別視点38 誕生の奇跡(ソフィエ視点)
「隊長、おはようございます」
「エスメリディアスの所に向かうんですね」
「ドラゴン達によろしく伝えて下さい」
通常よりも一刻程早く出勤して期日の迫っている書類を優先的に捌き、夜勤以外の隊員達が出勤してきた所で朝礼を行って夜勤組から日勤組へと引き継ぎや今日の予定確認を行ったら騎獣部隊のドラゴン舎に向かい、相棒の所へ暫し留まるのがここ四日間のオレの習慣となっている。
エスメリディアスの卵が生まれたのはこれが二度目。
けれど、一度目の出産で生まれた卵は孵化する事なくその命を失った。
その事が尾を引いて、孵化が間近に迫るにつれエスメリディアスはどこか塞ぎ込みがちだ。
普段ならばオレが毎日顔を出すだけでなく、エスメリディアスの番であるアルスティンが可能な限り四六時中傍にいて寄り添う。
しかし、魔王様の西領訪問の仕事の為、その騎獣であるアルスティンはエスメリディアスの傍を離れざるを得なかった。
できるだけ時間を取れるように努力はしているが、隊長としての日々の仕事は待ってくれない。
他のドラゴン達もエスメリディアスに気を配ってくれているが、ドラゴン舎の空気はどこか暗い。
できる事が少ない現実が歯がゆいが、それでもオレにできる事と言えば相棒の卵が無事に孵化する事を切に祈るばかりだ。
いつもの道を通り、ドラゴン舎へと辿り着く。
その入口に騎獣部隊隊長のヤハルが立っていた。
「ヤハル、おはようございます。珍しいですね」
「おぉ、ソフィエ。おはようさん」
ヤハルは騎獣部隊においてドラゴンの扱いでこの人に敵う存在はいないと言われる、ドラゴンマイスター。
とは言え、その姿がこんな朝早くにあるのは珍しく、何かあったのかと少々不安になった。
問い掛けようと口を開きかけたその時、ヤハルがオレの後ろにやってきたらしい騎獣部隊副隊長のツェンに手を振りつつ声を掛けた。
それに振り返ると、そこにはツェンだけでなくツェンに手を引かれて歩く幼子の姿があった。
「あぁ、隊長。おはようございます」
「ヤハルたいちょ、おはようございましゅ」
「おはよう。ユーリもよく来たのぅ」
三人がそれぞれ挨拶を交わすのを見て、まさかの事態に驚く。
どう見ても、幼子をドラゴン舎に入れるのだろう。
……幼子に間近でドラゴンを見せて大丈夫なのか? それも、この孵化間近のドラゴンが二頭もいる状況下で。
「ソフィエ隊長もおはようございます。今日はいかがなさいました?」
「おはよう、ツェン。…………エスメリディアスの状況を確認しに、な」
そんなオレに、ツェンがにこやかに挨拶と共に声を掛けて来た。
何とか用件を口にすると、ヤハルとツェンが揃って「あぁ」と言わんばかりの表情を浮かべる。
それに首を傾げる幼子に、ツェンがエスメリディアスの事を説明していた。
「ソフィエたいちょ、おはようございましゅ。それとはじめまちて。ユーリでしゅ」
「あぁ、おはよう。機動部隊隊長のソフィエだ」
そんな中、幼子が挨拶と自己紹介をしてきたのでそれに返す。
幼子…ユーリなりに何か感じるものがあったのか、状況を聞いて入って大丈夫かを騎獣部隊の二人に確認していた。
どうやら子供の我儘でやって来た感じではないらしい。
前以て騎獣部隊の二人がドラゴンの長老達に確認も取っている上に、長老達がノリノリ……。
ならば、ドラゴンを見て早々に間近で泣き叫ばない限りオレが何かを言うことは無い。
正直、仮入隊から先に進む確率がこの上なく低い幼子に興味も無い。
三人に断りを入れて先にドラゴン舎に入ると、入って早々にいつもなら奥に陣取る長老達と出くわす。
「……おはようございます」
《おはよう》
何故こんな所にと驚きつつもどうにか挨拶をすると、とてもご機嫌なのが分かる声で揃って挨拶が返ってきた。
…そう言えば、ドラゴンは小さな生き物が大好きだったな。怖がられる事の方が圧倒的に多いが。
この入口付近でユーリを出迎える、という事か。
それにしても、普段の面倒くs…いや、誇り高い姿はどこにいった?
そんな長老達の様子に、他のドラゴン達も笑っている。そして本竜達もどこか楽しみにしているのだろう。
ここ最近では久しく明るい雰囲気のドラゴン舎を進むと、一番奥には他のドラゴン達に守られるようにして卵を抱えた二頭がいた。
どこか上の空で未だこちらに気づいていないエスメリディアスと、そんなエスメリディアスに気を遣ってオレに目礼で挨拶を送ってくれたミルレスティ。
同じ様にミルレスティに目礼で返す。
「おはよう、エスメリディアス。今日もいい天気だぞ」
〈…………朝か。おはよう、ソフィエ〉
どうやら、まともに寝る事さえできなかったらしい。
卵からできるだけ遠くである事を心掛けて、細心の注意を払って近付き、そっとエスメリディアスの美しい水色の鱗を撫でる。
そうしていると、入口付近で楽しそうな笑い声が上がった。
どうやら、ユーリは無事にドラゴンとの対面を果たしたらしい。
それを尻目に、近付ける範囲で可能な限りエスメリディアスの手入れを行っていく。
常のエスメリディアスは手入れで身だしなみを整えるのが好きだ。
少しでも気晴らしになればいいのだが。
丁寧に作業を行っていると、気付けばユーリが卵を抱える二頭のすぐ傍まで来ていた。
〈人型の子、どうかした?〉
「綺麗などらごんしゃん達、おはようございましゅ。…ここからなら見ててもいいでしゅか?」
ミルレスティがその対応に当たってくれているが、エスメリディアスは相変わらず上の空。
何故、こんな近くまで。
そう思って視線を向けると、ユーリの傍には赤の長老が控えてその動向を監視していた。
それでも近付ける理由が、何かあるのか?
手入れを終えて一息吐きつつエスメリディアスの鱗を撫でていると、赤の長老と話していたユーリが聞き捨てならない言葉を口にした。
「赤いママさんの卵は赤い光。水色のママしゃんの卵は…白い光」
〈!? 白、じゃと…っ!〉
白は魔力を色で表す上で光属性の魔力の代名詞。
それはオレや赤の長老だけでなく、このドラゴン舎にいる存在全てにとって。
誰よりもエスメリディアスにとって絶望的な言葉と言っても良い。
ユーリは、魔力可視能力を持っているのか?
理解したくない。
けれど、焦燥感を覚えつつも冷静に赤の長老がユーリに確認をすればする程にそれは現実味を帯びていく。
それはオレ達は勿論、当のエスメリディアスが一番だった。
事実ならば、それこそが前の卵が孵化しなかった理由。そして、今回の卵も危うい。
これには、普段ならば決して人前で涙など見せる事の無いエスメリディアスが呆然と涙を零していた。
一気に重苦しい絶望に包まれるドラゴン舎に、入口付近で見守っていたヤハルとツェンが異変を察知して即座に駆け寄ってきた。
「ねーねー、赤いおじいちゃま」
〈…何かの、“竜の愛し子”〉
「ママさん達の卵、もうすぐ生まれる?」
〈そうじゃな。予定では、明日にも生まれる筈だ……〉
どうすればいいのか、何と言えばいいのか。
誰もが口を開くのを躊躇していたドラゴン舎に、ユーリの幼子特有の高い声が響く。
その問い掛けに赤の長老が難しい表情で答える。
「―――…水色のママしゃん、ソフィエたいちょ、ボクにその卵を触らせてもらえましゅか?」
そうかと思えば急に変わった話題に、その内容に、エスメリディアスと共にユーリを見た。
自殺志願かと思える、無茶苦茶な言葉。
「ボク、光属性の適性がありましゅ! だから、その卵に触ってみてもいいでしゅか?」
けれど、続いたその言葉に誰もが絶句する。
光属性の魔素が皆無と言っても差し支えないこの魔大陸で、まさかの光属性の魔力所持。
しかもこのタイミングで奇跡的に現れたそんな幼子に驚きが広がる中、ユーリは更なる爆弾をサラッと投下した。
この午前中を乗り切れば、午後には更に光属性の代名詞と言っても過言ではない天使族が二人以上来城すると。
「……それは、本当か?」
「あい、ソフィエたいちょ。…ボク、大したことはできないと思うけど、ここで諦めちゃったらおしまいだから。どらごんのあかちゃん、二頭そろって見たいのー」
「エスメリディアスの子を、諦めなくていいのか?」
「その子はまだがんばって生きてる!」
ユーリの言葉に、絶望しか見えなかったドラゴン舎に少しずつ光が満ちていく。
絶望が齎す不安や焦燥が、それと同時に微かな希望へと変化する。
不思議な感覚だった。
絶望の切っ掛けとなったのは、他の誰でもないユーリの一言だった。
けれどそのユーリこそが誰よりも冷静に周囲の状況を見て、できる事を考え、その命を諦めていなかった。
大きな紫の瞳は周囲の圧倒的な熱量のある視線に晒されても一切揺れる事なく、静かに凪いでこちらを真っ直ぐに見返してくる。
それが相手に、周囲にどれだけの安心感を与えるか、ユーリは分かっているだろうか。
何故かこの場にいない、アルスティンの瞳を彷彿とさせた。
「だから水色のママしゃん、ボクに、許可をくだしゃい」
そして真っ直ぐぶつけられた真摯な願いは戯言とならずにエスメリディアスに届き、その心を揺さぶった。
〈―――……吾子が、助かるのならば…妾は何でもする〉
「!」
〈人型の子…………どうぞ、助けておくれ…〉
「がんばる!」
ずっと塞ぎ込むだけで決して口にしなかった助けを求める言葉が、エスメリディアスの口から零れた。
それを聞くなりユーリは次々とヤハルとツェンにお願いをし、二人が動くと同時に自身もトコトコとエスメリディアスの足元、卵の正面にやって来てそっとその殻を撫でる。
相手に害するつもりは無くとも己の命並に大切であろう卵に触れられ、本能的な警戒にエスメリディアスの体が強張った。
「ママが待ってるよー。がんばれー」
〈吾子…〉
「元気にでておいで」
ユーリはそんなエスメリディアスに気付いた訳ではない。
それでもただただ卵を気遣う優しいその声音と言葉に、慈愛に満ちた表情に、エスメリディアスの警戒がスッと解かれた。
卵の行く末を少しでも近くで見届ける為にその首を可能な限り近付ける。
ユーリから譲渡されているであろう光属性の魔力で卵が淡く輝き、その柔らかな光がドラゴン舎にも広がっていく。
種族が全く違う、今日初めて会っただけの存在の筈だ。
だと言うのに、何の見返りも求めずこんなにもドラゴンに尽くしてくれる人型の幼子。
ドラゴン達に嫌える訳が無い。それどころかこの幼子に対して愛しさが増すばかりだろう。
それは分かるが、長老達、この感動の場面でその長い首を揃いも揃ってくねらせて《尊い……!》と叫ぶのをやめてくれ。
成竜達も目一杯力加減をしているとはいえ、無言でドスドス壁を蹴るな。地震が起きたらどうする。卵に悪影響だろうが。
いくらオレしか見ていないとは言え、色々とぶち壊しだ。
ヤハルとツェンに連れられて、医療部隊と魔導部隊からヴィンセントとシェリファスを筆頭に六人、竜舎に一気に人が増えた。
こうなると下手にエスメリディアスの気に障っては大事になりかねない。
そっと気配を消してその傍を離れ、入口付近の他の面々と合流する。
「ソフィエ、どんな状況じゃ!?」
「二人がドラゴン舎を後にしてあの通り、すぐ魔力譲渡が始まった。そのまま特に変化はない」
長老達の名誉の為にも、先程のアレコレは黙っていた方がいいだろう。
「…色々と聞きたいことはあるが、まずは順を追って説明してくれ。正確な状況確認がしたい」
そんな中、ヴィンセントが口を開くと、ヤハルが頷く。
「今日のユーリは正式には公休日でな。前々からのディルナンの依頼があって、午前中にドラゴンに会わせる予定じゃったんじゃ。あの子はツェンと同じ、魔獣に好かれる体質の疑いが濃厚だったからの」
ヤハルの説明に知っていたらしいヴィンセントとバクスが頷くが、他の面々は微かに驚く。
ディルナンの騎獣の洗礼を抜けたのは先の部隊長会議で聞いていた。だが、まさかそんな体質を秘めていたとは。
「隊長会議が明日じゃろ。ユーリは分からない事が多いから、一つずつ可能性を確認しつつ色々潰していっているんじゃ。その中の一つが今回の機会なんじゃが。…結果は予想以上じゃ。『竜の愛し子』じゃと」
『……?』
ヤハルが告げるが、ツェン以外はそれが何を意味するのか分かっていない。
オレも含めて揃ってそれは何だと言う視線をヤハルに向ける。
「『竜の愛し子』は、ドラゴンの群れの長直々に「この子ウチの子! ドラゴン全員で守れ」っちゅうのを契約でドラゴン達に示してる存在らしくての。…ツェン以上のドラゴンまでタラせる体質とドラゴンの群れの長に懐ける規格外の子供だけが張本竜と契約できるそうじゃ」
『は?』
「いやー、ユーリちゃん、初対面のドラゴンが喋るのに驚いてもドラゴン自体は一切怖がらないし。それどころかいきなり「カッコイイ」発言で、意思疎通ができると分かったら長老達に鱗触りたいっておねだりしてたし。その流れで発覚したんですけど。若いドラゴンに至ってはユーリちゃんに鱗撫でられてデレデレに溶けてるのもいましたねぇ」
半分目が据わったヤハルの説明に、ツェンが苦笑に近い笑みを浮かべての補足。
何だそのそもそもがドラゴン全体と相思相愛なんてデタラメな契約は。
いや、だがドラゴンまでタラせる……是非とも新任竜騎士の調教の際に手を借りたい。
そんな事を考えていると、ヤハルとツェンに「そうだろう、そうだろう」と言わんばかりに手を握られた。
だが、ヴィンセントやシェリファスの視線が絶対零度だ。…この件は後だな。
ヤハルが話を戻すべくゴホンと咳払いを一つ。
「今、奥には孵化間近の卵を抱えてる母竜が二頭いるからユーリが近付かない様にしてたんじゃが、そんな訳で撫でまくっている内に奥に進んでしまっての。そうしたら、あの水色の母竜…ソフィエの相棒のエスメリディアスの卵が光属性の魔力持ちなのを見つけてのぅ」
「それは」
「恐らく、魔力可視能力じゃ。卵の魔力を赤と白の色で表現しておった。孵化すれば真偽がハッキリ分かる」
そんな中続いたヤハルの言葉に、今度はシェリファスが反応する。
「……そうか。これでこちらの能力もほぼ確定か」
「片鱗はもう既に見せとったんか?」
「闘技場で医療部隊の治療実習だったか。その時にオレの結界補修を見てそれらしい表現をしていたとの報告は医療部隊の指導担当のフォルから受けていた。能力確定となると、魔導部隊として更に確認事項が増えた」
シェリファスのこの言葉に、ヴィンセントが頷いた。
「で、ユーリなりに状況判断をして今に至る訳じゃな。午後、天使族の医師が来るのじゃろう?」
「二人。医師と薬屋が来る予定になっている。医師の方に魔鳥で可能な限りの前倒しでの来城依頼を出したが……」
「状況によってはそれも難しい、か。それでもその来城まで頑張ってみると言っておった」
「予定通りならば二刻くらいか。……それまでユーリが持つか心配だ。あの子は同年代の幼子よりも圧倒的に体力が無いのが分かっている。それに魔力も決して潤沢とは言えない」
ヴィンセントが眉間を微かに寄せながら心配点を挙げる。
だが、もう我々には何も手を出せない。
「こうなってしまっては、もうオレ達でさえエスメリディアスに下手に近付く事はできない。できるのは見守る事と祈る事だけだ」
己が子竜の卵に触れているユーリへの接近は、余程の理由がない限りは今やオレでも難しいだろう。
他の面々と同じ位置から、相棒達へと視線を向ける。
どうか、全てが無事に孵化しますように。
途中でユーリの発汗の激しさに体調が危ぶまれ、水分補給の為にどうにかエスメリディアスに近付いたものの、相棒になったばかりの頃のように近付いただけで威嚇される事になり。
飲み物を飲ませている間もユーリの集中は全く途切れず、ただ卵に寄り添い続ける。
途中、ミルレスティの卵からユーリの予言通りに火属性の魔力が強い赤竜が孵化しても、周囲の喜びに気付く事なく直向きにエスメリディアスの卵に向き合っていた。
徐々に色々なモノが削られていくのが分かる幼子に、周囲の心配も比例して募っていく。
ほぼ限界に近いユーリの状態に、エスメリディアスの瞳が涙で揺らぐ。
本来ならば間違いなく母親としての本能が勝つ。
だが、生まれるか分からない己が子竜と、ドラゴンと相思相愛な契約で結ばれた『竜の愛し子』。
究極の状況にギリギリの天秤がエスメリディアスの心の中で揺れ動き続けているのだろう。
こういう土壇場になると存在するかも分からない神に祈りたくなるのは何故だろう。
それはオレだけでなく、最早種族さえも関係ないらしい。
年若い、どうにか幼体を抜けたばかりの雌ドラゴンが固く前足を握り合わせている。
その母竜も、そんな娘に寄り添って目を伏せている。
そんな状況に限界だと声を上げる者が出る中。
ドラゴン舎にいた存在全てが、通常よりも圧倒的に小さな純白の光属性の魔力持ちの子竜の誕生を目撃した。
その愛らしく、小さな産声を耳にした。
祈りが届いたかのように、奇跡は確かに我々の目の前で起こった。