第13話
「本当に幽霊になった気分だよ」
「気分ではなくて、雅兎さんは本当に幽霊です。というか、怪しまれるからあまり話しかけないでください」
「そりゃまあ、そうなんだけどさ。ちょっと冷たくない?」
早朝。里見と共に通学路を歩く雅兎は、そんな不満を漏らした。
今朝、アパートの管理人である銀から賜った言葉を思い返す。
事の発端は、一時間ほど前だった。
『雅兎、貴方今日は里見について学校へ行きなさい』
ただそれだけの言葉が、今の事態を招いた。
雅兎のような生霊や、彼に付きまとう人魂のような純粋な霊体は、とかく妖怪に狙われやすいのだという。
普段はアパートに張られた結界が悪意ある「魔」を遠ざけているが、今日はメンテナンスが入るらしく、雅兎一人で留守番をするには危険が伴うとのことだった。
「だから、里見に着いていけ、か」
「銀は優しいから。実際、現状でも貴方を狙う妖怪の視線をゴマンと感じます」
「……まじ?」
「うん。だけど、わたしが傍に居るから行動には移せないみたい。この辺り一帯で、わたしの名は結構知れ渡っているから」
「なるほどなぁ……」
里見の小声に、雅兎は感心して頷く。
自分にもそういった視線を感じる力はないものかと辺りを見回してみたが、目に映るのは登校途中の学生ばかりだ。
高校が近づいている証拠だった。
「高校……懐かしいな。たった数年前の事なのに」
そんなもんですか、と里見が小首を傾げる。
雅兎はうんうんと頷き、自らの学生時代を懐かしむように目を細めた。
「毎朝、迎えに来る悪友が居てさ。そいつとすごく仲が良くて、あれこれと青春をしたもんだよ。僕は至って真面目な生徒だったけど、その悪友のせいで風紀を乱しているなんて風紀委員に睨まれたり……あの頃はなんで僕まで、なんて思ってたけど、今となっては懐かしい思い出だ」
「…………」
「そういえば、里見って友だちは――」
それからあれこれと質問をした雅兎だったが、里見から返答が来る事はなかった。 銀とは違い、里見の場合は路上で独り言を話せば不審に思われるのだから、当たり前といえば当たり前なのだが。
◇ ◇ ◇
里見以外の生徒や先生たちからは見えない。
その状態で里見の隣に立ち、授業を受ける。それは二度目の高校生活を送っているかのような感覚で、雅兎にとっては新鮮で楽しいものだった。
「えー、つまり、源氏物語ってのは、ロリコンでマザコンな光源氏が少女を理想の女性へと成長させるべく画策する話、という認識があると思うが……この巻はそんな光源氏の長子である、夕霧が主人公として描かれている」
古文の先生がそう言うと、クラス中からクスクスといった笑い声が漏れた。
雅兎は里見の耳元に口を寄せて、「なんか雰囲気良いよね」と微笑む。
怪訝な顔で小首を傾げた里見に、雅兎は続けた。
「僕の通ってた高校って、もっと偏差値が高くて、もう朝から晩まで授業の連続。宿題はたんまり出るし、小テストを毎回のように行う先生だってざらで……まあ、そのおかげで国立大学に合格出来たわけなんだけどさ。……こんな風に、和気藹々とした授業って、中学校以来かもって」
里見は内心、少しだけ「馬鹿にされているのかも」と思ったが、そういった考えはすぐに打ち消した。
雅兎の声に暗い感情はなく、本心からそう思っている様子だったからだ。
授業は進み、参考書の問題を解く時間となった。
里見の解答を横から覗きこんでいた雅兎は、一つの問題を指差して言った。
「そこ、違うよ?」
「え?」
思わず声が出てしまった里見。
少しだけクラスの注目が集まり、彼女はカッと頬を赤くした。
雅兎は後頭部を掻きながら「ごめんごめん」と笑う。
「お詫びに……この問題、源氏物語『夕霧』。少し前のセンター試験からの抜粋だね。着目すべきは『なめげさ』。なめしは、『失礼』とか『無礼だ』とか、そんな意味。その時点で、解答は絞れるね」
「…………」
里見は五つある選択肢の中から、二番と五番に丸印をつけた。
雅兎は「正解」と言って笑う。
「前後の文脈を理解できていれば、自ずと答えは一つになる。傍線部のすぐ後に『雲居雁が帰った』とあるから、傍線部はその理由が書かれているわけ。つまり答えは――」
里見は迷わず、五番を選んだ。
雅兎は「大正解」と言って、満足げに微笑んだ。
それからも適度な間隔で雅兎から茶々を入れられたが、里見はそれを鬱陶しいとは思わなかった。
雅兎の教え方は的確で、その温和な口調と理知的な解説は、聞いていて心地良かったからだ。
チャイムが鳴り、休み時間の喧騒に紛れて雅兎が言った。
「それにしても、一年にしていきなりセンターの問題解かせるなんて思わなかったな。しかも、あれ難問だよ」
「古文の先生、今年赴任してきたばかりらしいの。ずっと進学校で教えてたから、資料がまだ完全に出来てないって言ってた」
「なるほど、ね」
ふと、立ち上がった里見の後ろを着いて行く。
やがて、目的地を前にして雅兎の足が止まった。
そこは男子禁制の聖域、女子トイレだったからだ。
「ま、待ってるよ」
「それじゃあわたしが困ります」
里見は早口でまくし立て、強引に雅兎の手を引いて中へ入っていった。
「ひえええっ」
雅兎の力では抗えず、結局、洗面台の前で終始上を向いたまま過ごす羽目になった。
用を足して戻ってきた里見が手を洗う。
他に生徒が居ない事を確認して、彼女がぽつりと呟いた。
「雅兎さん、教えるの上手いっていうか、手慣れてる感じでしたね」
「あ、ああ。まあ、バイトで家庭教師的な事もしてたし、多少はね。それに、何となくやる気が出てきてさ」
「?」
不思議そうにする里見に、雅兎は少し遠い目をして言った。
「本当はさ、交通事故に遭わなかったら、今頃もこの学校に来ていたはずなんだよ。教育実習生として、ね」
「そうなんですか」
里見は、心底驚いた様子で目を見開いた。
その時、入口から話し声が聞こえた。
里見はさっさと濡れた手をハンカチで拭き、廊下へ向かう。雅兎も慌てて後を追った。
「あれ?」
すれ違ったのは、いかにもギャルといった風貌の女子生徒たち。
雅兎が苦手としているタイプだ。
彼女たちは去っていく里見の背中を見ながら、何やらクスクスと嘲るように笑っていた。
「なんだ、あれ」
雅兎が聞くと、里見は「別に」とだけ答えた。
それきり、彼女からの言葉はなかった。
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