7.皇太子殿下と元王女
至近距離まで近付いたため、ローブの男性の顔がハッキリと視界に映る。なるほど、これは確かに美丈夫だ。海のように青く澄み渡った瞳、くっきりと通った鼻筋、形の良い唇。ハリス会長が綺麗系だとするならば、この方からは男らしさを感じた。
私が言葉を遮ったからか、男性は目を丸くして固まっている。
「……ディオン、貴方今なんて言ったの」
「彼女が運命の番だと」
ディオンと呼ばれた男性は、ハリス会長に視線を向けて答えた。
「本気?」
「誠にございますか……!」
「あぁ」
怪訝そうな顔をになるハリス会長と、喜ばしいという反応を見せる付き人らしき方。二人に対し、男性はすぐさま頷いた。
「……取り敢えず上で話しましょう。状況を整理しないと」
「わかった。そうしよう」
ハリス会長の言葉に頷いた男性。会長の移動と同時に、そのまま彼も動き出そうとした。
「すみません。放していただけるでしょうか」
「あぁ……すまない」
掴んでいた手が離れると、私は再び掃除用具入れに手をかけた。
「ル、ルネ? お掃除なら大丈夫よ。それよりも、一緒に上に行きましょう」
「私もですか?」
「えぇ、ルネも」
てっきり彼らだけで話すものだと思っていたのだが、ハリス会長に呼ばれたのであれば行かなくてはいけない。手に取っていたほうきを元に戻し、すぐさま会長の傍に移動した。
私達は三階に移動し、ハリス会長の部屋へ入室した。
私とハリス会長が並んで座ると、向かい側にローブの男性が座り、付き人の方は後方で立ったままだった。
なんともいえない空気が漂う中、ハリス会長が切り出した。
「改めて確認するけれど……ディオン。ここにいる子――ルネが、貴方の運命の番なのね?」
「間違いない」
間髪入れずに頷く男性と、その様子を見て笑みを浮かべる付き人。ハリス会長をチラリと見上げれば、非常に複雑そうな顔をしており、言葉が出てこない様子だった。
「おめでとうございます…………!」
重い空気を破ったのは、後方で控えていた付き人だった。一人だけ拍手をしており、感極まっているという顔をしていた。
「ま、まずは紹介からよね。この子はルネ。うちに所属する優秀なお針子よ」
「それで、こちらが――」
ハリス会長の紹介に合わせて軽く会釈をする。すると、ローブの男性はフードを取った。隠れていた黒髪が露わになり、男性の姿がハッキリと見えた。
「ルネ。こちらにいらっしゃるのは、我が国グラント帝国の皇太子ディオン殿下よ」
「……帝国の皇太子殿下に、ご挨拶申し上げます」
ハリス商会を利用することから貴族であることは察していたが、まさか最高位ともいえる皇族だとは思わなかった。さっきの会釈よりも深く頭を下げて挨拶をする。
(本当は立ち上がって、カーテシーをする必要があるけれど……今の私は平民。そんなことをする平民は恐らくいないわ)
座ったまま挨拶をして顔を上げると、殿下はじっとこちらを見続けていた。見定めているのだろうかと思いながら、私も目を逸らすことをしなかった。作り笑顔で殿下を見ていれば、彼はふっと笑みをこぼした。
「明日、迎えに来よう」
「ちょっと、ディオ……殿下」
「急だったか? 仕事があるのなら調整する」
「そういうことじゃなくて……」
何か言いたげなハリス会長だったが、口に出すのを迷っている様子だった。会長の沈黙で静寂がおとずれると、今度は付き人が口を開けた。
「おめでとうございます。貴女は非常に幸運な方ですね」
「……何がでしょう」
穏やかな口調でこちらを見つめる付き人は、笑顔でそう告げた。言葉の意味がわからなかった私は、そのまま真意を聞いた。
「皇太子ディオン様の運命の番とは、誰もが羨む地位! これ以上ない光栄なことですから」
喜び一色の付き人に、笑顔のままの皇太子殿下。
状況は理解できる。何かの手違いや勘違いでなければ、どうやら私は目の前に座る皇太子殿下の運命の番のようだ。
――だから、なんだというのだろう。
付き人から言葉の真意を聞いても、少しも納得も理解もできなかった。運命の番という言葉は、きっと告白に近いことなのだろう。私はあまり好かない言葉だけれど、そこまでは理解できた。告白されたのなら、返事をしなくては。
「ごめんなさい。羨ましくも、光栄とも思えないんです。なのでお断りさせていただきますね」
誠意を込めて謝ると、私は頭を下げた。皇太子殿下と付き人は面食らったような顔をしており、固まっていた。
「では、これで失礼しますね」
告白に答えた私は、やることを終えた。そう思って立ち上がれば、ハリス会長が腕を掴んだ。
「ル、ルネ? ちょっと待ってちょうだい。その、えっと。それはつまり――」
「不成立ということですね。……では」
私達の関係は何も始まることはないという意味で答えると、軽く頭を下げて扉に向かおうとした。しかし、腕は掴まれたままで、引っ張られる形となった。
「待って待って待って。話はまだあるのよ。そんなに急がなくても――」
「ですが、お掃除がありますから」
「それよりも重要なお話よ! 今日くらい掃除をしなくても大丈夫。だからもう少しお話しましょう!」
「駄目ですよ。それではサボりになってしまいます」
何よりこれ以上話すことは私にはない。そう思いながら出て行こうとするものの、会長の手は動かなかった。
「会長、お放しください」
「ルネの気持ちもわかるのよ、でもまだ話す意味があるから」
「……ないと思うのですが」
お掃除をしに行きたい私と、ここに留めたい会長の攻防が始まった。
「あるのよ。お願いだから話しましょう。……てかなんでこんな力強いのよ」
「答えが変わることはないので」
ハリス会長は私の腕を掴みながら引き留めようとしたのだが、逆に会長の体を動かしてしまう結果となった。会長は体が倒れると、両手で私の腕を掴んだ。
「会長権限! 会長権限よ! あたしが、今日の掃除は必要ないと判断したから。ここに座ってちょうだい……! 」
「…………それなら」
いくら会長の権限でもと言いそうになったが、それを呑み込んで大人しく座ることにした。