力は書類部隊でも上位です。
何せ入隊試験問題を制限時間に余裕を持って満点合格してしまう程ですから」
「何ですって!?」
疑いに満ちたカラフにユーリが見せた能力を伝えると、驚きの声を上げました。
思いの外大きく響いた声に、自然と視線が集まります。
「入隊試験問題って、アタシも受けたあの計算問題よね?」
「そうです」
「それを、30そこそこの幼子が満点?!」
「マルスと私の目の前でやってのけました。何のズルもありません」
カラフが確認するその声に、食堂に驚きのざわめきが広がります。
厨房でさえこちらの会話にまさかと言わんばかりの視線を向けて来ている程ですからね。
「昼寝が終わったらユーリには一般申請書類の検算をお願いする予定でいます。その間にそれなりの書類整理は出来るでしょう」
「ユーリちゃん、本当にどんな生活送ってたのかしら…」
「どの様な環境かは分かりませんが、午前中の散歩で見る限り『籠の鳥』であった事だけは確かです。あの子は文字を読んだり計算は出来るのに、どこにでも咲いている花や良く見る小動物の名前さえ知らないのですから。知っているのはオンマの様な本に出てきた存在程度」
「…っ」
カラフが驚きに息を飲みますが、自分の目で確認した事実です。ユーリは余りに一般常識的な知識を知らないのですから。
恐らく外の世界を殆ど知る事無く、本当に狭い世界で生きて来たのでしょう。
「あぁ、それとカラフに頼みたい事が」
「何、かしら?」
「ジョットに早番定時少し前にヤエトを連れて書類部隊の執務室に来る様に伝えて下さい。本職を交えてユーリに聞きたい事があります」
話ついでに直接ジョットに頼もうと思っていた事をカラフに伝えてもらう様に頼みます。
ユーリの知識の歪みっぷりもここまで来ると、カラフは溜息しか出ない様でした。
「分かりました。早番の定時頃に隊長にヤエト隊長を連れて書類部隊のエリエス隊長の執務室に行く様に伝えれば良いのね?」
「えぇ、お願いします。
…もし機会があれば、カラフもユーリに色々な物を見せてあげて下さい。あの子はきっとどんな物でも喜びます」
「そう言う事なら喜んで引き受けるわ、エリエス隊長。綺麗で可愛い物は服飾担当部門の得意分野だもの。他の部隊では決して見られない物を用意しましょ」
重い空気を払うかの様にウインクをしながら明るい声音で私の頼みを快諾して下さるカラフに苦笑が漏れました。
「さーてと、アタシお腹空いちゃったわ。ディルナン隊長に渡す物もあるし。
エリエス隊長もそろそろ執務室戻らないとマズイでしょう?」
「えぇ。このレツもユーリに届けなければ」
「ウチの隊長とヤエト隊長と一緒に定時後にアタシも顔を覗かせるわ。是非ともユーリちゃんがぬいぐるみを抱きしめている姿を脳裏に焼き付けさせて貰わないとね」
「…お待ちしていますよ」
話は終わったとばかりに切り上げるカラフに笑顔を向け、一息吐いて食堂を後にします。
ユーリの事をあれこれ考えるのは終業後にしましょう。
書類部隊の執務室に戻ると、私とマルスの執務室の扉の前に野次馬達で人垣が出来ていました。
手が空いている様なので新たに追加仕事を申し付けると、揃いも揃って涙を滂沱と溢れさせますが自業自得と言うものです。
それにしてもレツのぬいぐるみを抱えている所為か、いつもより隊員達の反応が鈍いですね。
取り敢えずニッコリ笑って何か文句があるかを問いただすと揃いも揃って首を横に振りました。結構です。
野次馬達を仕事に送り出した所で漸く執務室に入ると、執務机に向かうマルスから少し離れた簡易のミニソファーベッドでユーリが眠っていました。
フィリウスのぬいぐるみに抱きついて気持ち良さそうに眠るユーリの側にレツのぬいぐるみも置くと、もにゅもにゅと口を動かした後にふにゃりと笑み崩れました。
「…んにゅ……もー、たべられにゃい………」
この上なく幸せそうな笑顔でこぼれた寝言に、思わずマルス共々吹き出さずにはいられませんでした。
夢の中でも美味しい物を食べているんでしょうかね。
昼寝から目覚めたら小休止して美味しいお茶とお菓子でも用意しましょうか。
いつも通りの執務室なのに、ユーリがいるだけで雰囲気が妙に穏和な気がします。
少し先のティータイムを想像しつつ自分の執務机に戻ると、カラフから受け取った請求書を出し、一緒に少しだけ溜まり始めていた書類も片付けるべくペンを手に取りました。