18 仕込み中なう
包丁を抱えて周囲に気を付けながら仕込み用の場所に戻ると、ディルナンさんの号令と共にホールに人が一斉に入って来た。一気に厨房が活気付いて行く。
オル葱のケースの一つに蓋をしてその上に道具類を置き直して座り、ケースを開くとそこには三本の形の違う包丁。小さな、私だけの包丁。嬉しさに顔を緩めつつペティナイフを取り出すと用意してあったボールの水で洗い、布巾で拭いた所でオル葱を手に取って皮を剥き始める。
子供の手だけで持つには心許無いので、エプロンの上で補助を付けながら作業していく。今度は芯を外さない。切り方によっては芯があった方が切りやすいしなぁ。皮を剥き終わったオル葱を指定されたケースに入れていく。
「ユーリ、怪我だけは気を付けろ」
「あい」
厨房に戻って来たディルナンさんの注意に答えると、次のオル葱を手に取る。
よし、昼御飯までにこの二ケースを全部剥く事を目標にしよう。
黙々とオル葱の皮を剥いていると、少しずつ剥き方のコツを掴んでいく。スピードも我ながら悪くない。
そうしている間にも、朝食に様々な格好の人達が訪れていった。同じ形の作業服でも色が何色かあったから、もしかしたら部隊によって色が違うのかな?だとしたら、鍛冶部隊は赤だな。
朝食の配膳にアルフ少年が立ち、オルディマさんが仕込みの傍らその補助をこなしていて、他の人達は昼食や夕飯の手間の掛かる物の仕込みに入っているのも見ていて何となく掴む。厨房の中心にいるのはディルナンさんを筆頭にシュナスさんとオッジさんで、他の人達は状況を見てそれぞれの補助に入っている。無駄な動きは一切無い。無い所か、一人で最低三、四人分の仕事を当たり前の様にこなしている。
正直、朝食の提供状況と残数を見ていて、厨房を十人で回しているのが異常だ。厨房の広さと提供状況的にこの三倍の人数がいても良い位である。…まぁ、これは私の感覚でなんだけど。
私のこの体でちゃんと調理出来る様になるのは当分は無理だし、分からない事だらけだから出来る事からきちんとこなしましょうかね。見るのも良い勉強になるし。
「ユーリ」
そんな中、ホールから名前を呼ぶ声に気付き、振り返る。そこに居たのは、エリエスさん。今日もとっても麗しいです。
「おいでおいで」と手招きされ、剥きかけのオル葱を置いて手とペティナイフを軽く洗って拭き、ケースに仕舞ってからディルナンさんから少し離れた所へ近付いて行った。
「たいちょ」
「ん? 何だ、ユーリ」
「エリエしゅたいちょが呼んでるんで行ってきてもいいですか?」
ディルナンさんにお伺いを立てると、ディルナンさんがエリエスさんに気付く。
「行って来い」
ディルナンさんの許可にホールへの出口へ向き直った。
「ちょっと待て、ユーリ。包丁はどうした?」
「あぶないからしまいました」
「…上等」
歩きだそうとしたらディルナンさんが思い出した様にストップを掛けたので、きちんと片付けた事も報告するとディルナンさんが「行って良い」と手で促す。
それを見てからホールに出てエリエスさんの元へと駆け寄って行く。
「エリエしゅたいちょ、おはようごじゃいましゅ」
「おはようございます、ユーリ」
「えへへー」
朝からエリエスさんみたいな美人さんに会えると嬉しいなぁ。その上、こんな美人さんに頭撫でて貰えるなんて最高だよ。食べてる人達に凄い見られてるけど、このポジションは譲りません。羨ましいだろー。自分でエリエスさんにお願いして下さい。
「エリエしゅたいちょ、どうしたんでしゅか?」
「昨日、執務室に戻ったらお菓子を沢山頂きましてね。お裾分けがてらユーリに会いに来たんですよ」
お菓子を態々持って来てくれたの!?何って優しいんだ、エリエスさんっ。どんなに怖いと言われていても、エリエスさんはこんなにも優しいじゃないかっっ。付いて行きます、お兄様!
「うふふ…そんなに目をキラキラさせて、本当にユーリは可愛らしい」
「あのね、エリエしゅたいちょが来てくれてうれしーですー」
こんな美人に「可愛い」とか素敵過ぎる微笑付きで言われたら照れちゃうじゃないか。よし、私も思いっきりリップサービスしちゃうぞっ。
…って、極上笑顔にシフトチェンジしちゃったー! か、勝てない。ぎゃふん。
「あぁ、このまま執務室に連れて行きたいですけれど、調理部隊が揃いも揃って”仕事”する気では無理ですね」
「? …ボクもおしごと中なの」
何だか良く分からないぞ、エリエスさん。調理部隊は現在進行形でフル回転で仕事してるけど。
今浮かべてらっしゃるその笑み、美人だけど意味深ですよね。はて?
「さ、お菓子です。そのポーチに入れておくといいですよ」
「ふわ、いっぱい。…いいんですか?」
「勿論ですよ」
「ありがとーございましゅ」
不思議に思ったけど、差し出されたお菓子の前に考えは霞と消えた。
綺麗に個包装された、カステラの様なミニケーキを両手に一杯に頂いてしまった。これでお裾分けってどれだけ貰ったんだ、エリエスさん。美味しそうな甘い匂いがする。くんくん。
「では、私は戻ります」
「エリエしゅたいちょ、がんばってくだしゃいなの」
「…ユーリの応援があれば百人力ですね。行ってきます」
「いってらっしゃいー」
エリエスさんが食堂を出て行くまでお見送りして、厨房の中の定位置に戻ると持っていたお菓子を鼻歌混じりにポーチに詰め込む。昼食の時にでも調理部隊のメンバーにも分けよう。
途中十時のおやつの如くシュナスさんにオレンジとグレープフルーツの中間の様なシトゥリと言う果物を食べさせて貰った以外はひたすらオル葱と向き合っている午前中。
昼食の配膳が始まるのを横目に、二ケース目に入ったオル葱と格闘していた。
「ユーリ、キリはどうだ…って、何だその顔は」
目標の二ケース終了まであと四分の一の所でディルナンさんが呼びに来てしまった。その後ろにはオルディマさんとアルフ少年、三馬鹿トリオのお兄さん達。タイムアップに余程ショックな顔をしていたらしい。
「…これで一ケース終わりだったのか?」
「んーん。これで全部なの…」
あーあ、目標達成ならずか。残念だわ。結構善戦してたんだけどなぁ。
「は? 全部??」
「いっこはできたの」
「”いっこはできた”って…これ、二ケース目か?!」
「あい」
剥き終わった一つをケースに転がすと、ディルナンさんにまじまじと見られていた。
「…お前は本当に予想の斜め上を行くな」
「?」
「まぁ、いい。後これだけならこのメンバーなら直ぐ終わる」
ディルナンさんが言うと、ディルナンさんは勿論、後ろにいた五人も腰に佩いていた包丁を取り出して皮剥きに加わる。仰る通り、五分も掛からず終わっちゃったよ。皆様揃いも揃って異様な程に速い!
午前中ですっかり扱いの慣れた魔術でボールの水を替えて布巾を洗い、包丁を拭く様に渡す。
そしたら、布巾をオルディマさんに笑顔で絞り直されてしまった。凄い水が出てショック!
戻って来た布巾で自分のペティナイフを洗ってから拭き、ケースにきちんと仕舞った。
「よし、昼飯にするぞ」
ぐー
ディルナンさんの言葉に、声よりも早くお腹の虫が答えていた。手だけは上げていただけに、爆笑されちゃったじゃん。恥ずかしい!
朝食と同じ様に奥の調理台に昼食が用意されていたんだけど…
「じーちゃたちは?」
まだ四人、来てないよー。
「全員で食べるのは朝飯だけだ。後は状況を見て二部交代制で食べる」
そうか。確かにこの忙しさで全員揃ってなんて難しすぎる。むしろ、何で食事の準備が間に合ってるのか不思議なぐらいだもんなぁ。残念だけど。
気を取り直して台を見ると、昼食はミートソースのパスタだった。それに、たっぷり野菜とシトゥリのヨーグルトドレッシングのサラダ。本当は更にパンが付いていたんだけど、私には無かった。代わりに何か果物のジュース。確かに食べ切れないけど。しかも、私のパスタは食べやすい様にマカロニにしてくれていた。こんなに忙しいのに、特別待遇してくれたんだ…っ。
「おやっさんがデレてる!」
「キモイ!」
「ユーリちゃん何者だ!?」
「三馬鹿っ!」
「「「サーセン!!」」」
折角感動してたのに、三馬鹿トリオの兄さん達がホラー漫画の様な恐怖に染まった不気味な顔で叫び、オッジさんの怒声が響き渡った。三馬鹿トリオの兄さん達や、私の感動を返しておくれ。
絶妙な茹で加減のマカロニに新鮮なトマトの甘みと仄かな酸味がお肉の旨味とマッチして更に他の野菜と絶妙なハーモニーを奏でる最高に美味しいミートソース、サッパリ美味しい果物いっぱいのサラダに舌鼓は鳴りっぱなしです。デザート代わりのジュースも桃味で幸せ。
そんな昼食を美味しく頂いたら、抗えない程に強い睡魔が襲ってきました。子供の体は本能に忠実だな。それともこれって防衛本能なのかな?
「ユーリ」
ウトウトしかけていたら、ディルナンさんがペーパーで口の周りを拭いてくれた。トマトソース付いてましたか。ありがとうございます。
「今からお前はお昼寝の時間だ。起きたら今度はタシ芋の仕込みをして貰うから、しっかり休んでおけ」
「おいも…」
指示を貰っても頭に入ってこない。眠すぎる。
「おっと。…しょうがないヤツだな」
机に顔面ダイブしそうになったら、ディルナンさんが止めてくれた。そのまま抱っこされてポンポン背中叩かれたらもうダメです。
おやすみなさい。ぐう。