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1話:皇太子レオ・イグナティウスによると


「君も知っている通り、私とカトレア・ドリスタンは婚約者だ」

 

 自身の婚約者についての話だというのに、目の前の男は随分と苦々しい表情で答えた。

 引き締まった体躯、獅子のたてがみのように波打った金色の髪、切れ長いエメラルドグリーンの瞳。

 凛々しく精巧な顔立ちは人々を虜にするが、彼はそれだけではない。

 鋭い眼光に宿った強い意志が、身に纏う威光が、彼を只人ではないと知らしめていた。

 それもそのはず。なぜなら彼は国の太陽である皇帝陛下の第一皇子――レオ・イグナティウス。

 誇り高き太陽の獅子は生まれたその瞬間から国を背負い導いていく者として生きてきた。


 しかし、そんな彼の悩みの種はどうやら最近噂の婚約者のことであった。

 カトレア・ドリスタン――古くから皇室を剣で支えてきた騎士の名家ドリスタン公爵家の娘のことだ。

 デビュタントはまだ先ではあるものの、式典やお茶会などでさえ姿を現すことがなかったカトレア。

 そのため今年カトレアが学園に入学するまでは、ほとんどの者が彼女を見たことがなく、多くの噂が飛び交った。

 大病を患っている虚弱な令嬢なのではないか。

 皇太子を縁談から遠ざけるために皇室と公爵家が仕組んだ架空の人物なのではないか。

 根も葉もない愚かな噂。でも、そんな噂も本人が学園に入学したことにより終止符を打った。

 最悪な形で。

 

「彼女の起こした醜聞は全て事実だ。入学のあの事件以降、監視を付けたが……まさかあれほどまで愚かだったとは……」


 入学式にカトレアは多くの者たち見ている中で、とある女性生徒を理不尽に罵ったのだ。

 その内容には聞くに堪えない人の神経を逆撫でるもので、誰もが思っただろう。


 「あれ」が皇太子の婚約者なのか?と。


 人々の疑問はもっともだ。生徒会長、皇太子という肩書に負けぬほどレオは眉目秀麗で成績優秀。

 そんな彼の横に立つのはやはり素晴らしい伴侶であるべきだと考えるのは当然のことだろう。

 だから彼女の言動には、賢く優秀な者ほど幻滅した。

 

 だが、不思議なのは皇太子自身も動揺していることだった。

 カトレアが表舞台に姿を現さなかったとはいえ、婚約者である皇太子は顔合わせとして幼少期から交流があるはずだ。

 

 ――交流を通して彼女の人となりを知っている。なのに、なぜ?


「たしかに彼女は表舞台に立つような子ではなかったし、その……元々、問題はあった。しかし、今の彼女とはわけが違う」

 

 かつての彼女を懐かしむように、苦笑いを浮かべながらどこか遠くを見つめた。


「カトレアは小心者で全てにおいてひどく不器用な子だった。いつも子ウサギのように縮こまっては震え、ちょっとしたことでも簡単にミスをする。

 私がカトレアと初めて会った時、彼女はどんな反応をしたと思う? 私を見て、怖いと泣いたのだぞ? 幼かったとはいえ、私は自分は何者であるか、周りから何を求められているのか、どう振る舞うべきか理解していた。だから、あの時も努めて優しく接した。自分で言うのは少し恥ずかしいが、少女たちが憧れる王子様を演じ切ることができた。実際、今まではそれで円滑に会話をすることができた。なのに、だ。私と目が合った瞬間、微笑んだその瞬間、彼女は大声を上げて泣いたのだ」


 幼き頃を語る皇太子はカトレアに手を焼いた苦々しい感情の日々を思い出し始めていたのか、やけに饒舌だった。

 

「それだけではない。あまりの不器用さにやることなすこと全て裏目にでるんだ。

 私がまだ彼女と出会って間もない頃のことなんだが、カトレアが突然姿を消して……

 誰もなかなか見つけることができなくてちょっとした騒動になったことがあったんだよ」

 

 ――もしかして、カトレアを見つけたのは?

 

「ああ、そうだ。私だ。偶然彼女を見つけてね。

 彼女、どこにいたと思う? 木の上にいたんだ。

 木に生っている果実を取ろうと登ったら下りれなくなってしまったようで。

 普段から彼女は大人しく、その時も一人でじっと静かにしていたからね」


 ――なぜ、彼女はそんなことを?


「私のためにだとさ。前後の記憶は少し朧げだが、あの時の彼女の言葉は、表情は、声は覚えている。

 涙をいっぱいにした目で、たどたどしい震えた声で、握り締めて崩れてしまった果実を私に向けながらこう言ったんだ」

 

 レオ様、これ、食べて、ください。

 

「カトレアは私に果実を食べてもらいたくてそんなことをしたんだ。

 果実なら使用人に頼めばいつでも用意できる。わざわざ彼女が危険を冒す必要はない。周りに迷惑をかけることもない。

 滑稽だろう? それくらいのこと望めば簡単に手に入るのに、彼女は望むという行為も、リスクも、完全に忘れていたんだ。

 ましてや、カトレアは他のドリスタン家の者とは違って身体能力も低く、木なんてまともに登れないのに」

 

 皇太子はソファの背もたれに身体を預け、天を仰ぎ、手で顔を抑えた。彼の表情は隠れて見れない。


「出会った頃から、私はカトレアとどう接していいのか分からなかった。

 他の令嬢と違って、どこか複雑で、どこか欠けている。

 不器用で、言葉足らずで、何を考えているのか分からない。

 彼女は不完全な人間で、だから、とても妃になれる器量ではなかった。

 だけど、どうしようもなく一生懸命だったんだ」


 カトレアのその一生懸命さが胸を締め付け、切り捨てるという判断を鈍らせた。

 少なからず情が湧いてしまったのだろう。

 いつも生徒たちの前では凛々しく、弱音を吐くことがない完璧な彼は珍しく己の過ちを、戸惑いを言葉にした。

 

「私も学園に入学してからは忙しく、彼女に会えていなかった。いや、ここで嘘を言うのはよくないか。正直に言うと彼女の抱えていた問題を後回しにしてしまっていた」


 ずるずると問題を放置して事態を悪化させてしまった。

 

「だけど、まさか彼女があのように変化してしまうとは思わなかった」


 ――彼女は、カトレア・ドリスタンは変わってしまったのか?


「ああ、そうだ。カトレアは最後に会った時から変わった。

 まさに皆が裏で囁いている悪役令嬢という蔑称に相応しい女性になってしまった。

 彼女は……他者への礼儀も忘れた。

 学園ではステラに対して理不尽な侮辱を浴びせ、以前の彼女なら絶対に言わなかったような言葉を平然と口にするようになった」


 レオ・イグナティウスは眉間に皺を寄せて嫌悪で塗りつぶしたような表情で吐き捨てた。

 

 カトレア・ドリスタンはロマンス小説に登場するような悪役令嬢になってしまったのだ。



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