第二十一話:新たなる均衡
第二十一話:新たなる均衡
劉備の死後、蜀では皇太子の劉禅が即位し、丞相・諸葛亮が国政の全てを取り仕切ることになった。彼は、まず内政の安定と国力の回復を最優先とし、民の暮らしを立て直すことに全力を注いだ。
一方、呉でもまた、夷陵の戦いで勝利したとはいえ、その国力は大きく疲弊していた。孫権と呂蒙、そして陸遜は、奪取した荊州の統治を固め、来るべき日に備えて力を蓄える必要があった。
魏という巨大な共通の敵を前にして、呉と蜀は、いつまでも敵対しているわけにはいかなかった。憎しみや遺恨を乗り越え、再び手を結ぶことこそが、互いの国が生き残るための唯一の道であった。
諸葛亮は、蜀の使者として鄧芝を呉へと派遣した。
孫権は、当初こそ蜀への不信感から鄧芝をなかなか引見しようとしなかったが、鄧芝の堂々たる弁舌と、呉蜀が手を結ぶことの利を説くその理路整然とした主張に心を動かされた。
「よかろう。過去は水に流そう。これより呉と蜀は、再び同盟を結び、共に魏を討つことを誓う」
孫権の決断により、呉蜀同盟は、再び締結された。
この新たな同盟関係の構築において、水面下で重要な役割を果たしたのが、呉の呂蒙と、蜀の諸葛亮であった。
二人は、使者を通じて頻繁に書状を交わした。その内容は、単なる外交辞令に留まらなかった。互いの国の内情、兵制、そして対魏戦略について、率直な意見交換が行われた。
二人の天才は、一度も顔を合わせることなく、ただ書状を交わす中で、互いの底知れぬ才覚と、国を思う純粋な心に、敵ながら深い敬意と、奇妙な信頼感を抱き始めていた。
『孔明殿。貴殿の治政、見事である。蜀の国力回復の速さ、この呂蒙、舌を巻くばかりだ』
『子明殿。貴殿の荊州統治、そして軍制改革もまた、天晴れである。呉の礎は、盤石と見受けた』
天下は、再び、呉蜀連合対魏という、新たな均衡状態へと移行していく。
そして、この二人の天才の存在が、来るべき中原での最終決戦において、決定的な役割を果たすことになることを、この時の彼らは、互いに予感していた。
英雄たちの物語は、新たな章へと、その歩みを進めたのである。




