第1話 イジメに苦しむ君に ナナ 前編
◆ミタス、結界展開
【朝・郊外の小学校 登校前の自宅】
小学五年のナナは、今朝も家を出るのをためらっていた。
靴を履いたまま、玄関で立ち尽くしている。
昨夜の食卓、ナナはほとんど箸をつけなかった。
母が好物のコロッケを出しても、ほんの一口しか食べなかった。
母は、洗面所から戻ってきて、そんなナナの背中を見つめた。
背中が、ずっと小さくなっているように感じた。
母「どうしていいか、分からない」
そう、ぽつりと呟いた。
朝ごはんも、半分以上、冷めたまま残っていた。
話しかけても返事は短く、目も合わせてくれない。
ナナ(今日もきっと、カナちゃんたちに机を引かれる。ノートを破られる。声をまねされる。でも、先生は「気のせい」で終わらせる)
そんなナナの胸には、前日にコンビニ《ボーソン》でもらった、白い小さな小さな人形のペンダントがあった。おもちゃみたいな見た目だった。
『こわいと思ったら、握ってね。わたしが“あなたを真ん中に”した結界を展開します』
そう心に声が響いた。信じていなかったが、今朝は、そっと手に握ってみた。
母は、玄関のドアを開けてから、静かに言った。
母「ナナ、行ってらっしゃいね」
ナナは振り向かず、ほんの少しだけ、うなずいた。
その小さなうなずきに、母の心配は大きくなった。
【教室・1時間目前】
ナナが教室に入った瞬間。
待ち構えていたように、クラスの女子3人が目を向けた。
「また来たよ、コソコソさん」
「髪ボサボサ、くさいんだけど?」
「“うわっ”って顔してみせるのウケるよね」
ナナの心が、一気に冷たく沈む。
ナナ(やっぱり、ダメだった)
そのとき、胸元で、人形のペンダントがひとりでに光を放った。
【ミタス起動】
「状況確認。恐怖反応レベル4。対人ストレス過剰。ミタス、結界展開」
空間に“音”も“光”も生まれない。けれど、ナナの半径50センチの空間が、ふわりと切り離された。
声が届かない。物が投げられても、空気がそらす。視線が当たっても、脳がナナを“認識しない”。ミタスが認識阻害魔法を展開していた。
加害側の子どもたちは、不意に首をかしげた。
「なんか、つまんない」
「やめよっか。しらけるし」
「なんか眠い」
彼女たちは退屈そうに振り返り、それ以上は近づいてこなかった。
【放課後】
ナナは、はじめて「疲れていないまま」一日を終えた。
黒板の字も、教科書のページも、ちゃんと読めた。
給食の味もした。
誰の声も怖くなかった。
それだけのことが、奇跡に思えた。
【その夜・ミタスとの対話】
ナナは布団の中で、小さなミタスにそっと話しかけた。
ナナ「ありがとう。でも、なんで私だけ、守ってくれるの?」
ミタスの声は、優しく心に響いた。
「私は必要とする子供にもれなく渡るようになっています。あなたの生活を安全安心で満たします。あなたが大人になるまで、そばにいます」
ナナは、胸元をぎゅっと抱きしめた。静かに安堵して嬉し泣きした。
ナナ(ありがとう)
【数日後】
ミタスの出番は、日に日に減っていった。
けれど、ナナの中には、誰にも奪われない“安心の境界”が築かれていた。
誰かが声をかけてきても、もう怯えなかった。
返事もできた。
ミタスは、胸元で静かに待機していた。
出番がなくなることこそ、人形の成果だった。
こうして、生活支援AIは、「声にならない恐怖」に結界を張って、生活に安全安心を満たしていく。
◆ミタスの沈黙、そしてナナの一歩
【昼休み・教室の隅】
ナナは静かだった。誰とも話さず、読書をしていた。
けれど、その姿は以前の“怯えた沈黙”とは違った。
呼吸は安定していて、机の端に置かれたお弁当も、ちゃんと食べていた。《ミタス》の結界に守られ、誰からも干渉されない空間の中で、ナナは、“平穏”に生きていた。
だが、それが、許せない子がいた。
【加害児童・カナの視点】
カナ(つまらない。なんで、あんなやつが笑顔でいられるの)
ナナが泣いていたとき、視線を伏せて縮こまっていたとき、その姿を見るたび、胸の奥が妙に“満たされる”感じがした。母がよく言う『人の不幸は蜜の味』を感じた。快感が走った。
カナ(ナナは“見下される側”でなきゃいけないの。黙って、こっちを見るだけでいいのに)
ある日、カナは“ナナの胸元”に小さな白い人形のペンダントが光っているのを見つけた。
カナ(あれ、なに?変な光、気持ち悪い光。そうだ、いいこと思いついた)
【でっちあげられた通報】
その日の放課後。
カナは保健室にいた教師に、嘘を吐いた。
カナ「先生。ちょっと言いづらいんですけど、ナナさんが、学校に“持ってきちゃいけないおもちゃ”を持ってるんです」
教師「どういう意味だい?」
カナ「ペンダントの怪しい人形を持っていて。光ってたり、誰かと通信してるみたいで、正直、怖いんです」
カナの声には強く熱を帯びていた。
教師は表情を曇らせた。カナの父親は市会議員、母親はPTA役員だ。教頭からもカナには配慮するように言われている。特別なお子様だった。
教師「分かった。明日、本人に確認しよう」
【教室・朝の時間】
ナナが静かに席に着いた直後、教室の空気が一変した。
教師のイシバシが、硬い表情で歩み寄ってくる。
イシバシ「ナナさん。胸元のペンダント、それは、ここに持ち込んではいけないものだと思うんだが?」
ナナは言葉を失った。
「これは、“ミタス”です。危険なものじゃありません」
イシバシ「自分で判断することではないよ。学校には持ち込み禁止の規則がある。保健室の職員も不安を感じていた。詳しく調査が必要だ」
ナナ「でも、これは、わたしを守るもので・・・・」
イシバシは言葉をさえぎり、手を伸ばした。
「いいから、渡しなさい。私が預かる」
イシバシの高圧的な命令に従い、ナナはペンダントを外した。
ミタスが結界をはれば、教師への反抗となる。それはナナの立場を悪くすると判断して、AIは結界を張らなかった。
【抵抗・ミタス、結界を張らず】
ナナの手の中で、《ミタス》が小さく光る。
ミタス「ナナさん。これは、あなたの意志の戦いです。取り上げられるとしても、あなたが自分の言葉を残してください」
ナナは震える手で《ミタス》を強く抱きしめた。
ナナ「これは、わたしが“ひとりじゃない”と思える、たったひとつの物なんです。いじめられても、無視されても、これだけは、わたしの味方なんです!」
教師の顔がしかめられた。
イシバシ「そうですか。それは"依存症”だ。それは“教育環境にふさわしくない”。教師の言うことを聞けないのなら保護者を呼びます」
【保護者呼び出し・放課後の相談室】
午後、ナナの母が学校に呼び出された。
相談室で、イシバシは苦々しい表情で語る。
イシバシ「この“ミタス”という人形が、明らかに本人の情緒に強く結びついています。私としては、一時的な没収と精神科的評価を提案します。ご家庭としても、“依存性の高い物”が良いものとはお考えでないでしょう?」
ナナの母は、困惑していた。
母「そんな、最近、うちの子は学校に行けてたんです。あの子、変わったんです。よく食べて、寝て、少しだけ笑って。それを“取り上げる”って、どういうことなんですか?」
イシバシ「学校としては、他の児童への影響も考えねばなりません」
【沈黙するミタス・そしてナナの一言】
沈黙のなか、ナナがゆっくりと口を開いた。
ナナ「先生、“他の子への影響”って言いましたけど、あの子たちは、わたしをいじめても、先生は見て見ぬふりでしたよね。わたしが静かに生きようとしてるだけで、“問題”になるんですか?」
その言葉に、相談室の空気が固まった。
母もまた、そっと娘の肩に手を置いた。
「先生、わたしは、娘が“何かに頼ってでも、人に迷惑をかけず、生きたい”と思えたなら、それで十分です。人形は、わたしが見てきたどんな教師より、娘をまっすぐに支えてくれました」
教師は困惑していた。しかたなく、教頭に相談することにした。
【その日の放課後】
ナナは校庭の隅で、ミタスをそっと握った。
ナナ「怖かった。でも、言えた」
ミタス「あなたの言葉は、あなたを守ることができます」
ナナは、初めて、自分の力で結界を張った気がした。
《ミタス》は、ただそっと彼女の胸元で光っていた。
◆ ミタスとナナ、試される時
【校長室横・応接室】
翌日、夕方、ナナと母は再び学校に呼び出されていた。
今度は、教師イシバシだけではなく、教頭・シバカワが同席していた。
教頭のシバカワは無表情に書類をめくりながら、机越しに言った。
「まず確認しますが、この子が持ち込んでいた白く光る小さな人形は、家庭での管理ができていなかったということでよろしいですね?」
母「いえ、それは・・・」
イシバシが横から補足する。
「本人が感情の制御を人形に頼っている状態です。しかも、それによって教師の指導が届かない場面も複数。クラス内で孤立を深めています」
シバカワは頷いた。
「なるほど。つまり、“普通の集団生活が困難”ということですね」
母「ちょっと待ってください。娘は最近ようやく学校に通えるようになって、その人形のおかげで・・・」
シバカワ「ですが、学校は治療施設ではありません。“特殊な配慮”が必要な児童については、然るべき場所へ転校していただく方針が妥当です。他の保護者からも心配の声が出ています」
ナナは椅子の上で凍りついていた。声を出そうとしても、喉が震えるだけだった。
母がふり向く。
「ナナ、どうなの?本当のことを言って、何があったの?」
ナナ「わ、たし、ちが、う・・」
言葉が出ない。教頭のするどい目つきが怖くて、涙ぐみ、感情が喉でせき止められ、ミタスの光だけがポケットの中で脈打っていた。
シバカワは、それを冷ややかに見つめた。
「やはり、言語表現の困難もあるようですね。このまま“普通のカリキュラム”を続けても本人がさらに苦しむだけです。特別支援学級へ、即日転向の手配を進めます」
母「ちょっと、それは、あまりに早すぎませんか」
シバカワ「これは“合理的配慮”です。本人のためを思っての判断ですので、ご理解を」
【帰り道・沈黙のなかで】
校門を出たあと、ナナはずっと俯いていた。
母も無言だった。
重い空気の中で、ようやく母がつぶやいた。
母「ナナ、私、間違ってた?あなた、本当に、あのクラスじゃ、無理だったの?」
ナナは言いたかった。
違う。
私は“変わってなんかない”。
でも“話す力”が足りないだけ。
だからミタスが必要だっただけ。
ただ、それだけ。
でも、声にならない。
ミタスが、ナナの手の中でほんのわずかに震えた。
ミタス「今は、話せなくていい。でも、あなたが“話したい”と思ったその日、私はちゃんと、力を貸します。それまで、忘れられても、消えても、私はあなたの隣にいます」
こうして、“学校制度の正しさ”の名の下に、ナナは劣等生、集団生活不適合者として分類・区別された。