第十六話:持久の策、孤独の戦
第十六話:持久の策、孤独の戦
章武元年(二二一年)夏。
復讐の炎をその身にまとった劉備率いる蜀軍は、まるで長江そのものが逆流してくるかのような、凄まじい勢いで呉の国境へと迫ってきた。
その数、七十万と号す。先鋒を務めるは、勇将・呉班。後方には、張飛の遺児・張苞や関羽の遺児・関興といった若き勇者たちが控え、その士気は天を衝くばかりであった。
呉の大都督・陸遜は、前線に築いた陣営の物見櫓から、遥か西の地平を埋め尽くす蜀軍の砂塵を、冷静な目で見つめていた。
彼は、冷静に戦況を分析した。蜀軍は数において勝り、復讐心という最も強力な力に支えられ、士気も高い。この怒濤の勢いに、正面からぶつかるは下策。いたずらに兵を失い、国を疲弊させるだけだ。
彼は、ただ一つの勝ち筋を見出していた。
それは、「時間」を味方につけること。
「蜀軍の初鋒をかわし、敵を我が領土の奥深くへと誘い込む。長期戦に持ち込み、敵の補給線を延びきらせ、故郷を遠く離れた兵たちの士気が、夏の暑さと、終わりの見えぬ戦に自然と蝕まれるのを待つ。これぞ、寡兵が大軍を破るための唯一の道なり」
陸遜は、持久戦略の採用を決定した。
彼の指導のもと、呉軍は計画的な後退を繰り返した。蜀軍が攻めかければ、軽く一戦交えてすぐに引き、決して深追いしない。まるで、猛牛をあしらう闘牛士のように、敵の力を受け流し、その体力を奪っていく。
しかし、この一見して弱腰とも取れる戦術に対し、呉軍の内部からは、たちまち不満と批判の声が噴出した。
「なぜ戦わぬのだ、大都督!」
「敵に領土を明け渡すとは何事か!これでは、亡き孫策様も草葉の陰で泣いておられるぞ!」
血気盛んな若い将や、歴戦のプライドを持つ韓当、周泰といった老将たちからの突き上げは、日に日に激しくなっていった。陸遜の陣営は、四方を敵に囲まれているだけでなく、味方からも刃を突き付けられているような、完全な孤立状態に陥っていた。
毎夜、軍議の席は、陸遜への詰問の場と化した。
「陸遜殿!貴殿は、我らを犬死にさせるおつもりか!」
「この臆病者めが!」
陸遜は、それらの罵声を、ただ無表情に聞き流した。そして、孫権から与えられた絶対的な指揮権の証である「仮節鉞」を静かに卓に置き、こう言うのであった。
「軍令に背く者は、たとえ歴戦の勇将であろうと、斬る。以上だ」
その氷のような冷徹さで、彼はかろうじて軍の規律を保っていたが、その心にかかる重圧は、常人の想像を絶するものであった。
その頃、後方の江陵にあって、呂蒙は病床から、陸遜の後方支援体制の確立に全力を注いでいた。
兵糧や武器の輸送が、一日たりとも滞ることのないよう、自ら帳簿を調べ、輸送路を監督した。兵員の補充も、滞りなく前線へと送り続けた。
そして何よりも、陸遜の方針に不満を抱く他の将たちの家族や縁者を訪ね、粘り強く説得工作を行った。
「陸遜伯言の策は、深謀遠慮に基づいたものだ。今はただ耐える時。彼を信じよ。この呂蒙が、保証する」
呂蒙の、呉軍内部における絶大な信頼と影響力は、陸遜の孤独な戦いにとって、目に見えない、しかし何よりも強固な支えとなっていた。
ある夜、呂蒙の元を、陸遜からの密使が訪れた。
その密書には、前線の苦しい状況と、諸将の不満が、切々とした筆致で綴られていた。そして最後に、こう記されていた。
『我が策は、果たして正しいのでございましょうか。日夜、この心に迷いが生じ、眠れぬ夜を過ごしております。私がもし間違っていたら、この呉は、私のせいで滅びるやもしれぬ…』
それは、弱冠の大都督が、誰にも見せることのできない、悲痛なまでの弱音であった。
呂蒙は、その密書を読み終えると、震える手で筆を取った。
そして、ただ一言だけを書き記した。
『伯言よ、迷うな。信じた道を行け。そなたの背後には、この呂蒙がついている』
その短い返書は、夜を徹して前線の陸遜の元へと届けられた。
陸遜は、その力強い筆跡を目にした瞬間、熱いものが頬を伝うのを感じた。
(呂蒙殿…)
孤独な戦場で、自分を信じてくれる者が、ただ一人でもいる。その事実が、彼の折れかけた心を、再び鋼のように強くした。
連戦連勝を重ねる蜀軍の側では、次第に驕りと油断の色が濃くなっていた。劉備もまた、「呉には我が軍を阻むほどの将はおらぬか」と、敵を侮るようになっていた。
それこそが全て、若き大都督・陸遜の計算の内であった。
彼は、蜀軍が最も油断し、夏の暑さと長い戦線に疲弊しきった、その一瞬を、老練な猟師のように、静かに、ただ静かに待ち続けていた。
反撃の時は、刻一刻と近づいていた。