第8話
午前十時。
本日は土曜日であるため、里見に学校はない。退魔師としての活動があるとすれば今日だろうと、雅兎は張り込んでいたのだが……彼女は一向に姿を現さない。
「もしかして、深夜とか早朝に活動してるのかな」
隣で陽気に飛んでいる人魂に尋ねてみるも、返答はない。
雅兎は首を回し、凝り固まった背筋を伸ばした。肉体的疲労はないはずだが、精神的に疲れてくる。
それから十分程して。
ようやく里見の部屋の扉が開き、私服姿の彼女が現れた。
淡いクリーム色の半袖シャツに、キュロットパンツ。足元はスニーカーで、黒いタイツを合わせている。動きやすさを重視した、いかにも「これから何かします」という格好だ。
鍵を閉め、階段を降りて行く背中を、雅兎は追った。
今の自分は霊体だ。周囲の目を気にする必要がない。漫画のように電柱に隠れながらの尾行も、余裕でこなせるわけである。
アパートを出てしばらく歩き、人通りの少ない路地に入ったところで。
里見はピタリと足を止めた。
雅兎も慌てて、近くの電柱の陰に隠れる。
「ばれてるわよ、柴石さん」
背中越しに告げられた言葉に、雅兎は「たはは」と苦笑いをして姿を現した。
「……駄目だって言いいましたよね?」
「ごめん」
里見は大きく息を吸い込み、不満げにそっぽを向きながら言った。
「……今回だけですから」
「えっ、いいの!?」
「今日だけですよ、今日だけ」
里見は諦めたように、再び歩き出した。
雅兎はガッツポーズをして、意気揚々とその後を追いかける。
隣に並んで歩きながら聞いたところ、今日の仕事には危険な予測がないらしい。だから特別に同行が認められたのだろう。
◇ ◇ ◇
しばらくして二人が到着したのは、とある洋館の前だった。
閑静な住宅街の中で、その古めかしい二階建ての洋館は異彩を放っている。
近隣住民で知らない者はいない有名な建物だ。
かくいう雅兎も、この場所には覚えがあった。
もっとも、彼の場合は中に入ったことまであるのだが。
――去年の暮れの出来事だ。
雅兎が屋敷を見上げながら記憶を手繰り寄せていると、ワイワイとした子供たちの声が近づいてきた。
里見がサッと電柱の裏に隠れる。つられて雅兎も隠れた。
「別に、柴石さんはそのままで居ていいのに」
「あ、そうか。僕は見えないんだった」
雅兎の身体は霊体だ。仮に不法侵入しようとも、誰にも気づかれない。もっとも、そんな事をするつもりはないが。
館の門前にやって来たのは、男女三人の小学生たちだった。
その中で特に身体が大きく、リーダー風の少年が意気揚々と洋館を指さした。
「ここだぜ、幽霊屋敷!」
続いて、見るからに気弱そうな少女がおずおずと言う。
「ね、ねえ本当に入るの?」
「勿論だぜ。お前もわくわくすんだろ?」
「し、しないよぉ! やめようよぉ!」
二人のやりとりに、今度はメガネをかけた少年が割って入った。
「ま、幽霊なんていませんし、怖いことなんてないでしょう」
そう言うメガネ少年の膝がガクガク震えているのは、見なかったことにしてあげよう。
電柱の影から様子を窺っていた里見が呟く。
「近頃、この館で幽霊が出るって噂が、小中学生の間で流行っているんです」
「なるほど」
小学生たちの会話とも合致する。彼らの目的は肝試しで間違いないだろう。
……そういえば、と雅兎はこの館の主が半年前に亡くなった事を思い出した。 笑顔を絶やさない、素敵な老婦人。
雅兎が彼女と言葉を交わしたのは、たった一度きりだったけれど。
「コホン」
不意に、里見が姿を現した。
少年少女たちの前に立ちはだかる。雅兎も慌てて後ろについて行った。
子供たちから見れば、無表情の女子高生が突然現れたことになる。
「お、お姉さん誰だよ」
リーダー格の少年が問う。
里見は抑揚のない声で返した。
「遊び半分で人の家に入るのはやめなさい」
「ひ、人の家って、ここ誰も住んでないし」
「住んでいなくても、持ち主がいるの。持ち主が居る以上、勝手に入ったら住居侵入罪で警察に捕まるわよ」
真顔で淡々と言うものだから、一層恐ろしく響く。
実際は、小学生が見つかっても厳重注意で済むことが多い。
しかし、自由奔放な子供たちに単純な注意は効かない。「警察」「住居侵入罪」といった現実味のある言葉を使うことで、効果的に退けようというわけだ。
「う……」
少年が後ずさり、踵を返して走り去る。メガネの少年も尻尾を巻いて逃げた。 残ったのは気弱そうな少女ただ一人。
彼女は何度か周囲を見回し、おろおろとしている。
「さあ、貴方も帰りなさい」
里見は膝を曲げて視線を合わせ、優しく言った。
この少女が肝試しに乗り気でなかったのは明らかだ。これ以上怯えさせる必要はない。
「…………」
けれど、少女は立ち去ろうとしない。
もじもじとして、何かを言いたげな雰囲気だ。
里見が小首を傾げると、少女は蚊の鳴くような声を出した。
「……あの」
「ん?」
上目遣いで里見を見る少女の顔。
そこで雅兎は、はて、と思い当たった。
この少女に見覚えがある。
三つ編みされた栗色の髪。
胸に抱く、女の子の人形。
「そうだ、この子だ」
思わず独り言が漏れる。
里見の視線が、ちらりと雅兎へ向いた。
丁度一年前のこと。
何の用事だったかは忘れたが、この洋館の近くを通りかかった時、雅兎はこの少女が泣いている所に遭遇したのだ。
そして、その出会いがきっかけで、この洋館に入ることになった。
「っ、なんでも、ないです」
「あ」
雅兎が記憶に浸っている間に、少女は首を振って逃げ出してしまった。
「ま、人払いは出来ましたね」
そう言うと、里見は洋館の門に手をかけた。
「おいおい、観海寺さんは入るのかよ。警察につかまっちゃうぞ」
冗談めかして言うと、里見は首を横に振った。
「そもそも、この依頼は館の持ち主から受けたものなんです」
「あ、そうなんだ」
「ええ。近々取り壊される予定なのだけど、噂が本当だとして、作業中に祟られでもしたら困るからって」
納得した雅兎は、里見に続いて門をくぐる。
雑草が生い茂る庭を抜け、正面玄関へ。
里見がドアノブに手を伸ばす。
「さすがに、鍵かかってるだろ」
「さて、どうでしょうか」
ガチャリ。
思いの外、ドアは簡単に開いた。
雅兎が目を丸くしていると、「早く入りましょう」と里見から急かされ、慌てて洋館の中へと足を踏み入れた。
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