プロローグ
新しい連載になります。よろしくお願いします!
「父上。オルラ姫との婚約は解消するしかないでしょう」
リシアスの王妃であるお母様が亡くなった日の夕方。婚約者であるハイリンヒを探していたところ、不穏な場面に遭遇してしまった。
(あら。どうやら聞いてはいけない話みたいね)
君が運命の相手だと何度も言ってくれた婚約者。けれども結局、そこに愛はなかったのだとため息を吐く。
(……お母様の言いつけを守りましょう)
婚約者の真意が知れたことで、決意を固めることができた。顔を上げると、音を立てずにその場を立ち去り、自室へと急いだ。
リシアス国第一王女だというのに、自室には侍女が誰一人としていない。皆、側妃の方に寝返ったことが見てわかる。とはいえ、元々いた侍女の数は片手で収まるほどだったけれど。
(親しい侍女には暇をだしたから……ここに未練はないわね)
外出用の服に着替え、あらかじめ準備していたトランクを手にすると、姿見に映る自分が目に入った。腰まで長く伸びた髪は、黄金に輝くプラチナブロンドの色。これはリシアス王家が持つ特徴だが、瞳まで金色なのは私だけ。
じっと自分の姿を見つめると、ドレッサー付近にあるはさみを手にした。
◆◆◆
ゆらゆらと揺れる大きな船。
海は何度も見たことがあったけれど、船に乗るのは初めてのことだった。
(もう、あんなに見えなくなってしまったのね)
甲板で風に吹かれながら、生まれ故郷のリシアス国を見る。今なら手のひらに収まるくらい、小さくなってしまった。
「随分少ない荷物だね、お嬢ちゃん。旅行かい?」
声のする方に振り向けば、髭の伸びた男性が私を見ていた。
(……お話したいけれど、ここで王女とばれてはいけないわ)
ローブを被っているとはいえ、リシアスの民であればこの金髪が王家の特徴だと知っている。それに、追手の可能性だってある。言葉を返せずに黙っていると、髭の男性は話を続けた。
「すまない、すまない。自己紹介が先だったな。俺はアドルフ。東の大陸出身でな。世界を旅してるんだ。今は西の大陸から帰るところなんだよ」
リシアスは西の大陸にある国。彼の言うことが本当なら、私が誰かは知らないだろう。国民の前に顔を出す機会は少なかったから。腰まであった髪は肩までの長さになった。貴族だとも思わないはずだ。
(名乗られたなら、名乗り返さなくてはいけないわ。でも……もう、オルラという名前はあそこに置いてきた)
もはや米粒ほどにまで小さくなったリシアスを見ながら、どう名乗るか悩む。
(お母様からいただいた名前がオルラ。私が自分にあげる名前は……)
新しい場所で、新しい生活を始める。
昔の自分とはお別れをして。
そんな門出となる機会に、新たな名前を自分につけることにした。
「私はルネです、アドルフさん。よろしくお願いしますね」
「あぁ、長い船旅になるだろう。何かあったら言ってくれ」
経験者だからな、と笑うアドルフさんの存在は、今の私には凄く心強かった。
「東の大陸ご出身なんですね。私は西の大陸出身で、東に行くのは初めてなんです」
「そうだったのか。東はいいところだよ。西とはまた違った景色が見られる」
「違った景色……」
行き先も決めていない、想像もつかない旅行。不安がない訳ではないが、楽しまなくては損という気持ちの方が大きい。でないと、お母様を思い出してしまう。
(……正直、この船が東の大陸に着ける保証だってない)
海の底に沈む危険をわかった上で乗船したのだ。あの海の底よりも、あの王宮の方が暗くて冷たかったから。
とにかく、国を出なくてはという思いで急いで出てきた。船に乗るまでは綿密に計画を立てたけれど、その先はまるで決めていなかった。
「どこの国に行くかは決めているのか?」
「いえ、まだ何も」
「行き当たりばったりの旅もいいな。けど、どこか行きたいところはないのか?」
「……わかりません。知識が少ないもので」
「そうかそうか。そうだな……それなら、やりたいことは?」
「やりたいこと……」
リシアスでの生活を思い浮かべた。
第一王女として生まれたにもかかわらず、父である王には興味を抱かれなかった。お母様は私以外産むことができず、男児を産めなかった。それを口実と言わんばかりに、お父様は側室を娶り始めた。それを機に、お母様は捨てられた。
(確か……お母様も、お父様に「君は私の運命の相手だ」と言われて結婚されたのよね)
随分と脆い運命だったのが、今の国王を見てわかる。
(もう王女でもない。ただの平民。……それなら、今度こそ幸せになれるかしら?)
本の中でしか見たことのない、幸せな人生。冷遇されていたからか、人一倍そんな生活に憧れを抱いていた。
もし、叶うのなら。
「……恋がしたいです。どこにでもあるような、平凡な恋を」
東の大陸に行ってまですることではないと、もしかしたら笑い飛ばされるかもしれない。でも、私の中で思い浮かぶのはそれだけだった。
「はっはっは! いいじゃないか、恋。てことはあれか、メロリウスに行くといいんじゃないのか?」
違う方向に笑い飛ばしてくれたアドルフさんを見て、嬉しくなった。まだ少ししか話していないのに、いい人だと感じてしまう。
「メロリウス?」
「あぁ。愛の都、メロリウス。帝国の中心都市さ。そこに行けば、お嬢ちゃんの願いも叶うだろ」
初めて聞く都市の名前だったけれど、凄く興味が湧いた。
「様々な人種が行き交う場所でな。人種を越えた愛まであると聞く」
「人種を」
「あぁ。人間だけじゃない。獣人も暮らしているからな」
「それは……楽しみです」
(獣人……リシアスにはいない存在ね)
まだ見ぬ獣人を想像して、違うなとかき消した。
もし、この船が無事東の大陸に着くことができたら。その時は、新しい人生を送ろう。幸せを目指して。
(お母様。……私、頑張りますね)
形見であるペンダントをぎゅっと握りしめた。
こうして、リシアス国第一王女オルラは、東の大陸に亡命するのだった。