第24話
アパートの廊下を一番奥まで突き進むと、一つの扉がある。
「開かずの間」と書かれた貼り紙の向こう、その部屋には三つの人影があった。
天井の四隅から伸びる太い鎖。
それに両手両足を繋がれた状態で暴れているのは、観海寺里見だ。
普段のとぼけたようなジト目は充血して赤く血走り、獣のような唸り声を上げながら、鎖を引きちぎらんばかりの勢いで暴れている。
そんな里見を前に、雅兎は右の掌を彼女に向け、一心不乱に能力を発動させ続けていた。
青白い光が瞬いては消え、消えては瞬く。
雅兎は、自分の力を駆使すれば里見を元に戻せるのではないかと、銀に提案した。
その日から、かれこれ二週間近くが経過していた。
「……やっぱり無理だわ」
「はぁ、はぁ。で、できますっ。出来るって、僕の中の誰かが言っているんですっ」
静観していた銀が諦めの言葉を漏らすも、雅兎は否定した。
雅兎の隣では、心配そうに右往左往と飛び交う人魂の姿がある。
里見は先の戦いで、己の魂と癒着する妖怪を具現化させられた。
戦いの後、目を覚ましてからはずっとこの状態だ。
雅兎の知る「観海寺里見」には、あの日以来一度も会えていない。
この二週間、銀は持てる人脈の全てを使って奔走し、元に戻す方法を模索した。
しかし、朗報は得られなかった。
絶望と共に戻ってきた銀を待っていたのが、雅兎だった。
里見の現状を知った雅兎は、自分の能力――サツキの両腕を完治させた経緯を銀に説明し、自分ならばなんとかできるかもしれないと訴えたのだ。
「……無理よ。貴方の力は確かにすごい。でも、里見と『災厄』は同じでいて全く別個の存在。そして霊体とは、時間という概念には左右されない。肉体や臓器は戻せても……物質ではない霊体までは、元に戻せないのよ」
「でも、だって、僕の……」
雅兎の肩に、優しく手が置かれた。
振り返ると、そこには悲痛な表情を浮かべた銀が居た。
そのまま強く肩を引かれ、雅兎は尻餅をついた。
「管理に、んさん」
「タイムアウトよ。連合はもう一月、里見の存在をロストしている。なんとか誤魔化してきたけれど、たぶん水面下では里見の捜索指令が出されているわ」
雅兎に背を向けたまま、銀は虚空に向かって手を伸ばした。
白い炎が立ち上る。
現れたのは刀身も柄も白い、純白の日本刀。銀はそれを強く握りしめた。
「ま、」
手を伸ばす雅兎。
銀の意図がわからないほど愚かではなかった。
しかし、身体は鉛のように重く、持ち上がらない。二週間近く同じ作業を繰り返し続けた疲労が、ここに来て雅兎を縛り付けた。
「連合にこの状態で発見されたら、ろくな事にはならないわ。そのまま殺されるにしても、肉片すら残されない惨いやり方を用いられる。もしかしたら、実験と称して非人道的な行為をするかもしれない。……里見を楽にしてあげるには、今この瞬間しかないの」
銀はゆったりとした足取りで里見に近づいた。
里見は唸り声を上げ、威嚇するように銀を睨む。
銀は「ごめんなさい」と小さく呟くと、切っ先を里見に向けた。
雅兎はあらん限りの声を絞り出し、銀を止める。
「待って、くれっ!」
掠れた声。
しかし、銀は刀を振り下ろすことなく、動きを止めた。
腕をぶらりと下げ、背中で語る。
「……元々、里見は六歳の時に死ぬはずだった。運命が捻じ曲げられたのは、わたしのせいなの。だから、元の歴史に修正するのも、きっとわたしの役目だわ」
「どういう、こと、ですか」
「――里見は六歳の時、トラックに轢かれかけた事がある」
ドクン。
雅兎の中で、記憶の片隅にあった何かが反応した。
バラバラにされたパズルのピースが、淀みなく嵌まっていく。
「それ、って」
まさか。
「ええ。当時、一緒に居た上級生の男の子が身を挺して彼女を庇い、結果的に事故を回避させた。でもね、もう遅かったの。死に一番近い場所……その恐怖に触れた里見は、無意識に自分の中に潜む『誰か』を頼った。結果、当時はまだ未成熟だった『災厄』が姿を表した」
災厄。
里見の魂と癒着し、共に成長してきた妖怪の、連合内での呼び名だ。
災厄は標的に取り憑き、寄生虫のように成長する。
成長を終えた災厄は宿主の魂を喰らい尽くし、その間、宿主の身体は破壊衝動に支配される。
魂を喰らい尽くした災厄はまた次の宿主を探して彷徨う。その間は蓄えた霊力で生命維持をし、再び宿主を見つける頃には衰弱して長い眠りにつくというサイクルだ。
「災厄が完全な成熟を遂げぬまま発見されるケースは極めて稀だった。そこで我々は少女を保護し、観察下に置いた。でもね、当時は早急に処分しろという声が大きかった」
「そんな」
「勿論、反対した者も居たわ。もっとも、その理由はあくまで災厄の研究材料として。里見を人間として見ている者なんて、ごく少数だった」
銀が強く、刀の柄を握りしめているのが分かった。
「わたしたちは貴重なサンプルとして里見を扱った。実験や検証の中で、わたしたちは災厄があとどれくらいで成熟してしまうのかを予測する技術を開発した。丁度、里見が十歳の時よ」
振り返った銀の瞳を見て、雅兎は息を詰まらせた。
気丈に振舞っていたその顔が、深い悲しみに満ちていたからだ。
「最短だと、残り八年。連合はマージンを取って、里見が十四歳になるまでに災厄を消し去る方法が見つからなかった場合、里見を処分する事に決めた」
「嘘、ですよね? だって、現に里見は、生きてる」
「ええ。わたしがそうさせなかった。里見には災厄の力を少しだけ制御できる才能があった。……わたしは手駒である強襲第二班を使って、里見の退魔師としての有用性を連合に示し続けた。結果、わたしの監視下という条件付きで、処分までの期間が十七歳まで延長されたの」
「…………」
「けれど一月前の戦いで、アリシアは里見の中に眠る災厄に霊力を与え、成長を促した。結果、里見の身体は災厄に奪われる事になった」
「だったら……どうして貴方は、あの吸血鬼を生かしているんですか……あんな奴をっ!」
雅兎の怒号を、銀の冷徹な言葉が遮った。
「……世の中、損得を考える事が大事なの。一時の感情に流されてしまっても、ろくな事にはならないわ。あの子はとても『使える駒』になる」
「里見の事を、何とも思っていないんですか!」
「思っているわ。わたしは、ずっと里見と一緒に居たのよ」
ふと、雅兎は千代と銀が重なって見えた。
――そうか、この人も、千代さんと同じだ。
雅兎が憧れた、浜脇千代という強い人。
観海寺銀は、その憧れに雅兎よりも近い場所にいる。
正しい判断ができる、強くて残酷な人。
その事が何よりも悔しくて、雅兎は泣きたくなった。
「災厄はもっと長いスパンをかけて成長する存在だった。それなのに、どうして里見の中の災厄は成長を早めてしまったと思う?」
銀の視線が、雅兎を射抜く。
「……貴方のせいなのよ、雅兎」
「は……?」
雅兎は呆然とした。
里見がこのようになってしまった理由が、自分にあると言われたからだ。
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