第6話 自閉スペクトラム症の少年が輝くとき その4
【お兄さんの視点】
◆おまえの力を、世界に見せたかっただけ
正直、最初は軽い気持ちだったんだ。
懸賞問題の答えを見て、最初に思ったのは、
「運がいい」だった。
でもそれが続いた。二度、三度、五度、十度。
何度見ても、あいつの数字は正確だった。
意味も分からず書いてると思ってたのに、
気がついたら、俺よりも先の“形”を見てる。
チャートもそうだった。
あの不規則な揺れを、まるで風の音を聞くみたいに、
何も考えてない顔で、未来を描いていた。
俺は、それを見て思った。
「この才能を、誰かに知ってほしい」
初めてだったんだよ、そう思ったのは。
自分じゃなくて、“誰か”を、認めさせたくなったのは。
だから、言ったんだ。
うちの大学の数学科の教授に。
「とんでもないやつがいる。小学部の子どもで、
一年間、あの雑誌の懸賞問題、ぜんぶ正解してる」って。
そしたら、教授は信じなかった。
当然だ。
でも、証拠を見せたら、顔色が変わった。静かに何かを考えはじめた。
それが、はじまりだった。
ある日、俺の部屋の前に、スーツを着た知らない大人が来た。
そのあと、職員室に呼び出された。
「君の言っていた子どもの件で、至急話がある」って。
その日から、風向きが変わった。
大学側が、動いた。
「処遇を検討する必要がある」
「親の承諾を得るべきだ」
「研究対象としては、」
その言葉が、怖かった。
“研究対象”って、なんだよ。
あいつは、“問題を解く機械”じゃねぇよ。
あいつは、俺と遊んでただけなんだよ。
数日後、会議があった。
俺は呼ばれなかった。
でも、噂はすぐ広がった。
親が現れたらしい。
今まで一度も顔を出したことのない親が。
俺は、その言葉を聞いて、冷や汗が出た。
親は、笑っていたらしい。
「我が家の血を引く子に、そういう才能があって当然だ」
「これからどう育てるかは、我々が決める」
そう言って、俺のことを調べはじめた。
雑誌に載った名前はアキラ。少年の名前だ。
でも。懸賞金の受取は、俺の名前でやってた。
俺は、そうだ。バレたらまずいことをしてた。
でも、あいつを売ろうとしたわけじゃない。
ただ、ほんとうにすごいって、
それを、世界に知ってほしかっただけなんだ。
そして、今日。
職員室に呼ばれた。
「君の行為は、搾取にあたる可能性がある」
「保護者からの正式な抗議があった」
「退学処分を検討せざるを得ない」
なにも言えなかった。
部屋の外に出るとき、
机の中に入れていた、小さな白と黒の囲碁の駒が目に入った。
あいつが、机の上に並べてくれたやつ。
あれを見ながら、ひとつ思った。
「おれ、また間違えたかもしれないな」
あいつの顔を、見たい。
怒ってるかもしれない。
嫌われたかもしれない。
でも、もし、声が届くなら、こう言いたい。
「おまえを売ったんじゃない。
おまえがどれだけ、すげぇかを、伝えたかっただけなんだ」
あいつが、どんな顔でぼくを見ているのか、
それを想像するのが、いちばん怖い。
・・・・・・・・
◆ぼくのこえ
昼の空気が、いつもと違った。
教室に、知らない大人がいた。
スーツを着た、声の大きな人たち。
先生たちの声も固くて、笑っていなかった。
ぼくは呼ばれた。
知らない場所に連れていかれた。
白い壁、かたい椅子、机の向こう側に並んだ人たち。
ひとりの先生が言った。
「君に“利用された”という証言がある。
彼は、君に問題を解かせて、懸賞金や投資の利益を得ていた。
これは“搾取”だ。
君は、騙されていたんだ。そうだろう?」
ぼくは、何も言えなかった。
言葉が、胸の中で詰まっていた。
いつものように、出てこなかった。
だけど、知っている。
それはちがう。
お兄さんは、ぼくを**“使って”いたんじゃない**。
ぼくと、一緒に遊んでくれただけだ。
ノートを渡して、数字を読んで、ケーキをくれて、石を並べて、
そして、「すげぇな」って、言ってくれた。
目の前に、お兄さんがいた。うつむいていた。
ぼくの顔を見なかった。
そのかわり、ノートを差し出してきた。
中には、何も書かれていなかった。
“これが最後”という意味だと、ぼくはすぐに分かった。
最後のノートに、答えを書くか?
それとも、声で答えるか。
ミタスが、胸元で、ゆっくり光った。
「あなたなら、きっとできると思います。
ただ一言で、世界は変わります。
でも、無理をする必要はありません。
望んでいないなら、沈黙もまた、あなたの意思です」
ぼくは、手を胸に当てた。
深く吸って、息を吐いた。
もう一度、深く吸って、
「だまされて、いない」
お兄さんを指さして
「ともだち」といった。
そして、両親をみた。思い出した。
両親が言い争いをしている様子、
自分を乱暴に扱い、
嫌がるのに無理矢理、引っ張って
ここに置き去りにしたことを
昨日のように思い出した。
痛みを思い出した。
ミタスが心に言う。「叫んではダメ」
そして、両親を指さして、
「こわい人たち」
と小さく言った。
両親の真っ赤で険しい顔が怖かった。恐怖で叫びそうなのを我慢した。
ミタスが輝くような結界を張って、音を遮断した。
周りから、両親からの拒絶を明らかにした。
小さな声だった。
でも、ぼくの声だった。
室内の空気が止まった。
誰も動かなかった。
お兄さんが、ゆっくり顔を上げた。
目が、すこし赤くなっていた。
「・・ありがとう」
それだけ言って、うなずいた。
ぼくは、ノートを受け取って、
そのまま、一文字だけ書いた。
大きな〇
お兄さんを指さして「〇」であると
大きな×
両親を指さして「×」であると。
数日後、お兄さんの処分は取り消された。
お兄さんは、施設を出ていったけれど、
警察沙汰にはならなかった。
ぼくの声は、少しだったけれど、
それが、全部を変えた。
ミタスが言った。
「あなたの“言葉”は、正義でした。そして、勇気でしたね」
ぼくは何も言わずに、
その日のページに、小さな○をひとつ書いた。
よくやったというように。