3話:カトレア・ドリスタンとは
剣の名家であるドリスタン家の長女として生まれ、皇太子の婚約者として将来が約束されたカトレア・ドリスタンは誰もが羨む地位と名誉をに恵まれた令嬢であったはずだった。
しかし、そのどれもがカトレアという少女には身に余るものだった。
彼女は人としてはあまりにも不完全で、愚かなまでに不器用だった。
剣の才を開花させるべきが剣を振ることもままならず、皇太子と共に国民を導いていかなければならないのに絶望的なまでに口下手で人見知りでまともな会話が成立しない。
親であるドリスタン公爵は、最初のうちはそれでも焦りを見せなかった。
幼い頃からの無口や不器用さは「内気なだけ」「そのうち開花するはず」と楽観的に構えていた。
むしろ、それだけ純粋で清らかな娘である証だと、母親である公爵夫人ともども信じていた。
だが、時は無情に過ぎていく。
年齢を重ねれば重ねるほど、周囲の子女たちは才を磨き、華やかに社交の場に躍り出るようになった。
それに反して、カトレアの成長は鈍かった。
いや――まるで、時だけが流れ、彼女だけが取り残されているかのようだった。
皇太子との交流の場でも、彼女は一言も喋れず、俯いたまま挨拶の言葉さえ詰まらせてしまう。
あまつさえ、皇太子の前から逃げ出し、皇太子に捜索を手伝わせてしまったことも。
剣の稽古では、木剣をまともに握ることもできず、弟のフリージアに簡単に抜かされてしまう。
最悪なのは彼女の未熟さと軽率な行動が彼女自身だけでなくフリージアをも巻き込み、魔獣の牙にかかりかけるまでに至ってしまったこと。
公爵は苦々しい面持ちで娘を見下ろしながら、ついに言葉を吐き捨てる。
「……もうよい」
その一言は、カトレアの存在を“将来の希望”から“家の重荷”へと変えた。
「このままではドリスタン家の名が地に落ちる。……いっそ、療養でも名目にして屋敷から出すべきだ」
それは、表向きには「気遣い」、実際には「排除」の判断だった。
名家に泥を塗る前に、囲い込んで、外に出さず、いない存在として扱う。
そうして彼女は別邸へと追いやられ、他者と断絶させられてしまう。
しかし、数年後、突然の変化が訪れる。
いつもこもりっきりで誰とも会おうとしなかったカトレアが「学園に入学したい」と、公爵の執務室まで乗り込んできたのだ。
令嬢として立ち振る舞いもありながら、勝気な目つきと自信のある言動はドリスタン家には相応しい姿。
剣の才能は結局なかったものの、必要最低限であるドリスタン家の令嬢としての威厳は開花させて公爵は大いに喜び、入学を許可した。
それがいけなかった。
入学して早々にカトレアは悪名を轟かせる。
曰く――「他人を見下す高慢な貴族令嬢」。
曰く――「皇太子の婚約者であることを笠に着て好き放題に振る舞う悪辣女」。
曰く――「聖女ステラに嫉妬し、陰湿な嫌がらせを繰り返す陰険な女狐」。
もっとも有名な事件は、入学式からわずか数日後に起きた。
それは、聖女ステラが持っていた生徒会推薦状をカトレアが「平民が持つものではない」と破り捨てた、というものだった。
周囲の者たちは凍りついた。
推薦状は皇宮直轄の印章が押された正式な書類であり、それを公然と破るなど前代未聞だった。
だがカトレアは、唇に冷たい笑みを湛えながらこう言った。
「これはあなたが持っていていい紙ではなくてよ。陛下のお情けに甘えた平民が、身の程をわきまえず勘違いするからこういうことになるのよ」
その目は、かつて剣を持つことも人前で言葉を交わすこともできなかった少女とは思えないほどに、鋭く、挑発的だった。
それ以降、カトレアはことあるごとにステラの行動に干渉した。
授業中に意図的に教材を隠し、舞踏の練習では相手役を先に奪い取って孤立させ、薬草実習では「珍しい香水だから」と言って強烈な匂いの草をすり替えた。
本人は涼しい顔をしていた。
学園の誰かがステラの味方をしようとすれば、彼女はあくまで冷静に、言葉を丁寧に、けれど徹底的に相手を論破して黙らせる。
「ただの秩序の話よ。平民が勝手に秩序を乱すなら、誰かが正す必要があるでしょう?」
その度に、ステラはじっと耐えた。
平民出身でありながら奇跡の力を持ち、国を救う「聖女」であるステラは、周りからも大切にされていたが、学園の空気まではコントロールできない。
――なぜ、あのカトレアが聖女をいじめるのか。
噂は日を追うごとに大きくなっていった。
カトレアは婚約者の皇太子がステラに心を寄せているのを知って、嫉妬しているのだ。
令嬢としての地位も、才も、美しさも、何もかもを聖女に奪われるのが怖くて――
だが、カトレア自身は何を言われても眉一つ動かさなかった。
――これが、調査を通して知った。カトレアを古くから知る者たちの彼女に対する変化の印象であった。
……引き続き、調査を進める。
 




