1.海を越えた先に
無事、東の大陸に到着した。
海に流されることなく、船が荒波に呑み込まれることもなかった。
「ここが……帝国」
目の前に広がるのは港町で、たくさんの人が生活しているのが見える。じっくりと観察する間もなく、入国審査の列に並んだ。
到着した港は帝国領という話をアドルフさんから聞かされ、自分が本当に入国できるのか不安を覚えた。
「お嬢ちゃんは刃物とか薬とか、怪しいものは持ってないだろ?」
「はい。服とお金になりそうなものだけです」
「それなら大丈夫さ。観光目的だと言って持ち物検査を終えれば、簡単に入国できる」
「それは……大丈夫なのですか?」
確かリシアスは、海からの入国は貴族と王族しか認めていない。それも事前にかなりの手続きが必要と聞いたことがある。
(今の私はただの平民。それなのに、この国へ入れるのかしら?)
アドルフさんの言葉を疑う訳じゃないが、にわかに信じがたかった。
「ここは帝国といっても、竜族が治める国だからな」
「何か関係があるんでしょうか」
「おや。お嬢ちゃんは番について聞いたことがないか?」
「番……本でなら目にしたことがあります」
「そうだった。西には獣人がいないもんな」
なるほどな、と一人納得するアドルフさん。まだ獣人を目にしたことがない私にとっては、番は物語だけの話に思えてしまった。
「獣人には運命の番ってものが存在すると言われてる。同種族にいるかもしれないし、他種族にいるかもしれない。もしかしたら、誰かの運命の番が海の向こうから来る可能性だってある。その可能性を潰さないためにも、入国の基準が甘いっていう話だ」
「まぁ……」
帝国に住む獣人のための方針と言われれば納得できる。
「種族を越えた情熱的な愛。だからこそ運命の番と呼ばれるらしいが……お嬢ちゃんは興味あるか?」
「運命の番……想像もつきませんね」
獣人も目にしていないのでわからないのが正直な感想だ。だからこそ、普通の情熱的な恋との違いがわからない。
「私は…………情熱的な愛よりも、どこにでもあるような……そうですね、晴れた日にお日様の下で一緒にお茶を飲むような恋がしたいです」
「それはまた随分穏やかな恋だな」
「素敵だと思って」
「あぁ、それも楽しそうだ。きっと叶うよ」
アドルフさんと頷き合ったところで、私達の入国審査が始まった。
何の問題もなく審査を終えると、そのままメロリウス行きの乗り合い馬車に乗った。
馬車に乗っている間は、船で話しきれなかったアドルフさんの冒険談を聞いた。どの国のお話も面白く、まるで本を読んでいるような素敵な時間だった。
「見てみなお嬢ちゃん。そろそろメロリウスが見えてくるころだ」
森を抜けた先には、アドルフさんの言葉通り、大きな城壁が見えてきた。
「まぁ……とても高い」
リシウスにも城壁はあるが、あそこまで高くない。
「あんまり低すぎるとな、獣人が簡単に入ってきてしまうって話だ。それでも、登るやつは登るし、空を飛ぶ者達は関係ないと聞く」
「そうなんですね」
人間が道具を使ったとしても、あの高い壁を登るのは難しい。それを登れるのが獣人と言われて、ますます想像がつかなくなってきた。
(獣人……もしかして羽が生えているのかしら)
どんなものかと想像してみたが、やはりあまり上手くいかなかった。未知なる存在だなと考えていたところで、馬車が停止した。
「到着したみたいだな」
いつの間にか城門の手前に来ており、大きく見えていた城壁はさらに高くなって視界に映った。辺りを見渡していれば、城門に見慣れない姿をした者を見つけた。
「……耳と尻尾?」
警備隊のような制服を着ているのだが、人間とは違う風貌に驚く。帽子からは耳が出ており、腰より下の部分からは尻尾のようなものが生えていた。初めて見る姿に、釘付けになってしまった。
「あぁ、獣人は初めて見るんだったな。港町じゃすぐ馬車に乗っちまったからな」
「はい。初めて目にしました」
「彼らは犬の獣人だ」
「彼らが獣人……」
言われてみれば、犬の特徴が見受けられる。けれども、耳と尻尾がある以外は人と何も変わらない。
「ちなみに、入国審査をしたのも獣人だよ」
「ですが、あの方達は耳や尻尾はなかった気が」
「俺も詳しくはないんだが、能力が高い獣人は耳や尻尾のような特徴を隠せるらしい。だから、見た目はほとんど人間と変わらない者もいるぞ」
「……奥が深いですね」
想像していた獣人よりも、はるかに人らしいことに驚いた。
(耳と尻尾……とても可愛らしいわ)
ふふっと笑みを浮かべると、もう一度獣人を見た。
(私……本当に東の大陸に来たのね)
長い時間をかけて海を越えて港町に到着した時よりも、なぜだか実感が湧いてきた。
「それじゃあ、お嬢ちゃん。ここでお別れだな」
「アドルフさん……」
私達が一緒にいたのは二ヶ月にも満たない時間だが、それでも共に旅ができたみたいで楽しかった。毎日顔を合わせていた人と別れるのは、寂しいと感じてしまう。
「そんな顔するな。旅をしてれば、いつかまた会えるさ」
「……はい。また冒険談を聞かせてくださいね」
「もちろんさ。……とまぁカッコつけてるだが、実は俺も一度家に帰ろうと思ってな」
「お家にですか?」
「あぁ。元々帝国出身だしな。家はここよりも北部にあるんだ」
「北部」
旅を続けたい気持ちはやまやまだが、さすがに西の大陸を歩き回った上に船まで乗った後だから、一年は休息を取ると言う。
「これが俺の住む場所だ。何かあったら頼ってくれ」
「ですが」
「おっと、これ以上はとか言うなよ? ここまで一緒に旅した仲なんだ。もう仲間みたいなもんさ。俺にできることは限られてるが、頼ってくれ」
「……ありがとうございます。会いに行きますね」
頼るのを目的とせずに、仲間に会いに行くことを理由にすれば、私も気軽にアドルフさんの下へ行ける気がした。
「じゃあな、お嬢ちゃん。……いや、ルネ。よい旅を!」
「アドルフさんも。お気を付けて」
深々と頭を下げていれば、「もういいぞ。最後なんだから顔を見せてくれ」と笑われてしまった。
アドルフさんを乗せた馬車を見送ると、私は城門へと踏み出した。