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Page2——For someone?——

 朝、目が覚めた時、昨日のことを思い出そうとした。


 思い出せないわけではない。

 健康診断に行って、友達と食事をして、喋って、それから帰った。

 順番に並べることはできる。


 ただ、その中にいた自分だけが、うまく思い出せなかった。


 どこで何をしていたかは分かるのに、どう感じていたのかが曖昧だった。

 最初からそこに存在していなかったかのように、輪郭だけが抜け落ちている。


 考えようとして、やめた。


 答えが出るようなものではない気がしたからだ。


 カーテンの隙間から入る光は、昨日よりも少しだけ強い。

 季節は進んでいるらしい。


 その事実だけが、やけに現実的だった。



 大学に向かう道は、変わりなく、信号の位置も、曲がるタイミングも、いつもと同じだ。


 それなのに、どこかだけがずれているような感覚が残っている。


 理由はわからない。

 ただ違和感だけが、形を持たないまま続いていた。


 今日から講義が始まる。教室には何人かすでに集まっていた。


 いつもと同じ顔ぶれ。

 同じような距離感で、同じように会話をしている。


 その中に入っていくことに、特に抵抗はなかった。


「おはよう」

 声をかけると、何人かが軽く手を挙げる。


「ちょうどよかった」


 早川がこちらを見た。


 机の上にはパソコンとメモ用のタブレットが広げられている。

 タブレットに配布資料の書き込みをしているようだったが、途中で止まっていた。


「これ、お願いしてもいい?」


 覗き込むと、内容はある程度まとまっている。

 ただ、流れが少し途切れていた。


「ここ、順番変えた方がいいかも」


 そう言って、タッチペンを借り、いくつか書き足す。


「ああ、そっか」


 早川はすぐに頷いた。


「やっぱり、ちゃんとしてるよね」


 その言い方は静かだった。

 評価というより、確認に近い響きだった。


「任せた方が安心する」


 その一言で、少しだけ思考が止まる。


 安心。


 その言葉は、曖昧なようでいて、分かりやすかった。


 何をすればいいのかが決まっていて、それをこなせばいい。

 そこには迷いがない。


「別に対したことじゃないけど」


 そう言いながらも、内側では少しだけ安心する感覚があった。


 役割がある、というのは楽だと思う。


 何をすればいいのかが明確で、それを求められている状態は、余計なことを考えなくて済む。


 そこにいる理由を、自分で考えなくてもいい。



「それ、まとめる人って決まってるんですか」


 後ろから声がした。


 振り返ると、白石が立っていた。


 いつの間にいたのか分からない。

 特に目立つ動きをしたわけでもないのに、気づいた時にはもうそこにいる。


「まだ決めてないよ」


 早川が答える。


「じゃあ、このままお願いしてもいい?」


 視線が一瞬だけこちらに向く。


 断る理由は特になかった。


「いいよ」


 そう答えると、白石は小さく頷いた。


「ありがとうございます。」


 その声が平坦で、感情の起伏がほとんどない。



 そのまま作業を進める。


 内容を整理して、抜けている部分を埋めて、全体の流れを整える。


 やるべきことは明確で、手は自然に動いた。


 特につまることもなく、一定のペースで形になっていく。


「早いな」


 横で早川が言う。


「まあ、慣れてるし」


「やっぱり任せてよかった」


 その言葉に、違和感はなかった。


 むしろ、当然のように受け取ることができた。



「こういうのって」


 白石の声が、少し間を置いて入る。


「いつも同じ人がやってますよね」


 手が一瞬だけ止まる。


「まあ、そうかも」


 早川が軽く答える。


「できる人に頼むからね〜」



 白石はそれを聞いて、少しだけ視線を落とした。


「そういうものなんですね」


 それだけ言って、特に続けることはなかった。



 会話はそのまま別の話題へと流れていく、


 誰も引っかかっていないようだった。



 作業を再開する。


 さっきと同じように、手は問題なく動く。


 効率も落ちていない。



 ただ、どこかだけがずれている感覚が残っていた。



 自分がやっていることは、確かに役に立っている。


 それは間違いない。


 求められていることに応えて、その結果として、任せられる。


 それだけの話だ。



 それで十分なはずだった。


 少なくとも、今まではそれで問題なかった。



 それでも、さっきの言葉が、完全には消えない。



 ———いつも同じ人。



 その通りだと思う。


 否定する理由はない。



 むしろそうなる方が自然だ。



 できる人がやる。

 できない人はやらない。



 それだけのことだ。



 もしそうだとしたら。



 自分がここにいる理由は、どこにあるのだろう。



 作業はそのまま続く。


 会話も、特に問題なく流れていく。


 笑い声も、相槌も、いつもと変わらない。



 その中で、自分だけが少し浮いているような感覚があった。



 必要とされている、という感覚はある。


 それは確かだ。


 求められれば応えることができるし、それに対して不満もない。



 むしろ、その状態は楽だと思う。



 何をすればいいのかが決まっていて、


 そこにいる理由を、自分で考えなくてもいい。



 それでも、



 その中にいるはずの自分が、



 どこにいるのかは、よく分からなかった。

Page2を読んでいただき、ありがとうございます!よければ感想、レビューなどよろしくお願いします!

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