虚構の炎上、あるいは電子の掃き溜めについて。
円遠伊織は現在37歳、コンビニ夜勤のアルバイトで食いつなぐ自称クリエイターだ。彼の朝は絶望的な数字の確認に始まり、変わらない数字の確認で夜が終わる。
ワンルームの薄暗い部屋、カーテンの隙間から差し込む光が中古で買った安物のゲーミングモニターを照らしていた。画面に表示されているのはYouTube Studioのダッシュボードだ。
再生数、42回。乾いた笑いすら出なかった。総計10時間の作業を経てようやく編集を終え、一ヵ月前にアップロードしたガジェット紹介動画の末路。
高評価は0、コメントも0。通りすがりの42回のインプレッションは円遠の動画に何の反応も示さず、クリック率は1パーセントを切っていた。誰にも見られていないのと同じだった。
映像編集のスキルはある。機材への知識もある。アイデアは独自性があり、構成だってそこらの素人より論理的に組み立てている自信があった。
だが、伸びない。
彼はマウスを乱暴に操作し、急上昇ランキングを開いた。そこに並ぶのはけばけばしい極彩色のサムネイルと品のない煽り文句の羅列だった。
『【神回確定】コンビニの無能店員に土下座させたったwww』
『n番煎じ? 線路に立ち入って電車止めてみた』
『有名人の葬式に突撃しまーす』
いわゆる「迷惑系」と呼ばれる連中だ。法やモラルを犯し、他人に不快感を撒き散らすことで物議を醸し、強引に注目を集める。炎上商法。円遠が最も軽蔑し、憎悪する人種だった。
「くだらねえ」
吐き捨てるように呟く。彼らの動画には美学がない。あるのは他者への加害と、それを見て喜ぶ視聴者の低俗な好奇心だけだ。あんなものはクリエイティブではない。虚ろな暴力の応酬だ。
自身の、そして他者の創作に対して円遠は潔癖だった。誰かを傷つけたり法を犯したりしてまで有名になりたいとは思わない。
ただ興味深い物を作りたい。批判でも賞賛でもいい、創作に真っ当な反応が欲しかった。
しかし現実は残酷だ。真面目に作ったレビュー動画は海の底に沈み、誰かに迷惑をかけた動画が100万回、1000万回と再生されている。
批判コメントが満ち、その悪意が新たな論争となり、中身のない迷惑行為が莫大な広告収入となって彼らの懐に入るのだ。
理不尽さへの不満が円遠の心の中で澱のように溜まっていく。
コンビニの夜勤中も彼の意識は流行への反感で埋め尽くされていた。レジ打ちをしながら、目の前でスマホを眺めている客があの低俗な動画の視聴者に思えてくる。
不意にスマホの画面がちらりと見えた。よくあるペット動画のようだった。同じくらいに虚無ではあれど、微笑ましいだけ娯楽としては充分マシなものだ。
「ありがとうございます」
機械的に頭を下げる。客は円遠を見もせずにスマホに向かって「嘘くさ」と小さく呟くと、商品を受け取り去っていった。
自分に言われたのだろうかと少しだけ不安になる。
休憩時間、円遠はニュースアプリを開いていた。とある迷惑系YouTuberが逮捕されたという記事の見出しが目に入る。
飲食店の醤油差しを舐める動画が通報され、威力業務妨害で捕まったらしい。
ざまあみろ。内心で嘲笑う。当然の報いだ。リスク管理もできずにそんなことをするから。
実在の店舗、実在の人物、そして実在の自分。すべててが現実に紐づいていることを自覚せずに被害を出せばそれは犯罪行為として実際的な非難を浴びる。破滅は目に見えているというのに。
その時だった。円遠の脳裏に閃きが瞬いた。
――実在するから痛みを生む。本当にやるから捕まるんだ。
彼は最近趣味で触っていた動画生成AIのアプリを起動した。
技術の進歩は凄まじい。適切なプロンプトさえ与えれば、素材の撮影もアップロードも編集も一括で、実写と見分けがつかないほどの映像が出力される時代。
円遠は震える指でAIに指示を出す。
『日本のコンビニエンスストア、店内、深夜。若い男が、おでんの什器に食器用洗剤を注ぎ込んでいる。写実的、4K、CCTV風の画質、ノイズあり』
数分後、生成された数秒のクリップを見て円遠は息を呑んだ。
どこにでもありそうでどことも言えないコンビニの風景。下卑た笑みを浮かべた男が愚行に及ぶ姿が、まるで本当にあった出来事かのように映し出されていた。
男の顔はAI特有の不自然さがあるものの、防犯カメラ風の荒い画質と手ブレ加工がむしろそれを不気味さとして昇華させている。
円遠は自身のアイデアに興奮した。
被害店舗は実在しない。加害者の男も実在しない。おでんも、洗剤も、何もかも0と1の信号に過ぎない。
誰も傷つかず、法にも触れない。映像としての「不快感」と「衝撃」だけが、本物の純度をもってそこに存在していた。
「クリーンな、罪のない迷惑系だ」
帰宅するなり円遠は急いで新しいチャンネルを開設した。チャンネルの名は『Observed Chaos』。炎上を好む者が叩き、燃やしやすいように、乾燥して気取った風な名前にした。
最初の動画は、あの日コンビニのバックヤードで思いついたアイデアをブラッシュアップしたものだ。
タイトルはシンプルかつ客観的に『【拡散希望】コンビニのおでん鍋に洗剤を投入する男』。
冒頭、手持ちカメラ視点でコンビニに入店する。実在しない商品に丁寧なモザイクをかけながら陳列棚を通り過ぎ、レジ前に立つ。店員はいない。
撮影者の手が家庭用洗剤のボトルを逆さにし、湯気の立つおでん鍋に青みがかった液体を注ぎ込む。
混入されたことが分からなくなるまでの様子が生々しく映し出される。最後に小さく息を呑む音と共に、カメラが激しくブレて映像は終わった。
たった15秒の動画を完成に漕ぎつけるまで1時間もかからなかった。
指の本数がおかしい、背景の文字が謎の言語になっている、液体の物理挙動が不自然。
それらを出力させないために「動画生成AI向けのプロンプト」をAIに書かせ、ノイズや色収差を加え、画質を落として流出したスマホ動画らしい質感を出す作業はAIが行った。
円遠が手を入れたのはリアリティラインの維持だ。
たとえば洗剤の色。当初AIが生成したのはオレンジ色の液体だった。このような炎上目的の動画を撮る男ならもっと目立ち、分かりやすい色を選ぶだろう。
たとえばモザイクの追加。周囲への配慮を取り入れることで、そこに「配慮すべき対象」が実在するような錯覚を起こす。
たとえば台詞の削除。撮影者は特定されたくないという意識から音声が入ることを避ける、あるいは後に加工するはずだ。AIが入れた台詞を削り、息遣いのみにした。
完成した動画は円遠自身が見ても胸糞が悪くなる出来だった。そこには確かに「他者に迷惑をかける愚かな男」がいた。
アップロード。クリックする指に微かな躊躇いが生じる。初めて動画を投稿した時のような高揚感だった。
これは実験だ。現代社会のモラルと、アルゴリズムに対する挑戦状だ。
最初の数時間は、何も起きなかった。再生数は0のまま。無名の新人が初めての動画を上げたところで、大海に落ちる一滴にも満たない。そんなことは円遠の想定通りだった。
変化が始まったのは夜中。その日の義務を終えた人々が時間をやり過ごすためにYouTubeを巡回する。鬱屈した感情、実体のない正義感の矛先を探して。
スマホの通知が鳴り止まない。バイブレーションが机の上で暴れている。
円遠が画面を見ると、通知欄はYouTubeアプリからのメッセージで埋め尽くされていた。
コメントがつきました、コメントがつきました、コメントがつきました、チャンネル登録されました、コメントがつきました、チャンネル登録されました……。
再生回数は一晩で30万回を超えた。コメント欄は地獄の釜の蓋が開いたような様相だ。
「これってどこのコンビニ? 特定班かもん!」
「また凝りもせずに新しい馬鹿が出たわ。いい加減にしろ」
「どうせ例の国でしょ。日本から出て行ってほしい」
「店員は何やってんだよ。店側の監視体制も問題ある」
「食べ物を粗末にするなゴミ。死んで償え」
「家庭用洗剤は通常誤飲してもある程度は大丈夫です。この量だったら悪くても胃洗浄で済みますよ。もちろん犯罪行為には違いないですが」
憶測、罵倒、説教、聞かれてもいない知識の披露。人々の正義感は暴走し、架空の悪を吊るし上げて燃え滾る。
円遠は湧き上がる歓喜を抑えられなかった。スマホを放り投げて笑い転げる。
「あはっ。どいつもこいつも本物の馬鹿!」
お前らが怒っている相手はどこにも存在しない。お前らが特定しようとしている店も人間も、俺のPCの中にしかいない。
数時間後、Xで動画が拡散されると徐々に疑義が呈され始めた。
「おでんの形おかしくない? 玉子と大根が一体化してるんだけど」
「途中で映ってる雑誌、モザイク消し使っても言語に戻らないんだよね」
「まずスマホの画質じゃない。手振れ補正もないとか」
「AIなんじゃねえの?」
「ま た A I か」
「やっぱな。どおりで違和感あったんだよ」
「有耶無耶にしたいやついて草。晒された本人ですか?」
深化していく「議論」に円遠の笑みは止まらない。好きなだけ考えればいい。混乱すればいい。そして自分の説を高らかに掲げてみせればいい。意図に意味などなく、すべてが数値になるのだ。
円遠の睨んだ通り、動画のコメント欄は新たなフェーズに突入した。
「AIって言えば何やってもいいのか?」
「誰も何もやってない件w」
「迷惑系なんか見るやつの気が知れない」
「被害者ゼロの炎上商法じゃん。天才かよ」
「この動画を見て気分が悪くなりました。通報します」
「模倣犯が出るだろ。作ったやつも同罪」
「批判してるのは映画とか見たことない方ですか?」
「コメントして伸ばしてる時点で君たちも同類ですよっと」
「最近マジでAI汚染がひどすぎる」
「面白ければいいじゃん」
一週間、一ヵ月、動画の再生数は加速度的に伸び続けた。「謎の迷惑系動画、AI生成か実写か物議」。多くのネットニュースが取り上げ、トレンドが更なる人を呼ぶ。
円遠はスマホの通知を切り、バイト先の廃棄弁当の唐揚げを齧っていた。その傍らで生成AIが次々と動画を生成してゆく。
彼はただ、十数秒の動画を総集編としてまとめて『Observed Chaos』にアップロードするだけでよかった。
『走行中の電車の屋根に飛び乗る中学生集団』
『渋谷のスクランブル交差点で大量の生魚をぶちまける女』
『〇〇神社の御神木をチェーンソーで切り倒す男』
収益化の審査が通る頃には、『Observed Chaos』の登録者は50万人を突破していた。
動画のクオリティも日に日に向上した。初期動画にあったAI特有の違和感も円遠の執念深いレタッチ技術によって払拭される。
ほんのひと手間で、まるで「AI生成に紛れて本物の迷惑行為が混じっている」かのようなリアリティが生まれた。
最初の収益で円遠はそれなりの防音室と新品のゲーミングパソコンを購入し、本来のチャンネルでゲーム実況動画を投稿し始めた。
日に1回も再生されない、大して編集もしていない、ただ好き勝手に遊んでいるだけのつまらない動画だった。
「人間は『叩ける対象』を見つけるとすごいエネルギーを発揮できるんだよね」
ゲームに毒を吐くふりをして世間を冷笑する。
数ヶ月経ってもコメント欄では相変わらず戦争が続いていた。
「わざわざAI使ってまでこんな動画を作る神経が信じられない」
「違法だと思うなら警察に通報してどうぞw」
「極論うざ。法律じゃなくてマナーの問題です」
「エンタメとして楽しめないやつの心狭すぎ問題です」
「登場する店舗や人物が架空でも風評被害に繋がりそうで怖い」
「コメ欄で喧嘩するやつが一番きもいと思うのは私だけですか?」
円遠は自分が軽蔑する迷惑系YouTuberとは違う高みにいると信じた。誰の営業も妨害していない。誰の私有地にも侵入していない。彼はピクセルを配列しただけだ。
不快に思うなら見なければいい。だが、彼らは見る。刺激的なサムネイルに釣られ、自身の正義を振りかざすためにクリックする。
「俺はお前らの鏡だ」
あたかも大衆心理をコントロールし、法の抜け穴を突き、莫大な富を生み出す錬金術師になったかのように。彼の自尊心は肥大化した。
彼は忘れていた。
AI技術の民主化が意味する本当の恐ろしさを。
技術は、誰の手にも平等なのだ。
円遠が自分のチャンネルを確認していた時、関連動画に見慣れないサムネイルが表示された。
『【AI?実写?】デパートのエスカレーターを逆走するクソ〇キの映像流出!』
一瞬、円遠は自分の動画かと思った。内容が代わり映えしないため、もう自分がどんな動画を上げたのかいちいち覚えてはいなかった。
チャンネル名は『New Age Rebel』。登録者は1000人に満たないが、再生数は10万を超えている。まだ伸びるだろう。
動画のクオリティはそこそこ高い。当然だろう、似たような生成AI、あるいはまったく同じモデルを使っているに違いなかった。
模倣する者が出るのは想定内だ。それでもパイオニアである自分には勝てないだろう。円遠は自分の発想力を信じていた。
もちろん、その考えはひたすら自分に甘かった。
やがてYouTubeのフィードは「迷惑動画」で溢れかえった。
『AI炎上カメラ』、『假装恼怒上』、『डिजिटल अपराध』……。雨後の筍のように無数の類似チャンネルが乱立した。
理由は単純だ。コストが低すぎるのだ。実写の迷惑系YouTuberは、逮捕のリスク、社会的制裁のリスク、そして撮影のコストを背負い、時間を割いている。
だからこそある種の希少性があり、持続性がなかった。
しかしAI迷惑動画にはリスクがない。パソコンを持っている必要すらない。誰でも、たった今からでも始められる。そしていつまででも続けられる。
ゴールドラッシュだ。荒野に金が落ちていると知った人々が、AIというピッケルを手に殺到したのだ。
新たに円遠が投稿する動画の再生数は伸び悩み始めた。
コメントの傾向も変わった。
「ネタ切れ」
「もっと過激なの他にあるよ」
「このチャンネルまだあったんだw」
「飽きた」
「『AIサンドバッグ』さんのパクリですか?」
円遠が見つけたはずのブルーオーシャンは、その乗り入れやすさから一瞬にしてレッドオーシャンと化し、彼にはそれを泳ぎ切る力がなかったのだ。
ある日、関連動画に現れた一つのタイトルが円遠に圧倒的な敗北を突きつけた。
『AIに炎上動画を作らせるやつとAIに叩きコメントを書かせるやつ』。
YouTube専門で、ブラックジョークと風刺の効いたショートコントを投稿している芸人の、小規模ながら熱心なファンを多く持つチャンネルだった。
円遠はその動画を再生することができなかった。
民主化されたツールによって誰もが均質のクオリティを出せるようになった時、最後に残る差別化要因は何か。創作性とはどこに存在するのか。
真面目に動画制作に励みながらも伸び悩んでいた時代と、同じ土俵に引き戻された。彼はその現実を見たくなかった。
AIを使えば、簡単に自分自身を豊かにできる。そんな気がしていた。だがAIはあくまで増幅器に過ぎなかった。「0」にいくら大きな係数を掛けても、答えは変わらず「0」なのだ。
中身のない人間のプロンプトからは虚無が出力されるだけ。始めから豊かな実を持っている者には勝てないのだった。
1年後、『Observed Chaos』の更新は止まっていた。
最後の動画は『街中で通行人にカラーボールを投げつけるコンビニバイト』、再生数は1061回。コメントは3件。
「まだ見てるやつおる?」
「こいつの動画、こいつである必要がないんだよな」
「今までを活かして生成AI解説動画でも作ろうぜ」
円遠が世間に送り出した大量のゴミはインターネットの深層に沈殿し、後から後から降り積もった新たなゴミで見えなくなっていた。
それでも長くチャンネルに居座る者が掘り起こしてはなんとかして火をつけようと毒を吐く。
コンビニの夜勤中、レジを打つ円遠の前にはタブレットを手に動画を眺める女性客がいた。
「かわいい~。やっぱ猫っすわ」
「それAIだろ。騙されるアホ乙」
恋人と思しき男性客がからかように呟く。
「嘘くせえじゃん。冷めるわ~」
「嘘を嘘と見抜ける俺アピうぜ~!」
「……ありがとうございます」
機械的に頭を下げる。円遠を見もせずにカップル客は仲睦まじく腕を組んでコンビニを出て行った。
休憩時間、円遠はバックヤードでスマホを取り出し、『Observed Chaos』のチャンネルを開いた。
「つまんねえ動画ばっか」
最後の動画を確認する。コメントは3件。再生数は1068回に増えている。その小さな数字の大きさを彼は知っていた。
円遠がもともと作っていた動画と比べれば、AI生成の電子ゴミのほうが遥かに世間に求められているのだ。中身のない迷惑行為が広告収入となって今も彼の懐に入ってくる。
たかが1068回の広告再生、たかが3件の“真っ当な”反応。何かを叩くために時間を潰す人々が相も変わらず円遠にあぶく銭をもたらし、時にはまともそうな見解を示してみせる。
「……ほんっと、くだらねえ。馬鹿ばっか」
円遠伊織は現在38歳、コンビニ夜勤のアルバイトで食いつなぐ自称クリエイターだ。彼の朝は絶望的な数字の確認に始まり、地道に変わりゆく数字の確認で夜が終わるのだった。




