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憂鬱な魔女  作者: 土方ラムウ
第一章
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1.4 夜の街


 店を出たあとも、斗愛はしばらくその場から動けなかった。


 (どうしよう……)


 注意を切らさなければ。 

 売店になんて行かなければ。 

 玲奈の様子をちゃんと見ていれば。 

 お酒を飲ませれば、祖父母も何か話してくれたかもしれない——。


 たらればをいくつ重ねても、現実は変わらない。 もうお金はなく、頼れる人もいない。22歳にもなって、一度こぼれた涙は止まらなかった。どこに行けばいいのかもわからないまま、都会の雑踏の中に立ち尽くす。


 人目を避けるように、再び公園へ向かい、ベンチに腰を下ろした。もう何もする気になれなかった。


(もう何も考えたくない――。)

 

 腹が減っているのに、食べるものがない。喉が渇いているのに、もう何も買えない。都会の冷たい空気が、これでもかと突き刺さる。


 「ねえ、大丈夫?」


 目を閉じたまま横たわる斗愛の耳に、優しい声が届いた。


 顔を上げると、そこには綺麗な金髪の女性が立っていた。 

 手入れの行き届いた長い髪が、街灯の光を受けてさらさらと輝いている。Vネックのシャツから覗く白い肌が、細くて長い首筋を際立たせていた。動くたびに、すらりとした脚を包むデニムのパンツが自然なシルエットを描く。

 シンプルな服装なのに、思わず目を引く。都会の空気に馴染んでいて、洗練された雰囲気を持っている。


 斗愛は横たわったまま、ぼんやりと彼女を見つめた。


 (……すごく綺麗な人。)


 「ねえ、聞こえてる?」


 目の前で手を振られ、ようやく斗愛はハッとして身体を起こした。


 「あ……すみません。」 

 「別に謝らなくていいよ。……泣いてた?」 

 「……泣いてないです。」


 揶揄うように笑う彼女の視線は妙に暖かく、思わず目をそらす。けれど、涙の跡はごまかしようがなかった。


 「そっか。」


 彼女は微笑み、手に持っていた袋を斗愛の前に差し出した。


 「よかったら、これ食べる?」

 袋の中には、コンビニの弁当が入っていた斗愛は目を見開く。


 「え……どうして?」 

 「買ったはいいけど、食べる時間なくてさ。無駄にするのももったいないし。」 

 「でも……」 

 「遠慮しなくていいよ。お腹空いてるんでしょ?」


 その一言で、斗愛の喉がごくりと鳴った。


 「……。」


 由宇はくすっと笑いながら、袋をベンチの上に置いた。


 「食べたくなったら食べてね。無理にとは言わないから。って見ず知らずの人からもらうの怖いか。」

 

 斗愛はしばらく黙っていたが、ゆっくりと袋を手に取った。


 「あ、いえ....。ありがとうございます……。」


 箸を握る手が震えている。ゆっくりと蓋を開け、冷めたご飯を口に運ぶ。噛んだ瞬間、驚くことに胃は温まった気がした。


 斗愛が食べ始めるのを見届けると、彼女は「お礼とかいらないから。じゃあね。」と告げると、瞬く光の海に溶けるように、雑踏の中へと消えていった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 腹を満たしたはいいものの、斗愛は寝床に困っていた。


(今夜はこのベンチで過ごすしかないか。)


 そう思い、ゆっくりと横になる。幸いなことに、今は初夏で夜は過ごしやすい。冬なら島を出てすぐに行き倒れていただろうが、凍死の心配がないだけまだマシだ。


 風が肌を撫でる。都会の夜は島と違って、どこまでも明るいのに、どこか冷たかった。


 「あ、名前……。」


 ふと、先ほど親切にしてくれた女性を思い出す。名前を聞きそびれたことに気づき、胸がざわついた。


 本人は「お礼はいらない」と言っていたが、なにも返せないままなのは、どうにも落ち着かない。島で暮らしていたころから、誰かに世話になったなら、必ず何かしらの形で返すのが当たり前だった。それが自分の中の”けじめ“だった。


 (せめて、もう一度会えれば……。)


 そんなことを考えながら、ゆっくりとまぶたを閉じた。




 どれくらい眠っただろうか。

 耳元で、不意に声がした。


 「あんた、もしかして……なにも持たずに家でも追い出されたの?」


 ——玲奈の声?


 斗愛はゆっくりと目を開けた。ぼんやりとした視界の中、柔らかい金色の髪が揺れているのが見える。


 「……玲奈?」


 思わずそう呟いた。しかし、視界がはっきりすると、それは玲奈ではなかった。


 「誰が玲奈?」


 目の前にいたのは、数時間前に弁当をくれた金髪の女性だった。


 (……よかった。)


 名前も聞けず、もう会えないかもしれないと思っていた。それなのに、こうしてまた目の前にいる。


 斗愛は少し身体を起こしながら、安心したように息を吐いた。由宇は斗愛の隣に腰を下ろすと、小声で問いかけた。


 「……君、名前は?」


 斗愛はまだ半分眠気の残る頭で、少し考えてから答えた。


 「斗愛。天宮斗愛です。」


 その瞬間——由宇の表情が、わずかに動いた。驚いたような、でも納得したような、そんな複雑な顔をする。


 「……珍しい名前だね。」

 「よく言われます。」


 斗愛は苦笑しながら、髪をくしゃりとかいた。


 「どこから来たの?」

 「乏薬島ってとこ。言っても、わかんないだろうけど。」


 その言葉に、由宇はもう一度目を見開き——そして、納得したように小さく頷いた。


 「……そっか。」

 「え?」


 驚いた斗愛をよそに、由宇はすぐにいつもの調子に戻ると、ふっと微笑む。


 「……名前、聞けてよかった。」


 斗愛は、その言葉の意味を深く考える余裕もなく、小さく息を吐いた。


 「あの、あなたの名前は?」

 「ん?」

 「お礼も言えずにすみません。実は、いま何も持ってなくて……。でも、後日ちゃんとお礼します!」


 斗愛が頭を下げると、由宇は少しの間、彼の顔を見つめ——やがて、ゆるく微笑んだ。


 「……由宇(ゆう)。」

 「由宇、さん。」

 「お礼は本当にいいって。気まぐれだから。」


 斗愛が何か言いかける前に、由宇は軽く指を振って制した。


 「それより、寝るとこないなら、うちの店に来たら?」

 「えっ?」

 「事務所の部屋、空いてるから。今日くらい寝ていったら?」

 「で、でも……俺、お金持ってなくて。」

 「いらないよ、そんなの。」


 由宇はくすっと笑う。


 「別に泊まるだけなら、タダだから。ほら、行こ。」


 そう言って立ち上がると、斗愛を促すように手を差し出した。


 斗愛は、一瞬その手を見つめる。白くてしなやかな指先。島で暮らしていたころ、女性に手を引かれるなんてことはなかった。そもそも、こんなふうに優しくされること自体、久しぶりだった。


 (……なんでこんなに、親切なんだろう。)


 迷いながらも、斗愛はおそるおそる手を伸ばし、由宇の手を取る。


 「……ありがとう、ございます。」


 触れた指先は思ったよりもひんやりしていたが、どこか安心感があった。


 由宇は何も言わず、斗愛の手を引いて歩き出す。


 (……お店、か。)


 斗愛は、ふと由宇の言葉を思い返す。


 「由宇さん、"店"って……何のお店なんですか?」


 由宇は歩きながら、ちらりと斗愛を見て、少しだけ口元を緩めた。


 「夜のお店。」

 「……夜のお店?」


 聞き慣れない言葉に、斗愛は眉をひそめた。


 (飲食店……じゃなさそうだし……雑貨屋とか? でも、夜に開いているお店ってなんだろう……?)


 いまいちピンとこないまま、斗愛は由宇の横顔を見つめる。


 ——さっきと、雰囲気が違う?


 由宇の髪が、丁寧に上へ結い上げられていることに気がついた。


 ついさっきまで肩にかかっていた金髪が、すっきりとまとめられ、首筋がよく見える。都会の明かりを受けて、少し光沢のある金色が艶やかに輝いていた。


 (……いつの間に髪、結んだんだろう。)


 斗愛は由宇に手を引かれるまま、静かに夜の街を歩き続けた。

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