14.気配を消して
別人にというジネットの意図がわからなかったので首を傾げると、彼女は話を続けた。
「なんていうんだろうな……例えば、役者みたいな感じ。今ルネがまとってる気配と全く違うものにすれば、感知されにくくなる気がするんだよね」
「なるほど」
対策するに越したことはない。そう思いながら、気配について考えていた。
(どうしましょう。演技は未経験なのよね)
できる可能性は未知数で、下手に動けば却って気付かれてしまいそうだ。
「上手に演技するっていうよりも、お相手と会った時の気配を《《消せれば》》いいと思うんだけど」
「消す……それならできます」
「え、本当?」
悩ましい状況から一転、ジネットの言葉のお陰で得意分野へと変化した。
ふうっと息を吐くと、目を閉じて呼吸を整えた。
(……リシアスでは、気配を消して、存在感を消して、面倒事を回避してきたわ。それがここでも生きるのは、不思議な気持ちね)
自身を空気だと思い込みながら、その場と同化するように気配を消していく。上手くできているかわからないので、保険としてリシアス時代のオルラの気配を混ぜてみた。
「……凄い。隣にいる私でも、変化したってわかるくらいだから、絶対大丈夫だよ」
「ジネットの助言のお陰ですよ。……準備ができました。行きましょう」
「うん……!」
匂いを消し、気配も消したところで、馬車を気にせずに玄関側へと向かった。静かに息を殺しながら馬車との距離を縮めると、一度も目を向けずに進んだ。
屋台通りに行くには、馬車が停められている道を通るしかない。ジネットと二人で、沈黙を貫きながら馬車の隣を通り抜けた。
──ガチャリ。
背後で馬車の扉が開く音がした。
先程降りたのが従者だから、次に降りてくるのは間違いなく皇太子殿下だ。
音に気を取られて足を止めていると、ジネットが手を取って走り出した。
「行っちゃおう……!」
ジネットの判断に従い、一度も振り返ることなく屋台通り目指して思い切り駆け抜けた。幸いにも追ってくる気配はなく、無事に通りへでることができた。
「ご、ごめんルネ。いきなり走っちゃって」
「い、いえ。手を引いてくださりありがとうございます。私一人ではきっと固まってしまいました」
全速力で走ったため、二人揃って呼吸が乱れていた。立ち止まって息を整えると、改めてジネットに感謝を伝えるのだった。
「それにしても気が付かれなかったね」
「はい。よかったてす……これもジネットの知恵のおかげかと」
「えへへ。あれも言い伝え的なもので、本当に効果あるかわからなかったから、役に立ってよかった」
嬉しそうに笑うジネットは親指をグッと立てた。私もそれを真似して返すと、ジネットの笑みが深まった。
「ルネ。香水買おう」
「そうですね。たくさん買いましょう」
一回だけなので、絶対的な効果があるとは断言できないが、素敵なお守りになる気がした。
「それにしても凄い馬車だったね。……もしかしてお相手ってお貴族様?」
「……そうですね」
「すごっ。お貴族様なら、一生贅沢できそうだけど……それもあんまり興味ない感じ?」
「えぇ」
ジネットの言いたいことはわかる。恐らく、経済的な面では魅力的な相手だということだろう。
「凄いなぁルネ。私ならなびいちゃうよ」
「そうなんですか?」
「うん。自由な恋愛したいのは嘘じゃないけど、贅沢とか不自由のない暮らしにも憧れがあるからさ。ルネはないの?」
そうジネットに問われると、リシアスでの生活が思い浮かんだ。
(贅沢……贅沢で不自由のない暮らしなら、もう十分すぎるほどしたもの。これ以上はいらないわ)
冷遇されていたとはいえ、必要最低限の暮らしはできていた。そしてそれは、ジネットのいう不自由のない暮らしだったと、平民として生活してからわかった。
「……いえ。私の中では、穏やかな恋愛をすることが叶えたい願いなので」
「なんかカッコいい。……私も揺らがないで、恋愛頑張らなきゃ」
「ふふっ。ですが、贅沢な暮らしに憧れることは悪いことではないのでは」
「そうだけど……優先順位はつけておかないとだから!」
どうやらジネットのやる気を出させてしまったようで「せっかくならイベント申し込んじゃおう!」と、目を輝かせていた。
恋愛により火がついたジネットにより、週末はイベントに参加することになったのであった。