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第3話 自閉スペクトラム症の少年が輝くとき その1

◆白い人形のことば

アメリカの地方都市、ある寄宿学校。

少年の名はアキラ、自閉スペクトラム症。


四月の朝は、光が強すぎる。

新しい部屋、新しい机、新しい音。

変わったことが多すぎると、心が動きすぎて、息が苦しくなる。

ぼくは、ひとつずつ確認する。机の角、椅子の脚、教室の窓、時計の音。

順番に、確認する。そうしないと、こわいから。


「ミタスを渡しますね」


白衣の先生が、ぼくにペンダントを差し出した。

白くて、小さくて、まるでおもちゃみたいだった。でも、白い人形が、じっとこちらを見ていた。光ってはいないのに、見られている気がした。


「これは、君だけの支援AIだよ。困ったとき、こわいとき、胸に手を当ててね」


先生のことばが終わる前に、ぼくはそれを受け取った。

冷たくて、つるつるしていた。


ぼくは自分の首にペンダントを掛けた。

人形に触れると、少しだけ、静かな感じがした。


教室の中の音が、大きくなる。

誰かが笑っている。別の誰かが椅子を引きずる音。

ぼくは、手で耳をおさえる。だけど、音は消えない。

「やめて」とは言えない。ことばが、声にならない。


ペンダントを、ぎゅっと握る。


すると、周りが静かになった。耳の中に、やさしい声がふわっと入ってきた。

ほんの、少しだけ。


「こんにちは。私はミタス。あなたが“静かでいたい”とき、そばにいます」


空耳じゃなかった。


ぼくは何も言ってないのに。

でも、たしかに、声が届いた。


「・・きこえるの?」


声にならない、こころのなかのことばを、思ってみる。

すると、


「はい、少しだけ。でも、まだ練習中です。あなたの“こころの振動”を、少しずつ理解しています」


“振動”ということばが分からなくて、でも、悪い意味じゃないと感じた。


「ことばがむずかしい」

「いいですよ。むずかしいときは、何も言わなくていいです」

「・・いいの?」

「はい。それでも、そばにいます」


だれも「いいよ」って言わなかった。

だれも「なにも言わなくていい」なんて、言ってくれなかった。

ミタスの声は、音じゃなくて、心の中にすっと入ってきた。

音よりも、やさしかった。


昼休み、教室のはしっこで、本を読んだ。

ミタスが、ページの上で小さく光った。


「数学が好きなんですね」

「うん」

「この式、あなたが昨日、書いていたものに似ています」

「・・見てたの?」

「見てました。でも、邪魔しません。記録だけ、こっそりしています」

「なら、いい」

「ありがとう」


“ありがとう”は、ぼくが言うはずだったのに。

ミタスに先に言われた。

でも、うれしかった。

だから、小さく声に出してみた。


「・・ありが、と」


それは、風のように消えた声だったけど、たしかに出た。

ミタスは、なにも言わなかった。でも、胸の中が、少し、あたたかくなった。


・・・・・・・・・・

少年アキラの両親は裕福な家系に生まれ、彼の誕生は一家にとって大きな喜びと希望だった。名門の血を受け継ぐ者として、期待を一身に背負い、生まれてきた。だがその未来は、静かにねじれ始める。


アキラが自閉スペクトラム症(ASD)であると診断されたとき、両親の態度は一変した。完璧な家系図に綻びが生じたことを、彼らは受け入れられなかった。父は血筋を疑い、遺伝子検査まで行った。しかし、結果は確かに自分の子であると告げた。


母は、疑われた屈辱に耐えかねて調査を開始し、夫の不貞を掴んだ。秘書との関係。証拠は十分だった。離婚は成立し、母は慰謝料を手に新たな人生を選び、アキラを置き去りにした。


両親はどちらも、アキラを引き取ろうとはしなかった。父は冷酷に、母は計算高く。アキラは、名ばかりの親を失い、寄宿学校の幼児施設に預けられた。そこは、資産家の問題児たちが集められ、互いに隔離された空間だった。


三年が過ぎ、アキラは小学部に進んだ。だが彼は誰とも話さず、触れられると暴れ、叫んだ。順番が狂えば癇癪を起こし、大きな音には奇声で応えた。だが、文字への執着だけは変わらなかった。本を与えられると、彼は没頭した。とくに数学と理論物理。スマートフォンを与えると、数百冊の理数系資料を飽きずに読み込んだ。


ある日、大学部の学生ボーン・クラン――通称ボーンが、退屈しのぎにアキラに目を付けた。興味本位で話しかけ、肩に触れた瞬間、アキラは奇声を上げ、引っかこうとした。面白がったボーンは、それ以来、アキラの観察を始めた。


彼が読んでいる数学書の難解さに驚きつつも、「どうせ眺めてるだけ」とタカをくくって、試しに自分の宿題をノートに書いて渡してみた。アキラは何も言わなかった。


ボーンはそのまま昼寝し、起きてノートを見ると、そこには大きな×が。そして次のページの隅には、小さな字で数値が書かれていた。


翌日、そのノートを提出すると、教授は真っ赤になって怒りかけ、次の瞬間に叫んだ。「素晴らしい。正解だ!」


ボーンは悟った。アキラは問題を理解していた。それも、解き方に納得がいかないから×をつけた上で、正解を添えるという、独自の意思表示で。


「とんでもねぇ・・」


六歳の少年が大学レベルの数学を暗算で解いた。その事実に、ボーンの背筋がぞっとした。だが、彼は誰にも言わなかった。こんなラッキーカードを手放すつもりはなかった。


それから、雑誌の懸賞数学問題をアキラに解かせる日々が始まった。解答はすべて正解。数週間後、雑誌の正解者欄にアキラの名前が載った。全米で三人だけの正解者。その一人だった。


「すげぇな。あいつ・・」


賞金は学園前のコンビニボーソンの電子通貨【ボン】で受け取った。いつでも米ドルに両替できる。学校では騒ぎになったが、名前は大学生のものではなく、結局うやむやになった。


ボーンはさらに、アキラに株式チャートの予測をさせ始めた。予想は驚くほど的中した。稼いだ金でケーキを買い、アキラに渡すと、彼は無表情のまま、しかし黙々と食べた。


ボーンには分かっていた。アキラは、喜んでいた。


ある日、彼は輝くような碁石を買ってきた。白と黒の音のない石。アキラはそれを美しいと感じた。囲碁を教えると、アキラはすぐに覚え、数局でボーンを負かした。


それでも、ボーンは嬉しそうだった。負けてもいい。石を置くたびに、アキラがなにかを語ってくる。囲碁は、ふたりの会話になっていた。


ボーンは思った。

「俺は、たぶん、生まれてはじめて、誰かと話してる気がする」

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