第3話
「っ……」
夢から覚めた雅兎が瞼を押し上げると、そこには知らない天井があった。
ガバ、と身体を起こす。掛け布団がばさりと音を立てて落ちた。
六畳の和室。
あるのはタンスと炬燵、そして自分が寝ていた布団だけ。
窓の外に目を向けると、空はほのかに白み始めている。
「あ、起きた……」
バタン。開き戸が閉まる音。
音のした方に目をやると、セーラー服の上にカーディガンを羽織った少女――観海寺里見が立っていた。
少女は靴を脱いで部屋に上がると、無表情のまま聞いてきた。
「身体は大丈夫ですか?」
「あ、えっと、うん。平気みたい」
「すごいですよね。脚、切断されていたはずなのに」
「そうだね……うん、あれ、そう……だった!」
その言葉で、雅兎の脳裏に公園での惨劇がフラッシュバックする。
どうして忘れていたんだ? 雅兎は慌てて布団を剥ぎとり、下肢に目を向けた。
――ある。
そこには傷ひとつない右脚が、きちんと付いていた。
「あ、あれ?」
不思議に思いながら、膝を立て、足首や指を何度も動かしてみる。
痛みも、違和感もない。
「というか、脚、千切られて転んだんだっけ? 石に躓いたんだっけ……?」
混乱して記憶があやふやになっているのか。
雅兎は深呼吸をして、気持ちを落ち着かせようとした。
ふと、熱烈な視線を感じる。
この部屋の主であろう少女が、雅兎の顔をじーっと見つめていた。
「え、えっと……ど、どうかした?」
「……」
返事はない。
彼女は映画やドラマに見入る子どものように、一心不乱にこちらを凝視している。
さすがに気恥ずかしくなり、雅兎は顔を伏せて頬を掻いた。
「……はっ」
数秒後。ようやく我に返ったように少女が動いた。
部屋の真ん中で立ち止まり、蛍光灯の紐を引っ張る。
チカチカと瞬いた後、室内に明かりが灯った。
まぶしさに思わず目を細める雅兎をよそに、彼女はキッチンへと向かい、冷蔵庫を開けて振り返る。
「えっと、その……朝ごはん、いりますか?」
「あ、えっと……うん。いる」
「はい」
彼女はエプロンを身につけ、手際よく調理を開始した。
カチャカチャと卵を混ぜる音。ジューッという焼ける音。
食欲をそそる香りが立ち昇り、雅兎の腹が小さく鳴った。
「あ」
そういえば、と雅兎は辺りをキョロキョロと見回した。
気にかかることがあったのだ。
三途の川から一緒にやって来た、あの人懐っこい魂のことだ。
「うわ」
ブンッ! 待っていたとばかりに、魂が眼前に飛び出してきた。
元気だぞ、とアピールするように雅兎の周りを飛び回る。
「よかった」
相棒の無事に安堵して、その丸っこい身体を優しく撫でる。
そうこうしているうちに、女性が完成したおかずを持ってやって来た。
「えっと、どいてもらっていいです?」
「あ、うん」
彼女は雅兎が座っていた場所の布団を脚で払いのけ、手近にあった炬燵を引きずってくる。
次いでキッチンからロールパンの袋を掴んで戻ってくると、炬燵に入り、「出来た」と視線で訴えた。
「うん」
雅兎は彼女の対面に座り、手を合わせる。
お皿にはスクランブルエッグと、カリカリに焼かれたベーコン。
「いただきます」
「パンもどうぞ」
二人は黙々と朝食を消化していく。
味付けはしっかりしていて、十分に美味しい。うま味調味料はすごいな、と雅兎は感嘆した。
三つのロールパンを食べ終えた頃、彼女が立ち上がった。
「珈琲淹れるけど」
「じゃあ僕の分もお願いします」
コトッ、と白いカップが置かれる。
「砂糖とミルクは?」
「いや、ブラックでいいよ」
「はい」
カップを口元に近づけると、インスタント特有の安っぽい香りが漂った。
ずずっ、と啜り、ひと息つく。
「それで、キミは?」
「観海寺里見、高校一年生です。貴方は?」
「あ、ごめん。僕は柴石雅兎。大学三年生」
「はい」
「うん」
会話が続かない。
肝心なことは何一つ聞けていない。
雅兎が意を決して「聞きたいことがあるんだ」と切り出した、その時だった。
コンコン、とノックの音が響き渡る。
「失礼するわね、里見。お邪魔だったかしら?」
ドアが開け放たれた先。
そこに立っていたのは、雅兎が見惚れるほどの美女だった。
幻想的な白い髪。光輝く青い瞳。透き通るような肌。
豊満な肢体を包む西洋風のドレスが、その夢幻的な美しさを際立たせている。
不自然な点があるとすれば、この古びたアパートにそんな人間が訪ねて来たことくらいか。
「別に」
「なんだか、良い雰囲気だったわよ? 昨日出会ったばかりだというのに、初々しさの欠片も無い感じがグッドだわ」
うふふ、と来訪者は笑う。
言われてみれば、確かに雅兎はこの空間に安心していた。枕が変わると眠れないほど繊細な雅兎にしては珍しい。
だが、その安堵感は、旅行先の開放感とは違う。
どちらかと言えば、捕食者から逃げ延びた兎が巣穴で感じるそれに近い。
あの化け物の少女に狙われながらも、生き延びたことに起因する安堵だ。
「まさか、手は出していないわよね?」
どこから出したのか、黒い扇子で口元を隠し、彼女は汚物を見るような目で言った。
「いや、いやいやいや。ありえないですって」
「あら! 里見は手を出すには値しないって言いたのかしら?」
「そんなこと、言ってないですって!」
「……ふふ、冗談よ」
微笑む美女とは対照的に、雅兎はどっ、と疲れて項垂れた。
「ま、見るからに草食系な男子だし、ありえないわね」
「えー……」
ナンパ野郎の自覚など皆無だが、それはそれで男としてどうなのか。雅兎は少しだけ気落ちする。
女性は部屋に上がると、まるで我が家のようにいそいそと炬燵に入った。
白いドレスと炬燵と扇子。
非常にミスマッチだが、それでも絵になる美しさだ。
「はぁ……やっぱり日本人としては炬燵よねぇ……この暖かさは狂気だわ」
「……風情もへったくれもない体質のくせに」
はふっ、と息を吐く女性に、里見がそっぽを向いて言う。
「あら、わたしだってれっきとした日本生まれの日本育ち。情緒というものを心得ているわ」
「この炬燵、電源入ってないけど。大体、もう夏だし。炬燵の布団はわたしが面倒くさくて片付けていないだけ」
「さて、そこの貴方」
里見の視線から逃げるように、女性が雅兎の方を向いた。
突然矛先を向けられ、雅兎はごくりと生唾を飲み込む。
こちらから切り出すべきだ。
雅兎は大きく息を吸い込んで、口を開いた。
「ぼきゅ、」
噛んだ。
顔を真っ赤にする雅兎を見て、白髪の女性がしとやかに笑う。
ちらりと部屋の主を見れば、彼女はどこから出したのか、せんべいをボリボリと無表情で貪っていた。
雅兎は咳払いをして言い直す。
「……ぼ、僕は今、そのですね、どういう状況なのでしょうか?」
「ふむ」
女性は顎に指先を添えて、思案げな声を漏らす。
バリバリと聞こえてくるせんべいの音が、緊張感を奪っていく気がした。
「それを聞くべきは、わたしたちなのだけど?」
「そう……です、よね」
雅兎がガックリと肩を落とすと、せんべいの音が止まった。
「銀」
里見の声が響く。
「苛めるのはそれくらい」
「……そうね。まだ判明していない事もあるし、憶測まじりになってしまうけれど、よろしくて?」
雅兎は力強く頷いた。
里見は小さくため息を吐くと、再びせんべいを口元へ運ぶ作業に戻った。
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