第二十九話:東西の響鳴
第二十九話:東西の響鳴
呂蒙が東部戦線で司馬懿と、互いに一歩も譲らぬ、息詰まるような知略戦を展開していた、まさにその頃。
遥か西方の戦線でもまた、もう一人の天才が、巨大な壁を前に苦闘していた。
蜀漢の丞相・諸葛亮孔明。
彼は、第二次北伐を開始し、その主たる攻略目標として、戦略的要衝・陳倉城を包囲していた。
諸葛亮は、自らが考案した最新鋭の攻城兵器――雲梯、衝車、そして井闌――を次々と繰り出し、陳倉城に猛攻を加えた。
しかし、この陳倉城を守っていたのは、郝昭という、無名ながらも守戦の妙を極めた名将であった。
諸葛亮が雲梯をかければ、郝昭は火矢でそれを焼き払う。衝車で城門を攻めれば、巨大な石臼を鎖で吊るしてそれを打ち砕く。蜀軍が城壁の下に坑道を掘れば、郝昭は城内から対抗する坑道を掘り、地下で壮絶な白兵戦を繰り広げた。
郝昭の守りは、まさに神算鬼謀。諸葛亮が仕掛けるあらゆる攻撃を、ことごとく巧妙かつ粘り強い戦術で撃退した。
蜀軍は、この予想を遥かに超えた堅固な守りの前に、深刻な苦戦を強いられていた。兵士たちの間には、焦りと疲労の色が濃くなっていた。
(このままでは、兵糧が尽きるのが先か、兵の心が折れるのが先か…)
諸葛亮は、険しい表情で、難攻不落の城壁を睨みつけていた。
蜀軍苦戦の報は、遠く東部戦線の呂蒙の元にも、蜀からの密使によって届けられた。
呂蒙は、その報告書を読み、深く腕を組んだ。
(孔明殿が、あれほどまでに手こずるとは…郝昭、尋常の将ではないな。だが、ここで蜀軍が頓挫すれば、司馬懿は西の憂いをなくし、魏の全力を、この私にぶつけてくるだろう。そうなれば、いかに我が軍とて、持ちこたえることはできぬ)
呂蒙は、諸葛亮との盟約の重さを、誰よりも理解していた。それは、単なる信義の問題ではない。呉と蜀、どちらか一方が倒れれば、残った方も、いずれ魏に飲み込まれる。二国は、好むと好まざるとに関わらず、運命共同体なのだ。
彼は、司馬懿との睨み合いを続け、決して動かぬと見せかけながら、水面下で動いた。
彼は、麾下の猛将・朱然に精鋭一万を授けると、密かに本隊から分離させ、夜陰に乗じて、北へと向かわせた。
その目標は、徐州の広陵であった。
朱然の部隊は、まさに電光石火の速さで広陵城下に到達し、城を包囲した。
「呉軍、広陵に現る!」
その報は、洛陽の魏の朝廷を震撼させた。
「何ということだ!呂蒙の本隊は淮南にいるのではなかったのか!?」
「まさか、呂蒙は、司馬懿殿の軍を陽動とし、本命はこちらの徐州を狙っていたというのか!」
魏の朝廷は、パニックに陥った。彼らは、東部戦線全体の崩壊を恐れ、急遽、陳倉城へ送る予定であった張郃率いる増援部隊の一部を、徐州の防衛へと割かざるを得なくなった。
この、魏軍の動きこそが、呂蒙の真の狙いであった。
(これで、孔明殿も、少しは息がつけるであろう)
陳倉城で孤軍奮闘していた郝昭は、待ち望んでいた援軍が、当初の予定よりも大幅に遅れ、かつ規模も縮小されたと聞き、絶望した。
圧倒的な兵力差と、援軍の遅延。そして、日に日に悪化する兵士たちの士気。
ついに、彼の張った緊張の糸は、ぷつりと切れた。
諸葛亮は、その機を逃さなかった。蜀軍は最後の猛攻を仕掛け、心身ともに限界に達していた魏兵は、次々と城壁から崩れ落ちていった。
難攻不落を誇った陳倉城は、こうして、ついに蜀軍の前に陥落した。
この勝利は、西の諸葛亮の神算鬼謀と、東の呂蒙の巧妙かつ効果的な間接的支援が、見事に「響鳴」した結果であった。
二人の天才は、遠く千里を隔てながらも、まるで一つの頭脳のように思考し、行動していた。
呉蜀同盟の戦略的連携が、初めて具体的な形で、強大な魏帝国を大きく揺るがした瞬間であった。
そしてこの勝利は、司馬懿に、呂蒙だけでなく、諸葛亮という、もう一人の恐るべき敵の存在を、改めて強く認識させることになったのである。




