第三十七話:影の反乱
第三十七話:影の反乱
呂蒙の急進的な改革は、ついに、抑えられていた憎悪の奔流を、決壊させた。
会稽郡。
かつて、この地で絶大な権勢を誇っていた旧豪族・周氏が、呂蒙の土地改革によって財産のほとんどを奪われたことを恨み、ついに兵を挙げたのだ。
彼らは、「呉下の阿蒙による簒奪政治を討ち、真の呉を取り戻す!」と称し、同じように不満を抱いていた周辺の豪族たちを巻き込み、その勢力は、瞬く間に数万にまで膨れ上がった。
その報は、都・洛陽の呂蒙の元に、衝撃となって届けられた。
諸将は色めき立った。
「丞相の改革が、ついに国を乱した!」
「今すぐ、陸遜殿を派遣し、彼らを説得すべきだ!」
しかし、呂蒙は、冷静であった。彼の眼には、この反乱が、自らが演じる「完璧な英雄」という神話に対する、最初の、そして最大の挑戦状と映っていた。
(ここで、私が揺らいではならぬ。神は、決して迷わぬ。決して、過ちを犯さぬ)
呂蒙の思考は、もはや常人のそれではなくなっていた。彼は、司馬懿の奸計や、豪族の不満といった現実的な要因以上に、この反乱が自らの「神聖性」を傷つける行為であることに、耐え難い屈辱を感じていた。
彼は、朝議の席で、即座に精鋭部隊を派遣し、反乱を力で根絶やしにすることを、強く主張した。
「反乱は、神聖なる皇帝陛下と、この呂蒙が築き上げた秩序への、断じて許されざる冒涜である!これに、対話の余地などない!病巣は、容赦なく、根こそぎ焼き切らねばなりませぬ!」
しかし、これに陸遜が、敢然と待ったをかけた。
「丞相、お待ちくだされ!彼らも元は呉の民。今、刃を向けているのは、我らの同胞なのです!武力で鎮圧すれば、さらなる恨みを生むだけ。私に任せていただければ、対話によって、必ずや事を収めてみせましょう!」
「黙れ!」
呂蒙は、一喝した。彼の声は、病に蝕まれているとは思えぬほど、鋭かった。
「お前の言う対話は、神への反逆を許すことと同義だ!それでは、国の秩序は保てぬ!私のやり方に、間違いはない!」
二人の対立は、ついに軍の指揮権にまで及び、その決定は、皇帝・孫権に委ねられた。
孫権は、深く、深く苦悩した。
だが、最終的に、彼は呂蒙の強硬策を認めた。圧倒的な民衆の支持を得ている「英雄・呂蒙」の威信を、ここで損なうわけにはいかない、と判断したからだ。
派遣された呉の正規軍は、反乱軍を、容赦なく鎮圧した。
そして、呂蒙は、非情な命令を下した。
「首謀者である周氏の一族は、老若男女を問わず、一人残らず斬首せよ。その首を会稽の市に晒し、神聖なる呉の法に逆らう者が、いかなる末路を辿るか、天下万民に示すのだ」
その命令は、忠実に実行された。会稽の地は、血で赤く染まった。
この苛烈な処置は、江南の豪族たちを恐怖のどん底に突き落とし、彼らを沈黙させた。
「呂蒙神話」は、血によって、その神聖性を証明したかに見えた。
呉の国内は、再び、静けさを取り戻した。
だが、それは、墓場のような、死んだ静けさであった。
陸遜は、呂蒙のこの非情な手法に、深く、深く失望した。
(この人は、もはや人の心を持っていない。理想の神になるために、自ら鬼になったのだ…)
彼は、もはや呂蒙と対話することをやめ、自らの職務を淡々とこなすだけの、冷たい臣下となった。
呉を支える二本の柱は、互いにそっぽを向き、修復不可能なほどに、断絶してしまった。
そして、この事件は、呂蒙の「魂の病」を、決定的に悪化させた。
夜ごと、彼は、会稽で殺された女子供の亡霊にうなされた。
『なぜ、私たちを殺したのですか…』
その声は、彼の脳裏にこびりついて離れなかった。彼は、自らが守ろうとした「神話」という怪物に、その魂を、内側から喰い尽くされ始めていた。




