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2話:公爵子息フリージア・ドリスタンによると

「……姉さんのことを聞きたい? 本気で?」


 小さな図書室の片隅で、本を閉じながらカトレア・ドリスタンの弟であるフリージア・ドリスタン はため息をついた。

 レオとは正反対の繊細な面立ち。淡い紫色の柔らかな髪、静かな瞳は夕焼けの空のよう。

 剣の名家であるドリスタン公爵家の嫡男でありながら、フリージアは剣よりも学問を愛する穏やかな少年だった。

 その秀でた学力とドリスタン家の力のおかげか、飛び級でカトレアと同じ年に入学をしている。


 しかし、その彼が 「姉の話」 になると、微かに眉をひそめる。


「知っているだろう? 姉さんは今……学園で悪名を轟かせている。

 僕が何を言ったところで、姉さんを庇う余地なんて――」


――でも、昔のカトレアは違ったのでは?

「……ああ、そうだね。姉さんは、昔は……本当に違ったよ」


 フリージアは遠い記憶を辿るように、ぽつりぽつりと語り始めた。


「姉さんは不器用だった。何をするにも人より時間がかかって、よく失敗もしていた。

 剣の稽古だって、僕が子供ながらに見ても悲惨だったよ。

 勢いよく剣を振りかざせば、その勢いのまま手から剣がすっ飛んで、一緒にいた僕は身の危険を感じたさ」


 微かに笑みを浮かべながら、フリージアは続けた。


「でも、姉さんは努力家だったんだ。誰にも見えないところで、必死に頑張っていた。

 夜遅くまで練習して、僕が寝ている間も庭で剣を振っていたのを覚えている。

 人との対話が苦手っていうのがあるかもしれないけど、姉さんは一日の時間を剣の練習か、部屋に篭って勉強をしているかのどちらかにしか使ってなかったよ。

 結局どちらも上手くいかなかったけれどね……」


 ――彼女はどうしてそこまで?


 問いかけに、フリージアは少し困ったように微笑んだ。


「……多分、父上と母上の期待に応えたかったんじゃないかな」


 ドリスタン家は 「剣の名門」。魔法を忌み嫌い、頼ることなく己の力で今の座にたどり着いた一族。

 名門と謳われるだけあって、ドリスタン家の令嬢子息は皆剣術に秀でていた。

 特に最初に生まれる子は一族の中心となるような才能を開花させることがほとんどで、カトレアは長女として、たとえ皇族と婚姻関係をもつことになったとしても例外的に、家名を背負うことを、当主になることを宿命づけられていた。

 しかし、何年と辛抱強く待てど、カトレアには剣の才能が目覚めることはなかった。


「姉さんは自分には無理だって分かっていたんだと思う。

 それでも……ドリスタン家の一員として、父上や母上に認めてもらいたかったんだよ」


 フリージアは目を逸らしまるで自分に言い聞かせるようにつぶやく。

 

「昔……僕は姉さんのことが……邪魔で苦手だったんだ。

 要領悪くて、とろくて、年長者として学ぶことなんて何一つないから。

 だから、森での演習中に姉さんを置いて行って一人で先に行ってしまったんだ」

 

 ドリスタン家では幼少の頃から剣を持たせ、演習を称して森にいる弱い獣を狩る風習がある。

 姉よりも優秀であると自覚していたフリージアは、初めての森での演習の際、姉の手際の悪さに苛立ちを覚え、単独行動をしてしまった。

 苛立ちで冷静さを失っていた彼は背後から近づく魔獣に気づくことができず、攻撃を受けてしまう。

 魔獣はただの獣とは違う。

 悪魔によって心を汚され、破壊に溺れた危険な生き物。


「頭を強く打ったのと、恐怖で足がすくんで……ろくに戦うこともできず敵の前で僕は倒れてしまって……」


 さすがのフリージアも死を覚悟した。

 しかし、朦朧とした意識の中で彼の前に彼女は現れたのだ。


「大丈夫、私が何とかするからって……震える声で姉さんは僕を守ろうとしたんだ」


 意識を手放してしまったフリージアはその後のことは知らない。

 ただ、次に目を覚ました時は屋敷の医務室にいて、全てが終わっていた。


「どうやらあの後に姉さんは僕を背負って魔獣から逃げるために崖から飛び降りたらしいんだ」


 幸いにもカトレアとフリージアが飛び降りた先は木が緩衝材になって助かったが、後を追った魔獣は運なくそのまま地面へと墜落死したとのこと。

 その後、フリージアへの監督不行き届きや、剣を持たずに敵に背を向け逃げ出したことへの言及などでカトレアは謹慎処分となった。

 以降はカトレアとフリージアのみでの演習は禁止されたりと、特にカトレアは家での立場が悪くなった。

 

「あれ以来……僕は、姉さんにどう接すればいいのか分からなくなってしまった」


 弟を守ろうとしたカトレアの背中がフリージアにとっては眩しかった。

 

「姉さんは、不器用で、努力しても報われなくて、弱い……でも、決して諦めない。誰よりも強い人だったんだ」

 

 フリージアは手元の本の端を無意識に指でなぞる。

 

 しかし、その事件をきっかけにドリスタン公爵と公爵夫人の関心は次第にカトレアからフリージアへと変わっていったらしい。

 いくらフリージアが剣の才能はなく、凡才だったとしても、まともに剣すら振ることもできないカトレアよりはマシだったのだろう。それに、彼は学問に関しての非凡な才はあった。

 剣士としても令嬢としても不完全なカトレアより、できる子であるフリージアを期待していったのだ。

 

 両親の関心さえもなくなったカトレアは何かに取り憑かれたように別邸に籠るようになったらしい。


「父上と母上には別邸に行くのを禁止されて僕は跡継ぎの教育で時間もなくなって、姉さんに会うこともなくなり、それこそ学園の入学式で久しぶりに姉さんに会ったんだ」


 その時、彼の前にいたのは変わり果てた姉の姿だった。

 

「……学園に入学してからの姉さんは、もう僕の知っている姉さんじゃなかった」


 フリージアの声はかすかに震えていた。

 全てを己の努力不足のせいだと自分を責めていた少女は、全てを他者のせいにし、虐げるようになった。


「まるで、誰か別人みたいで……僕は、姉さんが怖くなった」


 ――彼女が変わった理由に心当たりは?


「……正確には分からない。

 だけど、少なからず我が家の出来事が関係していないとは言い切れない。

 多分姉さんの中で、何かが……壊れてしまったんだよ」

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