30 お腹の虫はお調子者!?
空腹に鳴き喚くお腹の虫を抱えたまま、私自身はマルスさんに抱きかかえられて獣舎から医務室にやって来てしまった。
…畑で貰ったトゥートはどこに行ってしまったのか。それとも、美味しかったから余計にお腹が空いたのか。
そんな事をつらつらと考えながら視線を逸らしてみているが、私に疚しい所がある所為か医務室の扉に黒い物が渦巻いて見える。
その迫力にゴクリと息を飲み、マルスさんにしっかりとしがみつく。
そんな私をエリエスさんはにこやかに、マルスさんは無表情に見ていた。
うぅ。緊張の余り、あれだけ騒いでたお腹の虫が黙り出した。
「失礼します」
遂にエリエスさんが医務室の扉を開いて中に入ると、医務室中の視線が一斉に向けられた。
その中にはヴィンセントさんとバクスさんもばっちり居て。いやん(泣)
「エリエス。何があった」
「ユーリの頬の消毒をお願いしたくて」
「ユーリの、頬?」
直ぐにヴィンセントさんが反応を示せば、エリエスさんが私を示す。
「書類部隊の入隊試験を満点合格した後に北の魔王城の案内がてら散歩に連れてったんです。そうしたら、獣舎でレツが脱走してましてね。色々あった末にユーリにじゃれて頬を何度も舐めたので、頬を擦り剥いてしまいまして。傷の元凶が肉食の魔獣の舌ですから、黴菌が入ったら大変ですし」
「…は? 書類部隊の入隊試験を、満点合格??」
エリエスさんが状況を説明すると、傷の出来た流れよりも別の所にバクスさんが食いついてた。
「あの五十問の計算問題のヤツですよね?」
「えぇ。貴方も入隊の時に受けているあの試験と全く同じ問題です。制限時間内でしっかり全部解きましたよ」
「それはまた何と言うか…」
エリエスさんとバクスさんがそんな話をしているが、私はそれ所じゃ無い。ゆっくりとヴィンセントさんが私に迫って来ている!
おっかなくてマルスさんにますますガッチリしがみつくが、ヴィンセントさんに手を少し触られたと思ったら決して痛みを覚えること無くあっさりとマルスさんから剥がされてしまった。
さ、流石は医療部隊隊長。人体の関節の構造を知り尽くしていらっしゃるから出来る技(冷汗)
「ユーリ、お説教は後だ。まずは傷を確認しようか」
「………ぁぃ」
にっこり笑顔で、ズクズクとそれは腰に響く様な美声を披露して下さるヴィンセントさんに持ち上げられた格好のまま、無駄な足掻きは諦めて力無く項垂れつつ答えた。
「傷自体は大した事は無いな。…バクス、念の為にお前も見てくれ」
「了解です」
良く染みる消毒液で傷の消毒が完了した所で、ヴィンセントさんがエリエスさんと話していたバクスさんを呼び寄せる。
どうにか泣くのだけは我慢していたが、半分以上泣きべそを掻いている私の負傷していない右頬をバクスさんが触れる。
そのままで特に動く訳でも無いバクスさんに「?」を浮かべて見ていると、暫くしてバクスさんが何やらうんうん頷いた。
「レツに何かおかしな術を掛けられた形跡も無いですし、変な魔力の残存もありません。問題無いでしょう」
「レちゅ、悪いことしないよ?」
「念の為だ。こう見えてバクスは北の魔王城一の医療系魔術の遣い手だから、バクスの確認が取れれば問題無い。何かあってからでは遅いからね」
首を傾げている間にバクスさんの手が離れ、ヴィンセントさんが説明をしてくれた。
バクスさん、ヴィンセントさんが認める程に実は凄い実力者だったのね。何となく人が良さそうで穏やかでどこか変態ちっくだから実感無かったの。
「---さて、消毒は終わったし、安全も確認出来たな」
「う?」
頬の傷に合わせた大きな絆創膏を当ててくれていたヴィンセントさんがそう告げた次の瞬間、ヒンヤリとした冷気を感じた。
完全に油断してました。
「お説教の覚悟は良いね? ユーリ」
にっこり笑って問い掛けてくるヴィンセントさんに思わず腰が引ける。
ちっとも良くないです(泣)
ぎゅるりぎゅりー!
その時、私の心境を表す様に派手にお腹の虫が鳴いた。何で今!?
でも、ヴィンセントさんの冷たい笑顔は変わらない。
「無暗矢鱈に魔獣に近付くなど問題外だよ、ユーリ。エリエスがその辺りしっかり言い聞かせていたのでは無いかな?」
っギューーー!
「例え知能が高かろうが、相手は本能に忠実な肉食の獣だ。しかも魔術まで扱える。今回は大きな怪我が無かったから良かったものの、世の中にはえげつない魔獣は山といる。どれだけ危ない事をしたと思ってるのかな」
ぎゅふん、ぎゅるん
「………ユーリ」
ヴィンセントさんの美声お説教に合わせて、お腹の虫が何だか変な音になった。人間風に声を当てるのならば「っアーーー!」とか「あはん、いやん」みたいな…(滝冷汗)
それに気付いたらしいヴィンセントさんがお説教を中断させる。
この奇妙な空気に医務室中が奇妙に沈黙していた。寧ろ、笑うのを堪えてる人が若干名いらっさる。マルスさんとか。
そんな部屋の空気を読む事無く、元凶のお腹の虫はそのままぎゅるぎゅると鳴き喚いてるし。
「………ごめんなしゃいー。ちゃんと反省してます。でもお腹がしずかにしてくれないの」
居た堪れなさにべそ掻いたまま謝り、お腹を抱えてヴィンセントさんを見上げて訴える。
すると何故かヴィンセントさんだけでなく側にいたバクスさんやエリエスさんにマルスさん、その他医療部隊の隊員さん達が動揺していた。
静まり返った医務室にお腹の虫の鳴き声が響き渡る。女としては実に切なくて情けない状況なんですけど。
「………………お説教はまた今度にするか。代わりにディルナンに厳重注意しておこう」
ふぐえぐ泣いていると、ヴィンセントさんが何故か折れた。
え。ディルナンさんにとばっちりが行くの? それって後でがっつりお説教フラグ…。
ぐーぎゅるりー!
だと言うのに、ヴィンセントさんの言葉を聞いたお腹の虫が勝ち鬨を上げた気がした。
寧ろお前が反省して自重してくれ!
ずっと鳴きっぱなしのお腹の虫を抱えた私を、今度はエリエスさんに抱き上げられて医務室を出る。
そのまま食堂へ直行すると、私を見たアルフ少年が口をあんぐりと開けた。
「ユーリ、そのほっぺたどうしたんだ!?」
アルフ少年の驚きに満ちた叫び声に、厨房にいた人の視線が一斉に集まってきた。
「エリエス、お前が付いていながら何だこれは!」
「責任転嫁も甚だしいですよ、ディルナン。原因は寧ろ貴方ですから」
「あぁ?」
ディルナンさんがエリエスさんに抗議するが、エリエスさんも直ぐにディルナンさんに切り返した。
「貴方の騎獣が脱走して問題を起こした挙げ句にユーリにじゃれた結果です。どういう騎獣の教育をしているんです?」
「レツが原因だと?」
「レツにいっぱいベロベロされたのー」
エリエスさんの容赦無い舌鋒の鋭さに、ディルナンさんが疑問符を浮かべる。私も端的に何があったのかを伝えてみた。
「まぁ、私がこれ以上言う事はありません。後でヴィンセントから貴方にお説教が行くでしょうし」
「何でだ!」
「ユーリが怪我したからに決まってるでしょう」
「…いっそレツがヴィンセントに説教食らった方が良いんじゃねぇか?」
眉を顰めつつディルナンさんがボヤくが、エリエスさんは笑顔で流すのみ。
ぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅー!!
そんな中、今までの中で最大音量で私のお腹の虫が空腹を訴えた。
これには食堂でも再び微妙な沈黙と、いくつもの視線を頂く。
だって食堂中に良い匂いが充満してるんだもん。
「隊長、取り敢えず食事を」
「そうですね。ユーリのお腹の主がご立腹の様ですし」
「ごはんー」
マルスさんがそっと口を挟み、エリエスさんが同意してようやっと昼食に入れる事になった。
本日のお昼はサンドイッチ。厚切りの食パンの間にエビと黄色いアボカドもどきを主体にしたものと、ローストした鶏肉にたっぷりタレを絡めたのを主体にしたものにレタスもどきやスライスしたオル葱やトゥート、ピーマンもどきもたっぷり挟んでいる。
それと、マッシュタイプと形の残ったタシ芋が半々に使われている、たっぷりのハムと胡瓜やベルモンも入ったポテトサラダ。デザートには果汁たっぷりのフルーツポンチ。
美味しそう過ぎて涎が垂れてくる。じゅるり。
私にはパンを薄切りにして、半分ずつにしてくれていた。サラダも小さなボールに。でもフルーツポンチはしっかり一人前。それとお水。
…私の食べる量がしっかり把握されている。
因みに本来の大人一人前はパンだけで一斤以上ありそうなボリューム。サラダもフルーツポンチもてんこ盛り。これを細身のエリエスさんとマルスさんも完食しちゃうんだよな。不思議。
エリエスさんに私の高さまでお盆を降ろしてもらい、エリエスさんとマルスさんと共に席へと自分で運ぶ。
オルディマさんが出してくれた補助椅子はマルスさんが持ってくれた。申し訳無い。そしてありがとう。
その間もお腹の虫の鳴き声は周囲に響き渡り、あちこちから視線を頂いていたけどキニシナイ。
席に座る前にまたエリエスさんにお盆をテーブルに乗せてもらうとエリエスさんが奥に入り、その横にマルスさんが補助椅子をセットして私を乗っけてくれた。
「エリエしゅたいちょ、マルしゅふくたいちょ、ありがとー」
「どういたしまして」
「気にするな」
本当に男前だね、お二人さん。
なんて感動してたら、エリエスさんがどこからか取り出したタオルを水で濡らしていた。
「ユーリ」
「う?」
「あちこち歩き回って色々な物を触ってますから、食べる前にきちんと手を綺麗にしなくてはダメですよ」
濡・れ・タ・オ・ル!
しかもエリエスさん自ら私の手を綺麗に拭いてくれているっ。
「さ、頂きましょうか」
私の感動を余所に、エリエスさんがそれは美しく微笑んで言った。
男前なお兄様発言を撤回します! エリエスママー!!
…絶対に本人には言えないけど。
本日も絶品でございます、調理部隊の皆様。
ふっくらもちもちなパンにシャキシャキ野菜としっとりしたメイン具材のコラボレーションに口福感がハンパないです。その効果と来たら、顔の筋肉が緩んで戻りません。
ポテトサラダも絶妙な塩加減。控えめのマヨネーズが良い仕事してます。
美味しい塩気の後にはさっぱりした自然な甘さが絶妙なフルーツポンチ。この食事も箸…じゃなくてフォークが止まりませぬ。
あぁ、早く私も自分でこんな御飯を作れる様になりたい。
色々大いにズレてる気がしているけど、私はあくまでも調理師志望ですからね!
「おいちー」
うまうま食べていたら、いつの間にかエリエスさんとマルスさんだけでなく厨房や他の食事休憩の方々から生暖かい視線を向けられていた。
取り敢えず目が合えばにぱっと笑っておいた。
「ごちそーさまでちた」
「「ごちそうさまでした」」
しっかり食べ終えた所で手を合わせると、エリエスさんとマルスさんも一緒に言ってくれた。
お腹の虫が満足して黙り、満腹感にお腹が張ったら今度は眠気で瞼がトロンとしてくる。
目をぐしぐしと擦っていると、マルスさんが椅子から降ろしてくれた。
どこか心配そうなエリエスさんに食事前と同じようにトレーを渡してもらい、返却口へとどうにか持って行く。
その間にマルスさんは自分のトレーを片付け、補助椅子まで返却してくれていた。
マルスさんが私のトレーを受け取って返却口に乗せてくれると、続いて私が抱き上げられる。
目の前には返却口の片付けをしていたラダストールさんがいた。
「ごちしょーさまでしたー」
「もう少し書類部隊で頑張って来い」
「あい」
ラダストールさんに食事のお礼を言うと言葉を返され、それにどうにか返事をするが、意識は半分眠りの淵にいた。
後ろの方でエリエスさんが誰かに呼ばれる声がしたが、もう目を開けてられない。
どうにか眠らずに粘ろうとマルスさんにグリグリすり寄ってみたりしたが、もう限界です。
「寝てて良い」
そこへタイムリーにマルスさんの許可が出た上に背中をポンポンされたのが決定打だった。
あっと言う間に私の意識は睡魔に取り込まれていた。