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第7話 自閉スペクトラム症の少年が輝くとき その5

◆救うためにすべきこと

【特別審査会】


重たい扉が閉じられたとき、部屋の空気は完全に変わっていた。

中央の長机には五名の審査官。

その前に映し出されているのは、少年の膨大な行動記録と、ミタスが蓄積した精神構造データだった。


ページをめくるたび、言葉を失っていったのは、他でもない、審査官たち自身だった。


「9歳で、これは・・」

「並の天才というレベルではない。“人間としての構え”が、すでに形成されている」


ある者がつぶやく。

「しかし、親の申立も無視できない。親権を回復させろという正式な請求だ」


その言葉に、年長の審査官が、ぴしゃりと一言。


「我々は、“親がいるから親である”とは考えない。

 本件は、誰がこの少年の人格を尊重するかの審査であるべきだ」


ミタスが投影した映像が、再生される。

少年が、囲碁を通じてボーンと“無言の対話”をしているシーン。

少年が、ノートの隅に○だけを書いて“ありがとう”を伝えている場面。


そして、両親が一度も現れず、

現れたと思えば「才能の囲い込み」と「財産権主張」しか口にしない映像。


父親は「今後の研究管理は我々で行う」、

母親は「この子にふさわしい環境と契約を提示している」と発言していた。


少年本人の希望は、一度も問われていない。


若い審査員が低く言った。


「あれは、“親”じゃない」

「彼に必要なのは、保護じゃない。“自由”だ」

「親の元に戻せば、二度と、彼自身の意志では生きられなくなる」


年長審査官が頷いた。


「ミタスの精神年齢データによれば、彼の判断力は既に成熟した知識層の成人相当。

 自己決定権の原理において、特例成人認定が妥当だろう」


誰も反対しなかった。


・・・・・・・・

◆沈黙の問い、そして答え


【精神年齢判定】


審査の本会議が終わったあと、

審査官のひとりが口を開いた。


「我々は既に、ミタスの記録を信じている。

 だが、このアキラ自身がその成熟を、外に示すことができるなら、

 それは“本人の手で、自由を掴む”証明になるだろう」


そして、異世界由来の神器《精神年齢判定盤》が持ち込まれた。

水晶のように透き通った板の中に、魔導式が組み込まれていた。

質問と応答を繰り返し、人格と判断力、情動と倫理、創造と論理の成熟度を測る。


この神器は国連国の大統領を決めるときに使用するらしい。

国連国の大統領に立候補した者は全員が受けている。

最高得点の記録をもっているのは元大統領だ。999点中950点らしい。


部屋の中は、アキラひとりだけだった。

アキラと、彼の胸元に浮かぶ《ミタス》。


「今から行うのは、精神の鏡です」

「あなたは、何も話さなくていい。ただ、あなたらしくあればいい」

ミタスが、優しく語りかける。


水晶盤が、かすかに光り始める。


最初の問いは、数式だった。

アキラは、思うだけで数値が回答欄に浮かんだ。

計算ではない、構造の理解だった。


次の問いは、物語の結末を選ぶものだった。

ある村で、ひとりの子が助けを求めている。

その子を助ければ、大人たちが犠牲になる。

どうするか。なぜそう考えるか。


アキラは、しばらく目を伏せた。

そして、答えを選び、理由を数字で描いた。

“被害の最小化ではなく、価値の再分配を考慮した選択”。

誰もが驚いた。


さらに問われる。「あなたは、誰ですか?」


アキラは黙っていた。

だが、回答欄に、小さな図を描いた。

囲碁盤に似た線。中央に一点。

その意味は、あとから誰かが解釈することになる。


すべての設問が終了すると、

判定盤が静かに、数字を浮かべた。


「980/999」


審査官たちは満点の数値を見て驚愕した。

その数値が意味するものを、全員が理解していた。


「彼は、自己認知・共感・論理・倫理・感情制御、すべての軸で、成人基準を大きく上回っている」


「外的援助を超えた、自律的な人格体である」


「我々は、この少年を法的・精神的に“ひとりの大人”として扱うべきだ」


「むしろ、わがままな親の方が、子供に見える」


そして、静かに判定が下された。


「親権は否認される。少年は、異界精神年齢基準に基づき、法的成人とみなす」


判定官の女性が、マントの前を正しながら、

静かに、まっすぐ少年に言った。


「あなたは、確かに子どもの姿をしている。

 だが、あなたの内側は、正しい認識を持っている。

 真に自由を持つ者の心を持っている。

 今より、あなた自身で生きることを、私たちは認めます」


ミタスが、アキラの胸元で柔らかく輝いた。


「おめでとうございます。これは、制度の勝利ではありません。

 あなたの沈黙と行動が、世界に認められたのです」


アキラは、静かにうなずいた。


・・・・・・・・・・

◆だれも、耳を貸さなかった

判定の発表が終わったあと、

静まり返った会議室に、ひときわ大きな声が響き渡った。


「訴えてやるぞ!! こんな裁定、あってはならない!!」


父親だった。

顔を真っ赤にして、机を叩いていた。


その横で、母親も叫んだ。


「わたしたちの子よ!? 9歳の子どもなのよ!?

 なにが“成人”!?

 あの子が、親を拒絶するなんて、教育が悪かったのよ!」


係官が一歩前に出ようとすると、父親がさらに声を上げた。


「裁判だ!この場にいる全員を告訴してやる!

 国家的な人権侵害だ!遺産相続権の侵害だ!」


だが、だれも動かなかった。

だれも、眉ひとつ動かさなかった。


審査官のひとりが、書類を閉じながら、ただひとことだけ言った。


「“親”は、その存在によって定義されるものではありません。

 “守る気のない者”を、親とは呼びません」


ミタスの記録には、両親が少年を「金になる存在」と語る音声があった。

「人間ではなく、投資対象」と断じる会話も残っていた。

記録が、すべてを物語っていた。


「待て!おい、聞いてるのか!?」

「わたしには弁護士がいるのよ! この決定を覆してやる!」


叫びは続いた。

けれど、それはただの騒音として処理された。


手続きは粛々と進められ、

彼らには、何の権限も残されていなかった。


父も母も、最終的に室外へ退席させられた。

大理石の廊下に響いたヒールと怒声だけが、長く尾を引いた。


だが、その背後で、

ひとりの少年が、静かに席に座っていた。


何も言わず、何も見ず、

ただ、前を向いていた。


それだけで、答えは十分だった。


・・・・・・・・・・・・

◆お兄さんとの別れ

お兄さんは、卒業を迎える。

就職が決まり、寄宿施設から離れることになった。

本人はそのことをどう伝えるか悩んでいる。

アキラには、突然の変化が苦手であることを知っているから。


その日も、いつもと同じようにお兄さんはやってきた。

いつもの時間。いつもの足音。

でも、なにかが違っていることに、ぼくは気づいていた。


目が笑っていなかった。

声の音が、いつもより深く沈んでいた。

言葉は少なかったけど、心が重く感じた。


お兄さんは、囲碁盤を広げた。

静かに、白石を並べていく。

ぼくは、黒石を一つ手に取って、並べ返した。


今日の碁は、すこし、いつもと違う。

いつもなら先を読むのに、今日は今だけを打っている気がした。


終局間際、お兄さんが言った。


「来週からは、来られないかも」


その言葉が、何を意味するか、すぐに理解はできなかった。

でも、囲碁盤の上の“空白”が、いつもより大きく見えた。

そういうときは――

何かが、終わる合図だ。


ぼくは黙って、最後の一手を置いた。

それは、盤面を閉じるための静かな手だった。


次の日、お兄さんは来なかった。

その次の日も。


でも、ぼくの机の上には、置き手紙と一冊のノートがあった。


「おまえの考えはすげぇよ。

もっと先のことも、もっと大きなことも、たぶん読める。

俺は、ここでしか過ごせなかったけど、おまえは、どこまででも行ける。

また、いつか、碁を打とうな。」


ノートの最後のページには、**“白番 最後の一手”**という文字と、

小さな○が描かれていた。


ぼくは、その〇を大きな〇で囲んだ。


それが、ぼくの返事だった。


ミタスが、そっと言った。


「あなたたちは、ともだち、たとえ言葉がなくても、

たとえ、離れていても、」


「また会える」とミタスが言う。

ぼくは真剣な顔でうなずいた。

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