第7話
翌朝。
大学生活中には考えられない程の早朝に目覚めた雅兎は、玄関のドアを少しだけ開いて、じっと里見の部屋のドアが開くのを待っていた。
同行を断られた以上、雅兎が取れる選択肢は一つ。
「あれ、偶然だね」作戦、である。
里見を尾行して、あたかも偶然にその場に居合わせた風を装うのだ。
偶然であるからして、ばれなければ咎められる心配などなく、堂々としていられるわけである。
「おはようさん」
「あ、おはようございます」
「……うす」
「あ、おはようございます」
そうこうしている間に、アパートを出て行く住人たちと挨拶を交わす。
雅兎としては自己紹介をしたかったのだが、どちらも挨拶だけすると、さっさと階段を降りて去って行ってしまった。
気さくな感じで手を挙げたのは、無精髭が妙に似合う壮年の男性。
小声で会釈をしたのは、雅兎よりもずっと若そうな少年。
そのうち、正式に挨拶をせねばなるまい。
「ん?」
と、そこで雅兎はじとっとした視線を感じた。
横目で見ると、そこには中高生くらいの少女がいる。
おかっぱヘアに、ゴスロリチックな衣装。見覚えがあった。
「キミは、」
「お兄さん、新しい住人? どしてさとみんの部屋、じっとみてんの?」
「別に、どうもしないさ。キミは、えと、」
「鉄輪瞳子。座敷わらしなのよ」
瞳子は扉から顔だけ出す雅兎にぺこりと頭を下げた。雅兎も慌てて扉を全開し、正面から向き合う。
「ご丁寧にどうも。柴石雅兎って言います。えと、生霊です」
瞳子に倣って雅兎が自己紹介をすると、彼女はころころと笑った。
「お兄さん、おもしろいね。あたし隣の部屋に住んでるから、今後共よろしくなのよ」
「ああ、うん。よろしく。こっちとしては長く留まるわけにはいかないんだけどね」
「はは、そうみたいだね。ところで、結局なにしてたん?」
「え、っと……。その……まずい、言い訳が思い浮かばない」
「言い訳って、もう口に出してるのよ」
現状の雅兎は明らかに、何処からどう見ても不審者である。
だからこそ、それを覆す為にはそれなりの理由が必要だった。
雅兎は一つ咳払いをして、ちょいちょいと手招きをした。
「?」
瞳子が雅兎の目の前に立つ。
雅兎はポケットから、昨日里見から貰った飴玉を取り出し、瞳子の手に握らせた。
「飴玉。どしたん?」
「黙って受け取っておくと良い」
買収とは、古来より交渉の手段として使われる優秀なものだ。
瞳子の見た目は中学生くらいに見えるから、多分これで伝わるはずだ。
「ん、なら遠慮無くいただくの」
包装を剥がし、瞳子は飴玉をポイッと口に放り込んだ。
コロコロと転がし、美味しそうに舐める姿に雅兎はほっこりする。
「で、なにしてたん?」
「……まあ、そりゃそうですよね」
誤魔化しきれないと悟った雅兎は、掻い摘んで事の経緯を説明した。
途中で話に飽きたのか、瞳子は雅兎の傍に浮いていた魂を捕まえて、引っ張ったり伸ばしたりして遊び始めた。雅兎は魂をいたずらっ子の手から開放してやる。
「やめなさい。まあ、という事だ」
「なるほど、それでさとみんの後を追いかけよう、と」
「そう。見逃してはもらえない?」
「んー……。さとみんが嫌がる事はさせたくないし、でも、飴玉に免じて今回だけは、見逃してやるよ」
「おお、買収が成功した」
「もうすでに買収って言っているのよ。……まあ、今回だけだぞ」
「ありがとう」
「……」
「ん?」
会話が終わったにも関わらず、瞳子はその場に立ち尽くして、雅兎の顔をじっと見つめていた。
どうしたのだろうか。
「ううん」
瞳子は横に数回首を振った。
「管理人が、お兄さんの事を気にかけてあげてって、昨晩言いに来たのよ」
「そうなのか?」
「うん。管理人さんが、さとみん以外の誰かを気にかけるなんて初めてだから、他の二人も驚いてたのよ。お兄さんは、管理人さんの恋人か何かなのか?」
予想外の言葉に、雅兎は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ふえ? い、いやいやいや! そんな僕なんかにあんな美人の彼女が出来るわけないって」
「……美人? やっぱり、お兄さんは変なのよ」
「へ、変って……。管理人さんは、普通に美人じゃない?」
「顔の作りだけなのよ。根っこの部分はどうしようもないぐらいにひん曲がってて、ありゃあ恐ろしい女なの、よ……」
ポンッ、と。
瞳子の頭に、白く美しい手が乗った。
瞳子はガクガクと身体を震わせながら、そうっと、振り返った。
「あ……おはようございます、なのよ」
「瞳子? あまり人の悪口は言うものじゃないわよ?」
突如として背後に現れた銀。
完璧な笑顔であるのにも関わらず、人を恐怖させるオーラが凄まじい。
「柴石君」
「は、はいっ!」
笑顔の矛先が自分に向くと、雅兎は背筋を伸ばして敬礼のポーズを取った。
正面から見ると、まったく目が笑っていない。
「瞳子の言う事を信じちゃダメよ? まったく、この娘はいつも適当な言葉ばかりを口にするんだから」
ぽんぽんと軽く叩かれる頭。
瞳子は立ったまま小刻みに震え、気絶していた。
「……ここの住人は管理人を何だと思っているのかしら」
銀は腰に手を当てて頬を膨らませると、「それじゃあ柴石君、頑張ってね」と言い残して去って行った。
それから数分して。
瞳子はようやく意識を取り戻し、辺りをキョロキョロと見回した。
「行ったか!」
「またどやされるぞ……」
そこでふと、雅兎は昨日の銀との会話について思い返した。
病院で銀は自分にも「力」があると語った。
それを知るには、まずこの不思議な管理人について知るべきかもしれない。
「なあ、瞳子。管理人さんって超能力者か何か?」
「え? もしかしてお兄さん知らないの?」
雅兎は小首を傾げた。
「観海寺銀って言ったら、有名なのよ。『クリエイター』って二つ名に聞き覚えくらいない?」
「いや、僕がこういう世界に関わりを持ったのって、昨日からだし」
なるほど、と瞳子は頷き、「なら教えてあげるのよ」と無い胸を張った。
「退魔連合のSATと呼ばれる部隊、通称『強襲第二班』のリーダーにして、本人の実力も連合で五指に入るとされている女。それが、観海寺銀なのよ」
「……なんだか僕、触れてはならない部分に指先が抵触しているような感覚なんだけど」
「気のせいなのよ。観海寺銀は、クリエイターの名前の通り『世界を創る』力を持っている」
「世界を、創る?」
「そう。観海寺銀を中心として、任意の距離。大体半径数メートルが彼女の世界。その中ではあらゆる物理法則や、常識的な観念さえも、観海寺銀の思い通りになるのよ」
そこで雅兎は、昨日の病院での出来事を思い出した。
廊下を歩く途中、誰一人として銀の独り言を気にしなかった。それどころか、周りの人間たちまで独り言を発していた。
「そうか、管理人さんの周囲では『独り言を漏らす事は変な事ではない』とされていたんだ」
病室でもそうだ。千代や亜李洲の目の前で、堂々と雅兎に話しかけていた。
あれは、自らの存在を「そこにはいないもの」として認識させていたのだ。
「なんつうチートだ……」
驚く雅兎に、瞳子は何故か誇らしげにして見せた。いや、すごいのはキミじゃないだろ。
「奴は恐ろしい女なのよ。ちなみに、さとみんも強襲第二班の一員なのよ」
「え? そうなんだ」
「さとみんは自分で第二班中では一番弱い、って言ってた事があるけど……実際にさとみんの実力を見たお兄さんなら、それがどういう意味を持っているのか、わかるのよ?」
退魔師の力の平均値などは知らない雅兎だが、里見が恐ろしく強い存在である事はわかっている。
そんな里見ですら「弱い」部類に入り、彼女が「危険である」と語った仕事。
その意味の重さを、雅兎は改めて思い知る。
「ま、そういうことなのよ。それじゃあ、ご飯食べるから帰るのよ」
「あ、ちょ、ま」
瞳子は笑顔で自室に戻っていった。
他に聞きたいことが山ほどあったが、仕方がない。
「なんだか、とんでもない世界を知ってしまったんじゃないか? 僕たちは」
肩の上で浮かぶ人魂に声をかける。
相棒は特にこれといったリアクションをしなかった。
「まあ、どちらにせよ。怖がっていたんじゃ、何も始まらないよな」
人魂に言い聞かせるようでありつつ、自分自身を叱咤激励する。
雅兎は決意を新たに、里見が部屋から出てくるのを待つ事にした。
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