16.価値観の押し付け合い
私の提案にハリス会長は首を振っていたが、これ以上迷惑をかけたくないという思いを話せば、渋々と頷いてくれた。
「……ルネ。万が一でも何かあったら、裏口から逃げるのよ。あたしが足止めするから」
「ありがとうございます」
どこまでも面倒を見てくれる会長の優しさがありがたかった。しかし、万が一が起きない可能性は高い。
実は、会長室にくる前にジネットから番に関する知識を教えてもらったのだ。加えて恋愛に関する本もたくさん読んできた。それを踏まえた上で、皇太子殿下との話し合いへの立ち回りを考えた。勝算がないわけではないのだ──。
(……それでも緊急するものね)
相手が皇族だからか、それとも運命の番だからか、どこか気が重くなってしまう。
「ルネ、来たわ」
ハリス会長が感じた気配は正しく、階段を上る音が聞こえた。ふうっと深く息を吐くと、椅子から立ち上がって扉の正面に移動する。護身用にと買った香水をお守り代わりにかけると、背筋を伸ばした。
「オレール。失礼する」
「……えぇ、どうぞ」
会長が立ち上がりながら私に視線を向けた。返事をしていいかと言いたげな目に、少しだけ間を空けて頷いた。
ガチャリと音を立てながら扉が開くと、そこにはローブを着てフードを被った男性が立っていた。顔は見えなくても、雰囲気と声なら覚えている。彼は間違いなく、皇太子殿下だ。
「ルネ」
「ご無沙汰しております、皇太子殿下」
「あぁ、久しぶりだな」
目が合うと、それを逸らすかのように深々と頭を下げた。顔を上げる時には、皇太子殿下の後ろで控えていたであろう付き人も入室を完了していた。
「今日は会えたな。準備はできたか?」
「皇城へ行く準備のことでしょうか。でしたら、ご期待に沿うことはできません」
「まだ時間が必要なのか」
「いいえ。気持ちが変わることは現状あり得ませんので、お待ちいただくだけ無駄かと」
初対面の時以上にハッキリと告げれば、空気が段々と冷たくなるのがわかった。皇太子殿下の表情に変化はないが、付き人の顔は曇っていった。チラリと見れば、ハリス会長も不安げな顔をしている。
「……殿下。よろしければ少しお話しませんか?」
「ルネが望むなら」
ひとまず計画通りに、向かい合って座るところまでいった。意外にも、すぐさま皇城に連行という流れにならなかったので安堵する。
「ルネ。皇城に行くのは抵抗があるのか」
話が通じていないことを発言から察し、安堵が一気に消え去る。思った通りだ。やはり、皇太子殿下の中では自分が拒絶されるなどあり得ないと言わんばかりに、私の言葉を聞いていない。
ハッキリと言っても駄目なら、その上をいく。私は深いところまで口にすることを選んだ。
「殿下。私はそもそも、運命の番というものに納得しておりません」
「納得」
「はい。私のどこに、殿下の運命の番である要素があるのでしょうか」
「簡単な話だ。ルネを見つけて瞬間、本能がそう感じ取った。だから君は俺の運命の番なんだ」
「私は何も感じておりません」
「当然だ。獣人目線のものだからな」
「随分と一方的なんですね」
身勝手だと直球に言ってもよかったのだが、それは殿下ではなく獣人に対して無礼だと思い控えた。
「では私は、殿下の恋人ということでしょうか」
「恋人……間違ってはいないが、もっと深い繋がりだ」
「おかしいですね。そんな関係になった覚えはないのですけれど」
「運命だからな。出会う前から天に決められていた縁であり、作ろうとして作れるものではない」
「まぁ。いい迷惑ですね」
ニッコリと笑みを浮かべれば、皇太子殿下の表情がわずかに曇ったように見えた。
(社交界で生きてきた方なら、もしかして遠回しの方が聞くのかもとは思ったけれど……まだわからないわね)
思えば、皇太子殿下との話し合いはまだ二回目だった。ただ、対話できると思ってはいない。価値観の押し付けをされるのであれば、まずはそれをし返すところから始めるまでだ。そうまでしないと、皇城行きはまぬがれない。
「……ルネ。運命の番に何か不満があるのか」
「不満だなんて。私には不必要なものであるだけですよ」
文化や伝統そのものに不満があるわけではないが、目標達成のために、首を横に振りながら本心を吐露した。
「帝国の外から来た君にとっては、運命の番というものは些か不思議な存在かもしれない。だが、俺にとっての番はルネで──」
「好きでもないのにですか?」
殿下の言葉は、私が遠回しに伝えすぎたと反省する反面、純粋な疑問を浮上させた。それは遮ってまで発したかった。
「……何を言うんだ。俺はルネのことが好きで」
「そうですか? ではどのようなところに惹かれていただけたのでしょう」
「……ルネは綺麗だ」
「あら、ありがとうございます。ですがそれは、好意の理由としては薄いですね」
殿下にとっては予想外の問いかけだったのか、目を丸くさせた後に答えをひねり出していた。他にないのかと黙って待ってみたものの、沈黙が流れるだけだった。
「……番が恋人のようなものだとして、恋人とはお互いに好意を抱いて成立するもの。ですが殿下。殿下から私に、好意は感じません」
平静を装っているようだが、殿下の瞳は揺れ動いていた。
「だから納得できなかったんです。好きでもないのに番だなんて」
殿下の動揺がなくなるよりも先に、畳み掛けるように言い放つのだった。