別視点21 人財発見(ヤハル視点)
本編29の主人公視点と内容がほぼ重複しています。嫌な方は飛ばして下さい。
「隊長、大変です! レツがまた脱走しました!!」
「調理部隊の獣舎の清掃に当たっていた五人が負傷です! 内一名、出血が多かった為に医務室へ向かわせました!!」
いつも通り騎獣の見回りをしているワシの所へ若い隊員が牙や爪による軽い裂傷を負って走って報告にやって来たのは、穏やかな午前中の事じゃった。
その報告に、声が聞こえた隊員達に緊張が走る。
騎獣は知能の高い高等魔獣じゃが、やはり獣だ。本能に忠実な面が強い。
その為、必ず複数人で協力して作業に当たらせているが、怪我や問題には常に事欠かない。
慣れればそれは可愛いヤツ等なんじゃがのぅ。ブラッシングを好むヤツ等の多い事といったら。
だが今回の騒動の原因である調理部隊隊長ディルナンの騎獣であるレツは、問題獣の代表格と言える。
「各部隊の獣舎から応援を集めてレツを追え。あぁ、必ず獣舎には最低二人を残すんじゃぞ。声を掛けたらお前さん等もさっさと治療に向かえ。ワシはまずツェンを探す」
『はい!』
必要最低限の指示を出し、問題獣の捕獲へと動き出した。
近場の獣舎から周り始めたが、こういう時に限って頼りになる右腕の姿が見えない。
騎獣部隊副隊長のツェンは入隊当初から騎獣に好かれやすい男じゃった。
ツェン自身も騎獣を好き、念入りに手入れしてやっているし距離感の測り方も上手い。
その為、人嫌いのレツもツェンには牙や爪を向けた事が滅多に無かった。
レツを押さえるにはツェンがいると話が早い。
正直、ツェンの様な体質の隊員がもう一人位欲しい所じゃ。
調理部隊の獣舎の方から何やら騒ぐ声が小さく聞こえてくる。
これ以上怪我人が出る前にどうにかツェンを捕まえてワシも捕獲に向かいたい所だが、中々その姿が見当たらない。獣舎は広いからのぅ。
溜息を殺しつつ目の前の書類部隊の獣舎の扉を開くと、そこには思い掛けない姿と驚きの光景があった。
「おや、ヤハル」
「エリエスにマルスか。……って、何じゃこりゃ」
声を掛けて来たのは書類部隊隊長であるエリエス。その横には副隊長のマルスもおり、更に二人の間には幼子が、困り顔でエリエスの騎獣であるフィリウスとマルスの騎獣であるエディットに毛繕いをされとった。
この幼子が昨日の部隊長会議で話題に上がった、ディルナンが拾ってきた仮入隊隊員じゃろう。本当に小さいの。
「この子の案内がてら寄ってみたんですが、すっかり気に入られてしまいまして。余程噛みごたえが良いのか、放さないんですよね」
エリエスが余裕の微笑みを見せつつ告げたが、その言葉にワシだけで無く後ろの若いの達も呆気に取られとる。
十四部隊の騎獣にはそれぞれ特徴がある。
書類部隊の騎獣は基本的にプライドが高い。初見で無暗に手を出そうもんなら、大怪我間違い無しじゃ。
それが初見の幼子相手に毛繕い? 聞いた事無いぞ。
「随分慌ただしい様ですが、何か問題でも?」
「問題も問題、大問題だ。ツェンを見とらんか?」
「ここに来るまでの間も会いませんでしたよ。副隊長まで探すとは余程の問題ですか」
「お前さん、他人事だと思いおって。憎たらしい笑み浮かべるな」
そんな事を考えていると、開いた扉から聞こえてきた声に反応してエリエスが問い掛けて来る。
じゃが、このエリエスが曲者じゃった。
他人の不幸は蜜の味と言わんばかりの良い笑顔を見せて来おる。
そうこうしている間にも若い隊員達の叫び声は徐々に近付き、ついにはすぐ後ろの通路から悲鳴にも似た絶叫が上がった。
振り返ると、どうにか戦闘にならないギリギリの距離を保ちつつも牙を剥くレツと対峙する隊員達の姿。
どう考えても限界じゃった。もうこれ以上ツェンを探す時間は無さそうじゃ。
重苦しい緊張感が広がる中、足元を何かが通り過ぎる気配がした。
「レツー!」
そして、響いた幼い声。
何時の間にかワシ等の前に立った幼子がレツの名を叫ぶと、あれだけ威嚇しまくっとったレツが子供へと意識を向けた。警戒を解き、幼子を見とる。
その隙に対峙しとった若い隊員達が近付こうとしたが、レツに殺気の籠った目で睨まれて怯む。
そんな連中を余所に、幼子がレツの名を呼びつつ駆け寄って行けば、若い隊員達が絶叫する。
ワシの脳裏にも最悪の状況のイメージが浮かんだ。人嫌いのレツに無防備に駆け寄るなど、このままでは大怪我じゃ済まん!
思わず顔を背ける隊員も出る中、レツの元に辿り着いた幼子がそのままレツの首元に抱き着いて毛並みを撫でると、あのレツが幼子の顔を舐めた。
これには若い隊員達から別の意味で小さな悲鳴が上がる。ワシでさえ息を飲んだ。
何じゃ、この有り得ん光景は!?
そんなワシ等の心境を余所に、幼子はレツに満面の笑みを浮かべて声を掛けとった。
「レツ、おひるねじゃないの?」
「…がう」
「メッなことしたのね?」
幼子の問い掛けに、何処か気まずそうにレツが視線を泳がせる。
…悪夢以外の何物でも無いじゃろ。あのふてぶてしいレツはどこにいきおった?
「いけないことするレツ、キライ」
思わず目を疑っとると、幼子がレツに宣言した。
それを聞くなり、レツがこの世の終わりと言わんばかりの表情を浮かべる。
……お前さん、そんな表情が出来たんか。ワシ、お前さんが北の魔王城に来た当初から面倒見とるが、初めて見たぞ。
思わず遠い目をしとるワシの横で、レツの前で、他の若い隊員達は普段を思い起こせばあり得ない光景に発狂寸前の様相を呈しとる。これをどう収拾したら良いんじゃ?
頭痛を覚え始めとると、後ろからフィリウスとエディットがワシ等の間を割り込んで幼子の元へと進んでいく。
この二頭が幼子の髪を再び毛繕いしつつ、揃いも揃ってレツにケンカを売り始めた。
これにはどんな血みどろの争いが起こるかと嫌な想像をしかけた所で、その光景を見たレツが殺気立つ事無く大ショックと言わんばかりの表情に変化しおった。
………もう、ワシ等の想像を超えた所で事が起こっとる。大人しく見守った方がエエのかもしれん。
諦めの境地で成り行きを見守っとると、三頭に挟まれる形になっとった幼子が三頭の様子を見て再び動き出した。
「………もう、しない?」
「…がぅ」
「……ちゃんと反省してゆ??」
「がうっ」
「…じゃあ、だいしゅきよー、レツ」
フィリウスとエディットの毛繕いを受け入れつつ幼子がレツに声をかければ、レツが必死に頷きつつ鳴く。
本気の反省が見て取れるレツに幼子がアッサリ許しを告げると、毛繕いされとる幼子にレツが突撃して行った。
そのまま幼子に擦り寄り、その柔らかそうな頬をベロベロと舐めまくる。
これには幼子が悲鳴を上げた。…体格差を考えればそりゃそうじゃな。
こうなって初めて、これまでワシ等の後ろで控えとったエリエスが動いた。
常に隠し持っとる鞭を取り出し、それを思い切り良く地面に叩きつける。
その音に込められた威力を狂いなく読み取った三頭が揃ってピタリと動きを止めて幼子を解放する。
「エリエしゅたいちょー!」
「マルス、ユーリの身形を整えてあげて下さい。私はお馬鹿さん達に少し教育的指導をしてきますので」
エリエスが半泣き状態で駆け寄って来た幼子の髪を撫でつつワシ等の後ろにいたマルスに声を掛けると、マルスが動き出す。
ヨレヨレの幼子を魔術で綺麗にし、真っ赤になっとる頬を撫でつつマルスが何かを小声で幼子に告げると、幼子の顔から急に血の気が引いてプルプル震えながら怯え始めた。
「さて、覚悟は良いですか?」
そこへ聞こえたエリエスの声に、幼子が肩を震わせる。
…こりゃ、後でエリエスの説教が待っとるのかもしれん。頑張れ、小さいの。
エリエスの鞭に叩きのめされ、笑顔で淡々と詰られた三頭が驚く程大人しくなると、エリエスからワシ等騎獣部隊に三頭が引き渡された。
常ならどこか威嚇している三頭が驚く程素直に連れて行かれる。その際、エリエスを見ようともしないのはご愛嬌と言うべきかのぅ。
「…エリエス、お前さん容赦無いの」
「騎獣をコントロール出来ずして主人になれますか」
「レツまでぶっ叩くんかい」
「教育的指導と言ってくれませんか? 事実、レツは問題獣でしょう」
「そんな事が出来るヤツがどれだけ少ないか分かっとるじゃろ」
「おや、心外ですね。…私以上にとんでもない子がいるというのに」
溜息交じりにエリエスに声を掛けると、笑顔でエリエスがマルスに抱き上げられとる幼子を示してきた。
必死にマルスに助けを求める様にへばり付いていた幼子が、自分に向けられた視線に気付いてこちらを向く。
柔らかな幼子の左頬の赤みが痛々しいの。
「あのレツと両想いですよ。…ディルナンが互いの余りの懐きっぷりに頬を引き攣らせて帰ってきましたからねぇ。フィリウスとエディットさえも初見で親愛行動に出ましたし。余程騎獣に好かれやすいんでしょうね」
「…ごく稀に、魔獣と波長の合うヤツがおる。生まれつき持っている魔力が高等魔獣に好かれるタイプと言うべきか? 騎獣部隊じゃツェンがそのいい例だ。恐らく、その子供は特に相性が良いんじゃろ」
「そうなんですか?」
「ドラゴンと会わせれば一発で分かるの。あやつ等は特に相性に敏感だ。今度その機会を作ってやろう」
「どらごんー。会える?」
エリエスが幼子について知る限りを話すのを聞き、珍しいながらも似た体質の男を思い浮かべた。もし予想が正しければワシ等騎獣部隊にしてみればこの幼子は人財じゃ。
幼子本人は騎獣部隊にとって自分の体質がどれだけ凄いのか分かっていないのだろう。それよりもドラゴンに会えるかもしれん事に興味津々になっとる。
普通の幼子なら自分よりも圧倒的に巨大なドラゴンに会うと聞いただけで怯えてもおかしくない。こりゃ増々有望株かもしれん。
「レツに好かれる体質で、本人も騎獣が好きならほぼ間違いあるまい。何より人にも好かれるしの。
ツェンがいる時に会わせてやる。…何なら騎獣部隊に体験入隊してみるか?」
思い掛けない人財に笑いつつ声を掛けると、幼子がキョトンとしてワシを見た。
こうして正面から見ると、随分と可愛らしい幼子じゃ。
「…おじーちゃんは、きじゅーぶたいのたいちょさん?」
「おぉ、そう言えば名乗って無かったの。 騎獣部隊隊長のヤハルと言う」
「ユーリでしゅ。はじめまちて、ヤハルたいちょ」
「公式な場じゃなきゃ”おじーちゃん”でええ」
「おじーちゃん」
そんな幼子に笑顔で「おじーちゃん」と呼ばれて悪い気はせん。孫がいたらこんな感じかの。可愛さが格別じゃ。
「”おじーちゃん”ですか…」
「なんじゃエリエス」
「自分を年寄扱いするなとつい先日騒ぎまくったのはどこの誰でしたかね?」
「ちっこいのからみたらワシはジジイだからの。だがお前さん等にだけはジジイ扱いされてたまるか」
「ほー」
折角人がほっこりしとったのに、エリエスが生温い目で余計な声を掛けて来よった。視線だけならマルスもじゃが。放っとけ。
ぐーぎゅるるるるー
そんな中、妙な音が響き渡った。
音の発生源は…ユーリ?
思わずエリエスとマルスと共に視線を向けると、ユーリが腹を撫でる。すると、さらなる大音量が響き渡った。
これにはエリエスが時計を取り出して時間を確認し、笑みを零す。
「…お昼ー?」
「そうですね。医務室に行ってからお昼にしましょう」
……音の正体はまさかの腹の虫の様じゃな。
この上なく嬉しそうにエリエスに尋ねたユーリに、エリエスが笑顔で告げるとユーリの表情がショックに彩られる。
その様子はさっきまでマルスに助けを求めとった時に良く似ておった。
何故かそんなユーリの表情にマルスが肩を震わせて笑っておる。…この男、笑えたんか。
「い、行かないもんっ」
「黴菌が入ったら大変ですから却下します」
「ヴィンちぇントたいちょのオシオキ、こあいもんっっ」
「それは諦めて下さい。…もし行かないのなら、ヴィンセントの前に私のお説教を追加してもいいんですよ?」
「ディルナンたいちょも、おこるもん…」
「ディルナン”お母さん”ですからねぇ。それは勿論そうでしょう」
ワシがマルスの笑う姿に驚いとると、エリエスとユーリのやり取りが展開される。マルスにしがみ付いてイヤイヤと首を横に振りつつエリエスに対抗するユーリに、怯えの原因を知る。エリエスに脅されてプルプル震えつつも頑張っとるの。
頬の傷を作った事を保護者達に怒られる事に怯えとったんかい。エリエスよりもヴィンセントが怖いんか。
そして、エリエスの口から出たとんでもない言葉に思わず噴出す。
「ディルナンがおかんなのか!?」
「あの男は意外に細やかで過保護ですね。ユーリと一緒にいるディルナンを見ているともう笑えて笑えて仕方ないんですよ」
「…まぁ頑張って怒られて来い、ちっこいの。ドラゴンの件はワシからディルナンに言っとくからの」
思い掛けないディルナンの一面を教えられて笑っていると、ユーリの腹の虫が鳴った。返事だか抗議だか分からん音に、エリエスとマルスと爆笑した。
笑い終わった所で、マルスに抱き上げられたまま問答無用でユーリが医務室へと連行されて行った。
やれやれと溜息を吐いとると、問題獣達を収容してきた隊員達と共にツェンが姿を現す。
「隊長、さっきの光景、何スかー」
半泣き状態で隊員の一人が愚痴じみた呟きを漏らすのを聞き、ツェンが苦笑しつつ隊員の頭を撫でる。
騎獣部隊の良き兄貴分でもあるツェンに頭を撫でられ、その隊員が少し落ち着きを取り戻す。
他のヤツ等も羨ましそうな顔をするな。お前等は騎獣と同レベルか?
「ツェン、どこに行っとった?」
「今朝話してた餌の発注の件で業者と通用門の所で話をしてたんです。色々と大変だったみたいですね」
気を取り直してツェンに聞くと、そう言えばそんな事があったと思い出す。年を取ると記憶力が低下していかん。
「タイミングが悪かったとしか言えん。…思い掛けない助けがあったから良かったがの」
「エリエス隊長ですか」
「それもだが、仮入隊の幼子もじゃ。ありゃお前さんとよく似た体質じゃろうて」
「それはそれは。そんなお宝人財は是非とも騎獣部隊に欲しいですね」
「保護者共が手放さんだろうな。だがどこまで好かれるかをドラゴンで試したらええじゃろ。ディルナンに話を持ちかけてみるつもりじゃから、お前さんも立ち会え」
「勿論。騎獣部隊は噂の可愛い仮入隊隊員に会える機会なんて滅多に無いですし。それにしても惜しいですね」
「狙える時に狙えばエエじゃろ」
楽しそうに話すツェンに、いつの間にか若い隊員達が落ち着きを取り戻したのかさっきの出来事を話し始める。
やっぱりこの男、他人を落ち着かせる何かを放出しとるみたいじゃ。
「取り敢えず、一件落着じゃ。簡単に片付けして昼休憩回して午後に仕切り直すぞ!」
『はい!』
いつまでもグダグダしとる訳にはいかん。
指示を飛ばすと、全員が一斉に返事をして動き始めた。
話すんなら仕事が終わってから幾らでも話せば良いじゃろ。
さて、落ち着いたらユーリとドラゴンが会える様にツェンと算段をつけんとな。
ついでにいつでも遊びに来れる様に上手く仕向けるとするかの。