12 弄ばないでー!
「ユーリ、前掛けは外しておけ。それは厨房だけで着用するのが暗黙の了解だ」
嬉しくてベッドの上でぴょこぴょこ跳ねてたら、ディルナンさんにストップを掛けられた。
大人しくサロンエプロンを外したはいいが、どうしたものかと思ってディルナンさんを見てみると、丸めてお尻のポケットに押し込んでいた。取り敢えず真似してみる。
「…男らしいわね」
私の行動を見ていたカラフさんが思わず零した一言がグサッと突き刺さる。
昔から男女問わずに散々言われ続けた言葉だけど、異世界でも言われるとは…っ!
「おとこらしいの」
悔しいから、にっこり笑ってやる。…って、あれ、カラフさん怒っちゃった?
「こんなに可愛いのに、ディルナン隊長がそんなエプロンの入れ方してるからユーリちゃんも真似しちゃったじゃないのっ! しかも、”男らしい”なんて言われて嬉しそうなんてっっ!!」
「…悪ぃ」
「ダメよ、こんなの絶対に許せないわっ! 大急ぎでエプロンとハンカチを入れられるポーチを用意してくるっっ!!」
何故かカラフさんの怒りの矛先が私じゃなくディルナンさんに向かっちゃったよ。
ディルナンさんも何故にそんなバツが悪そうに謝るのさ。いいじゃん、ポケットに突っ込むの楽だし。
だというのに、カラフさんはハッスルしてダッシュで医務室を出て行ってしまった。
どうやらエプロン収納ポーチを作ってくれるそうな。
「さて、話も終わりましたし、私もそろそろ仕事に戻ります」
カラフさんが出て行ったのを一緒に見送っていたエリエスさんがそう切り出した。
思い掛けない暇乞いに虚を衝かれ、少し遅れて一気に淋しさが襲ってきた。
書類部隊の隊長さんであるエリエスさんは本当なら物凄い忙しい筈なのに、今まで態々一緒に居てくれたんだ。もっと一緒に居たいなんて我が儘は言っちゃいけない。
「…そんな可愛らしい顔をしていると、さっそく連れて行ってしまいますよ?大丈夫、私はこの北の魔王城にいます」
「あい…」
「ユーリは書類部隊の一員なんですから、いつでも私の執務室にいらっしゃい。ディルナンに愛想尽かしたらずっといてもいいんですからね」
淋しいと思ってたのが顔に出てたのかな。
それにしても、よしよしと頬を撫でてくれる手は優しいのに、さり気無くディルナンさんを出しに使うエリエスさんが実に素敵です。
でも、言葉の内容はエリエスさんの手と同じ様にとても優しくて温かい。
「誰が渡すか!」
「ふっ、精々ユーリに愛想を尽かされない事ですね。では、ユーリ、仕事の日を楽しみにしていますよ」
それに抗議するディルナンさんを軽々とあしらい、エリエスさんが物凄くスマートに医務室を後にした。流石はエリエスお兄様。思わず見惚れる様にして見送ってしまったじゃないか。
「ユーリ、ディルナンに愛想を尽かしたら、医療部隊でも良いからな」
「おい、こらオッサン。テメェまで何を吹き込んでやがる」
そこへヴィンセントさんまでウインクしながら便乗してくる。この人、本当に茶目っ気があるなぁ。
「さて、冗談はこれぐらいにして、ユーリに聞きたい事があるんだ」
散々ディルナンさんをからかって遊んだ所で気が済んだのか、ヴィンセントさんが私に向き直った。
いやぁ、凄かった。
何がって、さっきのディルナンさんの「吹き込む」って言葉に悪乗りしたヴィンセントさんがディルナンさんの肩を抱き寄せて、ディルナンさんの耳元で物凄く甘ったるい声で延々と「医療部隊にも私を寄越せ」って囁いてたんだよ。
私からは多少の距離があったし囁き声だったにも関わらず、心臓バクバクのチキンスキンになりました。バクスさんも腕を摩ってたし仲間だと思う。恐るべし、ヴィンセントさんの魔性の声。
だというのに、ディルナンさんは心底嫌そうな表情を浮かべただけで只管それに耐えていました。
下手に抵抗しないのは、何か学習する様な事でもあったのかと下世話な想像をしてみたり。
責め苦が終わった現在のディルナンさんはどこかゲッソリしていてそれがまた退廃的な雰囲気と言いますか。げふん。
「ディルナンの事なら心配はいらないよ。君は本当に可愛い子だね」
…すみません。心配じゃなく、ただ単に変な想像をしていただけです。
けれど、今のヴィンセントさんは優しいお父さんの様な雰囲気。良かった良かった。
「ユーリ、君の記憶の始まりを言えるかな?」
そんなヴィンセントさんに投げ掛けられた質問に、少し考えてみる。
それって、この世界の最初の記憶でいいんだよね?
「…んとね、おにいちゃまに会った日。目が覚めたら凄くお腹がすいてて、のど渇いてた。お水をさがして飲んで落ち着いたら、おかしかったの。何にもわからなかった」
いきなり周りはジャングルだし、生態系は明らかにおかしいし、自分は子供サイズに縮んでたし。
「ボクはだれだろう?どうしてあんな所にいたのかな…」
もう今になれば分かる。この”小さな私の体”も単なる迷子なんてレベルじゃないって。
これからどうするのかを働かせて貰いながら真剣に考えて、自分の力で生きていく為の術を得ていかなきゃ。本当の意味で頼れる人なんかこの世界には居ないんだ。
…あぁ、私は本当に平和ボケをしていたんだな。
今の今までディルナンさんが側に居てくれたから不安から目を背けてた。調理師として働けるって、それしか考えない様にしていた。
凶暴な魔獣がいる。魔法だってある。北の魔王城の隊員として生きていくにも戦力を求められる。
それはつまり、命の危険が身近にあるって事だ。
現代日本の感覚ではいられない。少し考えれば簡単に分かる事だったのに。
「ユーリ、分からなくていいんだ。ただ、どこまで分かってるのかを聞きたかっただけだからね」
「え…?」
思考の深みに嵌り掛けていたら、ヴィンセントさんに声を掛けられて我に返る。
「ディルナンが北の魔王城へ連れて来て、エリエスが仮とはいえ入城許可を出した。その時点で君は此処で働く資格を得ている。だから、投げ出される事も無いし、どうしても正式許可が出なかった時は私の家においで。子供は成人して家を出ているし、嫁さんも子供好きだからな。料理を習いたければその時に方法を考えればいい」
「…でも」
「いいんだよ。子供は素直に甘えて、難しい事は大人に任せておきなさい」
「ふぐ」
…ヴィンセントさん、頬をそんなに引っ張らないで下さい。
痛くない様に絶妙な加減をしてくれてるのはありがたいですが、ブサイクな顔になります。
「ふむ、こうやっても可愛いとは中々の小悪魔になりそうだね」
なりません。有り得ません。
放して欲しくてじたばたしてるのに、ヴィンセントさんはどうして笑ってるだけなの?!
結局、私もさっきのディルナンさんの如くヴィンセントさんに弄ばれ続ける羽目に。
さっきは変な想像して本当にゴメンナサイ。お願いだから、そろそろ助けて、ディルナンさんー!