別視点14 兄の自覚 前編(アルファイス視点)
本編15〜別視点13までと内容がほぼ重複しています。嫌な方は飛ばして下さい。
風呂上り、自分の部屋に戻ってベッドにゴロンと横になって今日の出来事を振り返る。
思い返すのは生まれて初めて出来た、自分より下の存在の事だ。
朝、仕事前に隊長から噂になっていた小さな子供が調理部隊で今日から働く事、子供のちょっとした情報を聞かされた。
話を聞いた時、正直面白くなかった。
チビでも新人のクセして初日から堂々と遅刻ってどうなんだよ。しかも、隊長直々に迎えに行っていた。
面白くないが、仕事は待ってくれない。いつも通りに担当の仕事をこなしていく。
今でこそ慣れたが、最初の一年が大変だった。
仕事が殆ど出来なくて、散々失敗して、怒られまくった日々が懐かしい。
暫くして隊長だけが戻って来た事に首を傾げていると、副隊長とオルディマさんが噴出した。
「ちっこいのはトイレか」
「落ちない専用トイレが出来ましたもんね」
二人のそんな言葉に、思わず耳を疑う。落ちない、トイレ? 何だそれ。
「隊長に抱き上げられてる時点でちっこいとは思ってたけどよ、態々設備部隊がトイレ工事に来るってどんだけちっこいんだよ。医療部隊のトイレに落ちかけたってネタ以外の何物でもねーし」
「本人もまさかの出来事だな。…迎えに行った時に話題に出たら、顔真っ赤にして毛布に潜って隠れてな。毛布引っぺがしたらだんまり」
「ぎゃはは、可愛いじゃねぇか」
「全くだ。可愛過ぎて癒される」
隊長と副隊長の会話に、先輩達も笑みを零す。
それから少しして噂のチビがホールに姿を現し、隊長が再び出て行く。隊長が何か指示を出しているが、隊長に隠れてその姿が全く見えない。
隊長が動き、手を引いて厨房に向かってくるチビは隊長の腰にも届かない程に小さかった。
「おはよーございましゅ!」
入って来る時に元気な挨拶をするチビに、オレ達も挨拶を返す。何故か隊長が少し驚いた後に口角を吊り上げていた。
「全員、そのまま聞いてくれ。今日から調理部隊で仕込み専門で働くユーリだ。いきなりは覚えられんだろうから、各自声を掛けてやってくれ。
シュナス、ジジイ、二人だけは先に来てくれ」
隊長がチビの紹介をすると、副隊長とじーさんを呼んだ。呼ばれた二人がすぐに近付くと、チビを撫でる。…すっかり甘やかしていた。特にじーさんに至っては、別人かと思う程に顔が違う。
オレが入隊した時との余りの違いに、面白くないと思う気持ちが増々大きくなる。
そんな中チビの腹の虫が盛大に鳴くと厨房に爆笑が広がり、チビが耳まで真っ赤になった。
「アルフ、”ヤツら”にやってポムルは残るか?」
「半分は大丈夫っス」
隊長が笑みを噛み殺しつつ声を掛けてくるのに、直ぐに答える。
オレが今切っている、シュワ・パンナの餌用の果物。
「三分の一をユーリにやってくれ。残りはお前が食べていい。それと、餌やりを教えてやれ」
「本当っスか!?」
残りを答えたら、隊長から思いもよらない指示が飛んできた。味見ならともかく、食っていいなんて言われたのは初めてだ!
速攻で片付けと食べる準備をしてチビを呼ぶと、チビが手に持っていた花柄の袋を隊長に渡してすぐ側にやって来た。
横にやって来るとチビの小ささを実感した。どうにかオレの腰骨の辺りを越えている位。ポムルを渡してやると、受け取る手が本当に小さい。
「ありがとー」
「オレはアルファイスだ。よろしくな」
「ユーリでしゅ」
「アルフでいいからな。ちなみに”にいちゃん”でもいいぞ」
「…にーに?」
はにかんで礼を言うチビに自己紹介をすると、チビもちゃんと返してくれた。冗談のつもりで続けると、思い掛けない呼称が返ってくる。
オレが、”にーに”?
そんな風に呼ぶ存在は、今まで周囲にいた事が無い。オレが生まれた集落で、働きに出るまでオレより下の存在はいなかった。調理部隊でもオレが一番下だったし。
周りで隊長を筆頭に、全員が肩を震わせて悶えるのを堪えていた。その気持ちが少しだけ分かる。
そんなオレ達の感動を余所に、本人はポムルにかぶり付いていた。
オレも食べ始めると、「おいしーねぇ」なんて笑い掛けてくる。
先に食べ終わると、チビが大慌てでポムルを口に押し込もうとする。必死な姿に思わず笑って、果汁でベトベトになった小さな手を布巾で拭いてやると嬉しそうに笑い掛けてきた。
下の存在って、こんなにも可愛いものなのか…。
隊長に言われた通り、シュワ・パンナの餌やりを教える為に一緒に外に向かうとオレの後をちょこちょこと付いて来る。
初めて見るシュワ・パンナに目をキラキラと輝かせ、オレの話をきちんと聞き、楽しそうに餌やりをする姿に朝に感じていた面白くないという気持ちはいつの間にか小さくなっていた。
シュワ・パンナを水に漬けたビンを置く棚に届かないなんて言う思い掛けない出来事に慌ててポムル箱を用意する事になったが、面倒だとは思わなかった。
その後もオレの後をちょこちょこと付いて一生懸命仕事する姿に無様な姿は見せられないと思った。
尤も、仕事の出来はオレなんかよりもずっと上みたいだけど(汗)
朝食の時間は特注の椅子に座って幸せそうに食べていた。頬を膨らませて一生懸命食べているが、オレ達の四分の一にも満たない量なのに進みはひどく遅い。
けど、何だか見てると和んだ。
「三馬鹿」と三人で一括りに呼ばれてる先輩達がユーリを見て馬鹿を言ってじーさんに怒られてた。
じーさんの「三馬鹿に関わるな」という言葉に返事をしてはいたが、疑問形で本当に分かっているのか怪しい。隊長達がこっそり溜息を吐いて心配してるのが分かった。
これはオレも気を付けて見ててやらなきゃ。ユーリが三馬鹿先輩に変な影響受けたら大変だ。
朝食が終わって隊長がオル葱の皮剥きをユーリに言いつけ、少し遅れてユーリの包丁を鍛冶部隊のジョット隊長が持って来ていた。ユーリサイズの本当に小さい、おもちゃみたいな包丁。それを持ってユーリがオル葱の仕込みに入った。
自分の仕事が手一杯で全く見てやれてないけど、オル葱のケースにちょこんと座って黙々と皮剥きをこなしているみたいだ。後ろ姿が妙に可愛らしい。食べに来た人の中にはユーリに気付いて挙動不審になる人もいる。
そういうヤツは要注意人物として出来る限り覚える様にしてる。オレの可愛い弟に変なちょっかい掛けられたらたまんないからなっ。
そんな中、エリエス隊長が朝食を終えてユーリを呼び出した。エリエス隊長もユーリを可愛がっている一人だ。隊長もユーリにホールに出る許可を出しはしたが厨房の全員がエリエス隊長に警戒していた。
……エリエス隊長はおっかないけど、ユーリに手を出すならただじゃ連れて行かせない。
まぁ、勘の良い人だから、オレ達の警戒に気付いていたみたいだけど。ユーリに何かを渡して食堂を後にするエリエス隊長に思わずホッと息を吐いた。
何だかんだと仕事をして昼食。
一緒に食べるメンバーでユーリを迎えに行ったら、物凄くショックを受けた表情をされた。どうやら、隊長に用意して貰ったオル葱の皮剥きが後少しの所だったらしい。
…ユーリ、随分と仕事早いな。
手伝って皮剥きを終えると、ユーリが包丁を拭く様に布巾を洗って差し出してくれた。ただ、幼児の力で絞ったそれは凄く水気が多くて、オルディマさんが笑顔で絞り直したら凹んでた。
きちんと片付けをしたユーリに隊長が昼食にすると告げれば、嬉しそうに手を挙げたユーリに合わせてユーリの腹の虫が言葉よりも早く返事をする。ちょっとだけ恥ずかし気なユーリの姿に、自然と先輩達に笑顔が浮かぶ。
感情が直ぐに表に現れるユーリは真っ直ぐだ。その真っ直ぐさで好意を向けて来る。調理部隊はともかく、色々と腹に一物抱える人物が少なくない職場なだけに、こんな存在は貴重だと思う。
正直オレが調理部隊に入隊して八年、こんなに先輩達が揃いも揃って穏やかに笑う姿を見たのは初めてだ。いつもどこかピリピリしてる事の方が多かったのに、ユーリがいるだけでこんなにも厨房の空気は優しい。
昼食を食べに動くと、ユーリがじーさんや副隊長がいないと首を傾げた。その理由を隊長が話すと、残念そうな表情を少しだけ浮かべるユーリ。そんな姿にじーさんが嬉しそうに表情を綻ばせた。
これまでに絶対に見せた事の無い、じーさんが浮かべるなんて考えた事すらない表情に呆然としてしまったのはオレだけじゃない。
そんな中、三馬鹿先輩がじーさんの表情で大騒ぎをして怒鳴られたのは最早お約束なのかもしれない。
昼食も幸せそうな顔して食べるユーリ。
パスタは食べ易さを考慮してか、以前サラダに使ったショートパスタの残りが使われていた。パンの代わりに、昨日シュワ・パンナにやった果物の残りで作ったジュース。
しっかり完食すると、隊長にちょっと世話を焼かれただけで魔力切れの魔道具の様に呆気無く眠ってしまった。余りの早さに隊長に確認すると、ユーリをきちんと抱き上げつつ苦笑する。
三馬鹿先輩がユーリの寝顔を見てだらしなく表情筋を崩壊させている間に、オルディマさんが発注スペースでユーリの昼寝スペースを作っていた。
隊長がユーリに軽く洗浄魔術を掛けてオル葱の匂いを取るとポーチと前掛けを外して、そこにユーリを寝かせてた。見事な連携だ。
外した前掛けを畳んでポーチに収納しようとした隊長だが、ポーチの中身を見てそれを止めた。ポーチと前掛けを発注用の机に置いて作業班と交代で仕事に戻る。
不思議な事に、朝と違ってユーリが昼寝をしていても腹立たしさの一片も感じない。むしろ、あの小さな体で精一杯働くユーリを見ていた所為か、しっかり寝て大きくなれとさえ思ってしまう。
きっとユーリは成人する頃には、かなり仕事の出来る存在に成長してると思う。だけど、兄ちゃんと呼ばれたからにはユーリにだけは負けたくない。今まで惰性でズルズル仕事してきたオレの、なけなしの意地だ。
そう思ってたら、昼食から戻って来た副隊長に突っ込まれてついつい動揺してしまった。ダメだ。これじゃあ、オレは何にも変わってない。
気を引き締めて先輩達にユーリに追いつかせないと宣言すると、ラダストールさんとディオガさんに声を掛けられた。基本、無口な二人には珍しい事だ。これは、増々気が抜けない。
何時もよりも心穏やかに午後の仕事をこなしていたというのに、いきなり封鎖してる筈のホールに大音声が響き渡った。
設備部隊のヤエト隊長と、何やら布にくるんだ荷物を抱えた青い作業着の設備部隊の隊員達の姿を認め、思わず厨房にいた全員で睨みつける。そして不機嫌さを隠しもせずに隊長が対応に出て行った。
ユーリの家具類が出来上がったらしく、隊長の部屋に運び入れる様に全員が動き出す。
やれやれと思って仕事に戻ろうとしたら、発注スペースからユーリが出て来た。どこか覚束無い足取りと寝惚け眼が危なっかしくて、思わず駆け寄ってしまった。
「ユーリ、どうした?」
「んにゅ…おっきい声がちたの……」
ぐしぐしと手の甲で目を擦るユーリのこの言葉に、厨房にいたメンバーが揃いも揃ってヤエト隊長に殺意を抱いたと思う。
「もう五月蝿いのはいないぞ。…もう少し寝るか?」
「おトイレ行って起きるー…」
昼寝の邪魔をされたと言うのに、ユーリはそのまま仕事に戻る気らしい。目を擦ったのと反対の小さな手には、発注用の机に置いておいたユーリの前掛けとポーチがあった。
…オレがユーリ位の頃、こんな風になってたか?嫌な事は嫌だとごねまくってた気がする。
我儘も言わないし、小さな体で懸命に働くユーリは本当に健気で良い子だ。
正直、このまま厨房内を歩かせるのは余りにも危なっかしくて、午前中にユーリが仕込み作業をしていた場所に抱き上げて連れて行く。
…小さな体は驚く程に線が細くて軽かった。それに、体温が高いのか温かい。
「にーに、ありがとー」
「トイレに行く時は十分に気を付けて行くんだぞ?それから、変なヤツに会ったら直ぐに叫べ」
「あい」
降ろしてやると、礼を言ってくるが完全に寝惚けてる。取り敢えずユーリの手から前掛けとポーチを受け取り、置いてあったタシ芋のケースに乗せた。
心配の余り注意すれば返事が返って来るものの、本当に聞いてるのか余計に心配になった。そんなオレの気持ちを余所に、ユーリがとてとてホールへと歩いて行く。
この後ろ姿はヤバい。マジで攫われたらどうするんだ。
すると、どんなタイミングか、隊長達が食堂に戻って来た。
ユーリを初めて見たヤエト隊長が間抜け面を晒した後に隊長に食いついている。
隊長が心底渋々といった感じでユーリを呼び寄せると、ヤエト隊長にユーリを紹介する。愛嬌のあるユーリにヤエト隊長を筆頭に設備部隊の面々も表情を緩めまくってる。必要最小限の顔合わせをさせた所でユーリをトイレに行かせると、隊長がヤエト隊長にユーリの調理台の依頼を押し付けた。その手腕に思わず感心せずにはいられない。
…と、そこへ副隊長が作業を一段落させたのか、ホールへと出て行った。
「ヤエト隊長さんよー…」
どこかキレ気味な副隊長の声に、隊長と設備部隊の面々が何事かと副隊長を見た。
「テメェの大声の所為でユーリが叩き起こされちまったじゃねぇかよ。あぁ?」
「何だと…」
副隊長の言葉に、隊長の表情にも怒りが浮かぶ。その迫力に、設備部隊の隊員達の方が震え上がっていた。無理も無いけど。
「だってのにぐずりもせずに起きて働くっつってんだよ、ちっこいのは。アイツは『深遠の森』でウチの隊長が保護した子供で、食事と休養がしっかり必要っつー診断をヴィンセント隊長直々に出されてるちびっこだぞ。もしまたウチのちっこいのの昼寝を邪魔する様な真似してみろ。調理部隊の全戦力を持って設備部隊に奇襲かけんぞ、コラ」
「安心しろ、それにエリエスとヴィンセント、バクスとカラフ辺りも参戦してくる。なんならオレの騎獣も追加で来るぞ」
副隊長がヤエト隊長にケンカを売ると、さり気無く隊長が戦力を足した。
…最恐二隊長も出て来るのか? あの二人を味方に付けてるなんてユーリ、凄いな。
オレがそんな感心をしてる一方で、調理部隊の上二人の怒りの宣言に設備部隊の面々の顔から一気に血の気が引く。流石のヤエト隊長でさえも顔色を土気色に変えていた。
どれだけ恐れられてるんだよ、ヴィンセント隊長とエリエス隊長。
「………気を付ける」
「そうしてくれや」
ヤエト隊長からしっかり言質を取って副隊長が厨房に戻って来た。…副隊長も流石だ。オレも仕事に戻ろう。
設備部隊の面々が撤収して暫くしてユーリが戻ってくる。
兄ちゃんが最初に手を血塗れにした挙げ句、剥いた皮が厚すぎて芋すらも台無しにした仕込みだ。頑張れよ、ユーリ。
[補足説明]
ピシェ:白い外見の桃。果汁は多いが、食感はシャキシャキしてる。
主人公は昼寝後は寝惚けモードなので、本編に出現していないやり取りもあります。