第20話
「里見」
声がして、目を覚ました里見は、自分の身体が寝慣れた布団の上にある事に気がついた。
視線を動かすと、正座で佇む観海寺銀の姿があった。
銀の落とされていた瞼が、里見の目覚めを察知してゆっくりと持ち上がる。
「お疲れ様」
優しい声色だった。
けれど里見の胸は、ズキリと痛んだ。
違う。そんな言葉、かけられたくはない。
全身が軋むように痛む。
里見は痛みを堪えて上半身を起こそうとしたが、銀がやんわりと胸に手を置いて制した。
「……雅兎の事は諦めなさい」
「…………」
里見は、言い返す事が出来なかった。
「今の貴方では、無理だわ。純血統の吸血鬼は……空間そのものを支配する。あれを相手に単体でどうにか出来る人間なんて、二人と居ない。その中に、わたしも含めて、今の貴方は入っていないわ」
再び布団に背中を預ける。
里見とて、わかっているのだ。
あの吸血鬼との能力差は歴然で、今の自分で埋まる溝ではないと。
「……でも、」
呟いた声は、あまりに小さかった。銀には届いていないかもしれない。
いや、気づいていてあえて無視をしているのかもしれない。
問い直す事も言い直す事も、出来ないままだった。
「数日あれば、第二班を全員集められる。こちらの戦力が整い、攻めこむ準備が出来た時、もしまだ雅兎が生きていたのなら、助けましょう。……今すぐに助けに行く、というのは無策が過ぎるわ」
「……はい」
素直に頷いた自分に、里見はどうしようもなく嫌気がさした。
けれど銀はそんな里見の頭を優しく撫で、「いい子ね」と微笑した。
「今日はもうお休みなさい」
銀が部屋を出て行く。
静寂が戻った部屋で、里見はじっと天井を見つめ続けた。
ふと、瞼を落とす。
その裏に浮かんでくるのは、懐かしい少年の顔。
里見の目から、一筋の涙が零れ落ちた。
◇ ◇ ◇
かつて――観海寺里見は苗字も名前も、今とはまったく別の物を持っていた。
観海寺銀に引き取られた時、全てを捨てたのだ。
それは、里見が過去に犯した罪に苦しまないようにという、銀の配慮だった。
事件は、里見が小学一年生の時の事である。
彼女の通っていた小学校では、最上級生と最下級生でペアを作り、交流するという授業があった。
里見がペアとなった六年生の男の子。
くすんだブルーの瞳が特徴の、優しい上級生。
ある日、里見はその男の子を『殺した』
全て、悪いのは里見だった。
上級生と仲良くなった里見は、はしゃいで学校の敷地から道路に飛び出したのだ。
迫るトラックに気が付かずに。
クラクション。
里見は驚いて尻餅をついた。
そんな里見の前に、上級生の男子が両手を広げて立ちふさがった。
結果として、トラックの運転手はギリギリでハンドルを切り、壁に衝突。
二人も事なきを得た……はずだった。
観海寺里見は、身体の中に『化け物』を宿していた。
生まれる以前、母の胎内で眠っていた時からずっと、里見とその別人格は共にあった。
迫り来る死の恐怖。
里見は知らずの内に、その人格を頼ってしまったのだ。
数瞬後。
里見の両腕は血塗れで、足元には事切れた少年が一人。
里見の右手には、グロテスクな、赤い肉塊のような何かが握られていた。
退魔連合が接触して来たのは、それから数日後。
観海寺銀と名乗る女性は、少女に言った。
「貴方には妖怪が取り憑いている」と。
銀に引き取られた里見は、魔を操る為の力を授かった。
それが、今現在の観海寺里見という人間の全てだった。
◇ ◇ ◇
コンコン。
不意なノックの音に意識を引き戻された。
里見は瞼を覆っていた腕をおろし、玄関へ目を向ける。
「邪魔するわよ」
来訪者はサツキだった。
土足で上がり込んできた彼女と、視線が交錯する。
「……なん、ですか?」
里見の声に、サツキは深い溜息を吐き出した。
「用件ぐらい、わかるでしょう」
里見は痛みを堪えて身体を起こした。
そこで、サツキの隣に人魂が浮かんでいる事に気がついた。雅兎と行動を共にする、あの相棒だ。
今日サツキが作ったばかりのドールの身体を、もう失っている。
「……この子が機転を利かせてくれたの」
「……機転?」
「ええ。身体を破壊されて地面に横たわった瞬間に、盾の破片を雅兎の服に忍び込ませたのよ。あの人形の全ては私が丹精込めて作った品。粉々に粉砕されたりしない限り、大体の位置を把握できるわ」
「……だから?」
サツキの顔に苛立ちが浮かぶ。
里見とて、サツキが何を言いたいのか分からないわけではない。
けれど、聞き返してしまうのは心に迷いがあるからだ。
「わかるでしょう。助けに行くのよ。……さっき、管理人さんと貴方の会話、聞かせてもらったわ。いくら馬鹿みたいな回復能力があったとしても、数日後に消滅していない保証なんてどこにも無いの」
里見は俯いた。
肯定も否定もしない。動こうともしない。
サツキは苛立ちを隠さず、ダンッと床を踏み鳴らした。
「どうして!」
「……銀が、行くなって言ったから」
サツキが里見の胸倉を掴み上げた。
至近距離で、碧眼が里見を射抜く。
「…………」
数秒の睨み合い。
サツキはパッと手を離し、「もういいわ」と背を向けた。
「私一人でも行く」
その言葉がどれだけ無謀か、里見は理解していた。
サツキの実力がどれだけ高くても、それはあくまで人間の範疇。一度戦ったからこそ分かる。サツキと自分、そしてあの吸血鬼との間にある絶望的な差を。
「……無謀ですよ」
「それでも、よ。私は雅兎に借りがあるから。返せないままなんて嫌だから」
サツキはそのまま部屋を出て行った。
取り残されたのは里見と、右往左往してどっちつかずの人魂だけ。
「……わかんないよ」
里見にとって、それは偽りの無い本心だった。
どうすれば良いのか、答えがわからない。
助けたい気持ちはある。でも、力がない。何より、銀が止めた。
『貴方を助けてあげる。だから、わたしの言う事をよく聞いて』
かつて、一人ぼっちだった里見の手を拾ってくれた銀。
何度も何度も、里見を救ってくれた恩人。
その銀が本気で止めたと言うのなら、里見に逆らう権利など無いのだ。
どれくらい、そうしていただろうか。
ポンポン、と頭を叩かれる感触があった。
顔を上げると、人魂が「こっちを見ろ」と言わんばかりに動いていた。
人魂が指し示す先には炬燵机。
その上に、小さなキーホルダーが置かれている。
「……それ」
キーホルダーの上をぐるぐると、人魂は飛び回っている。
言葉は分からない。 けれど、なんとなく伝わってくるものがあった。
里見は手を伸ばし、キーホルダーを握りしめた。
ブサイクにデフォルメされた、狛犬の片割れ。
もう片方は、雅兎が持っている。
渡したのは里見自身だ。
お揃いの何かが欲しくて、たまたま手に入ったこれを渡したに過ぎない。物に意味はない。
ただ、そこに込めた想いだけが、確かな事実だ。
里見はどこか頼りなく、でも時々頼りになる柴石雅兎という男性に惹かれていた。
最初は、かつて自分が殺してしまった少年に目が似ていたから。
罪滅ぼしのつもりだった。
けれど、洋館事件の翌日、銀から告げられた真実。
『柴石君は、貴方が殺した男の子よ』
生きていた。
心臓を握りつぶした感触は消えないが、彼は生きていた。
それから、里見は雅兎を見る目が変わった。
贖罪の対象としてだけではなく、一人の異性として意識するようになった。 不器用な優しさ。真っ直ぐな信念。
気づけば、里見は彼を目で追っていた。
雅兎を助けに行かない理由。
それは、銀への恩義と服従。
雅兎を助けに行く理由。
償い? 義務感? 違う。
そんな理屈じゃない。
観海寺里見は、柴石雅兎という男の事を好いていた。
ただ、それだけの、単純な事だった。
消えてほしくない。
失いたくない。
理屈なんて、後からついてくるものでいい。
「場所、わかる?」
里見は人魂に問いかけた。
人魂はコクコクと激しく上下に動いてみせた。
「わかる」と言っているのだ。
里見は立ち上がった。
痛みはまだある。けれど、足取りは軽かった。
「うん、なら、行こう」
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