第四話:合肥の壁
第四話:合肥の壁
赤壁の戦いから数年。曹操、劉備、そして孫権の三者が睨み合う天下の形勢は、なお流動の極みにあった。
建安二十年(二一五年)、孫権は、中原の覇者・曹操が漢中征伐に主力を割いている、という千載一遇の好機を捉えた。
「今こそ、魏の東方における重要拠点、合肥を攻め落とす時ぞ!」
十万と号する大軍が、江東より発せられた。その一翼を担う将として、呂蒙の姿もあった。
もはや、彼はかつての猪武者ではない。魯粛に教えを受け、書を読み耽った彼の眼は、戦場を立体的に捉えることができるようになっていた。彼は兵の配置や攻撃の時期に細心の注意を払い、自軍の陣立てにも兵法の理を応用した。そして、自ら陣頭に立って将兵を鼓舞するその姿は、知勇を兼ね備えた将帥のそれであった。
(見ていてくだされ、若君、魯粛殿。俺はもはや、呉下の阿蒙ではない!)
呂蒙の胸には、静かな自信が満ち溢れていた。
しかし、その自信は、合肥城の堅牢な城壁の前に、脆くも砕け散ることになる。
城を守る魏の将は、張遼、李典、楽進。彼らが率いる兵は、わずか七千。呉軍の十分の一にも満たなかったが、その士気は異常なまでに高く、その守りはまるで鉄の塊のようであった。
呉軍の猛攻は、ことごとく巧みな戦術で防がれ、いたずらに時と兵を失うばかり。膠着した戦況に、呉軍の陣営には焦りの色が浮かび始めていた。
その、油断と疲労が入り混じった、夜明け前の薄闇の中であった。
「あれは…何だ!?」
呉軍の見張り役が、声を上げるのが早いか、地響きと共に一つの騎馬隊が、霧の中から姿を現した。その数、わずか八百。しかし、その先頭に立つ一人の将が放つ威圧感は、まるで千の軍勢にも匹敵した。
「我こそは、魏の張遼文遠なり!孫権の首、貰い受ける!」
その咆哮は、呉軍十万の兵士たちの眠りを、恐怖で引き裂いた。
張遼の動きは、人知を超えていた。
彼は、呉軍の最も厳重な正面の守りを避け、陣と陣の継ぎ目という、最も手薄な一点を、まるで針で絹を裂くように突破した。その進路に、一切の無駄も迷いもない。まるで、事前に呉軍の陣立ての全てを知り尽くしていたかのようであった。
八百騎は、一つの生き物のように統制が取れ、乱れることなく呉軍の陣中深くへと突き進む。彼らの目的は、敵兵を殺戮することではない。ただ一点、孫権の本陣を突くこと。それだけであった。
呉軍は大混乱に陥った。孫権の旗本すら突き崩され、若き君主自身が敵の刃に晒される。
「若君をお守りしろ!」
呂蒙は、自らの持ち場を離れ、死に物狂いで孫権の元へ駆けつけた。そこで彼が見たのは、鬼神の如き張遼の姿であった。
その長槍は、ただ振るわれているだけではない。一振りすれば、呉兵の槍を三本同時に弾き飛ばし、その返す刃で、寸分の狂いもなく急所を貫く。技ではない。殺意でも、功名心でもない。恐怖も、死すらも超越した先にある、ただ純粋な「武」そのものの閃光。それは、かつて神亭で見た孫策の武とも、また質の異なる、恐るべき完成度を誇っていた。
呂蒙もまた、槍を振るって奮戦するが、張遼の神出鬼没の用兵と、死をも恐れぬ魏兵の気迫にじりじりと押し返される。
(なぜだ!?なぜ届かぬ!?)
呂蒙の槍は、確かに敵兵を貫いている。しかし、張遼の槍は、呉軍の「戦意」そのものを砕いているのだ。この差は、あまりに大きい。
辛うじて孫権を退避させることには成功したが、呉軍の損害は甚大であった。名だたる将も数名討ち取られ、兵たちの士気は地に落ちた。
合肥攻略は、完全な失敗に終わった。
撤退の道すがら、呂蒙の心は、鉛を呑んだように重く沈んでいた。
張遼の個人的な武勇もさることながら、その大胆不敵かつ緻密な奇襲戦術。そして何よりも、寡兵でありながら大軍を恐れぬ魏兵の高い士気。その全てが、呂蒙がこれまで学んできた兵法書の知識を、嘲笑っているかのようであった。
「学問を修め、兵法を学んだ。だが、なぜこれほどの差がある…?」
彼の脳裏に、あの「閃光」が焼き付いて離れない。
(あれが、武の極致か…。俺がこれまで誇ってきた武も、学んだばかりの知も、あの男の一撃の前では、何の価値もなかった。俺の『一撃』とは何だ? 俺が人生を懸けて放つべき一撃とは、一体どこにあるのだ…?)
合肥での敗北は、呂蒙にとって耐え難い屈辱であった。
だが同時に、それは彼に、決して書物の中だけでは答えが見つからない、魂の在り方という、決して逃れることのできない宿題を突きつけた。
張遼という、圧倒的な「壁」の存在。
その壁を乗り越えんとする、猛虎の絶望にも似た渇望が、呂蒙を知のさらなる深淵へと、そして真の将帥への道へと駆り立てる、強烈な劇薬となったのである。