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第二十三話:三国の思惑、丞相の孤独

第二十三話:三国の思惑、丞相の孤独

白帝城の盟約から二年。

天下は、魏・呉・蜀の三国が互いに牽制し合う、奇妙な均衡状態へと移行した。しかし、その静かな水面下では、それぞれの思わくが複雑な潮流となって渦巻いていた。


呉では、呂蒙の「内治優先」と、陸遜の「積極攻勢」の対立が、なおも続いていた。孫権は、二人の偉大な臣下の間で、国の舵をどちらに切るべきか、決断を下せずにいた。宮廷は、まるで二つの太陽が同時に昇ったかのように、熱を帯び、(きし)んでいた。


そんな折、西方の蜀漢から、驚くべき報がもたらされた。

丞相・諸葛亮が、国力を傾け、第一次北伐を開始したというのである。

この報は、呉の朝廷をさらに揺るがした。

「今こそ、盟約に従い、蜀と呼応して魏を討つべし!」

陸遜派は、「盟友への信義」を掲げ、即時出兵を主張した。

「いや、これは蜀が、我らを矢面に立たせるための陽動に過ぎぬ!乗ってはなりませぬ!」

呂蒙派は、そう反論し、両者の対立は、もはや抜き差しならぬものとなっていた。


その夜、呂蒙は、丞相府で一人、地図を前に深く思い悩んでいた。

彼の病は、日増しに重くなっていた。胸の痛みは、彼から冷静な判断力を少しずつ奪い、焦りだけを募らせていた。

(なぜ、分からぬのだ。陸遜も、諸将も…。今、戦をすれば、呉は疲弊するだけだというのに…)

彼の孤独は、深まるばかりであった。


そこに、一人の女性が、静かに入ってきた。彼の姉、鄧当の妻である。

彼女は、疲れ果て、痩せこけた弟の顔を見て、深く眉をひそめた。そして、彼の傍らに座ると、まるで子供に言い聞かせるように、静かに言った。

「子明、お前は少し、勝ちすぎたのだよ」

「姉上…?」

「お前は、この呉で、あまりに大きな功を立てすぎた。それは、多くの者の嫉妬と、反感を生む。陸遜殿の背後には、誰がいるか分かっているのかい。陸氏をはじめとする、我ら江南の豪族たちがいるのだよ。彼らは、お前のような叩き上げの男が、国の実権を握ることを、決して快くは思っていない」

彼女の言葉は、単なる肉親の情ではなかった。鄧家という豪族の一員としての、冷静な政治的忠告であった。

「これ以上、一人で事を進めれば、お前は宮廷で孤立する。どんなに正しいことであっても、一人では何も成し遂げられはしないのだよ」

姉の言葉の重さに、呂蒙は、ただ黙って頷くしかなかった。彼の正しさは、彼をますます孤独にしていた。


同じ頃、遠く成都の丞相府で、諸葛亮もまた、呉から届いた密偵の報告に目を通していた。

「…ほう、呉はいまだ動けぬか。呂蒙の慎重論、陸遜の積極論…孫権も、骨が折れるであろうな」

彼の唇に、かすかな笑みが浮かんだ。

「好機よ」

彼の思考は、呉との信義以上に、蜀の国益と漢室復興という、揺るぎない大目標に繋がっていた。

「呉が東で魏の兵力を引きつけてくれれば理想だが、動かねば動かぬで良い。二虎競(きそ)い食らわば、我らに利あり。我が大義、今こそ進める時だ」

彼は、呉の内部対立を、自らの北伐を成功させるための、絶好の機会と捉えていた。


一方、魏の都・洛陽では、一人の男が、呉蜀両国の動向を、狼のように鋭い目で冷静に分析していた。

大将軍・司馬懿仲達である。

「陛下。諸葛亮が動きました。しかし、呉は動けぬ様子。呂蒙と陸遜の対立は、我らにとって僥倖(ぎょうこう)。今、魏の全力を西に向け、まず蜀の出鼻を挫くべきです。東は、合肥の守りを固めておけば、かの呂蒙とて、容易には動けますまい」

彼の、的確にして冷徹な献策は、魏帝・曹叡(そうえい)に採用された。

魏軍の主力は、西方の対蜀戦線へと、静かに、しかし迅速に集結し始めた。


英雄たちの思惑が、複雑に絡み合う。

呉の内部対立を、蜀は利用し、魏は好機と見た。

天下は、再び、激動の渦へと巻き込まれようとしていた。

そして、その渦の中心で、呉の丞相・呂蒙は、誰にも理解されぬまま、深い孤独の闇の中にいた。

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