1.0 天宮斗愛
(じいちゃんのあんな姿、初めて見たな……。)
八咫家の二人と斗愛は、血のつながりこそなくとも、まごうことなき家族だった。斗愛の苗字は幼い頃から『天宮』だが、母の旧姓は『一ノ瀬』だということを、卒業アルバムを盗み見て知っていた。そのため、源次郎から正式に打ち明けられた時も、そこまで驚きはなかった。
船がゆっくりと島から離れていくのを感じながら、斗愛は深呼吸をした。半ば目を細めて見つめると、さっきまで立っていた祠のあたりが煌々と照らされているのがわかる。森はまるで野焼きのように燃え上がり、赤々とした炎が夜空を焦がしていた。
(みんなは無事なのか……。それに、どうして自分だけが島を離れることになったんだろう。)
焦燥と不安が胸を締めつける。
(そういえば……この船には誰か乗っているんだろか?)
パニック状態のまま乗せられたこの船は、何事もなかったかのように静かに進んでいる。しかし、いったい誰が操縦しているのだろう。
疑問が浮かぶも、緊張が解けたのか、斗愛の意識は急激に遠のいていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「目は覚めたか? 気分はどうだい?」
どれくらい意識を失っていたのだろう。まぶたが重い。泣き腫らした目をゆっくりと開けると、見覚えのある顔がぼんやりと映った。
「……先生?」
「ああ、久しぶり。まさかこんな形で再会するとはね。」
穏やかながらも、どこか複雑な表情を浮かべている。
萩原先生――乏薬島唯一の学校で教師をしていた人だ。斗愛と玲奈にとっても、もちろん恩師だった。「外は広い」が口癖で、よく島の外の写真を見せてくれたものだ。
乏薬島は五十人足らずの小さな島だが、自給自足の生活のため畑や田んぼが広がっている。そのため学校は集落から離れた場所にあり、通うのも一苦労だった。だからこそ、斗愛が高校を卒業して以来、先生とは一度も会っていなかった。もう三、四年ぶりになるだろうか。
(父さんが生きていたら、先生くらいの年齢なんだろうか……。)
そう思ったものの、八咫家の二人は斗愛に両親の話をほとんどしなかった。そもそも生きているのかどうかすら、知らされていない。
「どうして先生がここに……?この船にはほかに誰か乗ってるんですか?」
「いいや、僕だけだよ。操縦ができるのは僕くらいだからね。」
「操縦……?」
先生が船を操っていた?
「昔からね、源次郎さんに頼まれていたんだ。『こんな日が来たら、斗愛を頼む』って。」
「……じいちゃんが。」
斗愛はごくりと喉を鳴らす。
(だとすれば、先生もこの一連の出来事を知っていたのか……?)
二人は先生の誘いで甲板へ出た。もうほとんど見えなくなった乏薬島の空には、どす黒い雨雲が広がっている。先生は空を仰ぎ、わずかに息を吞んだ。だが、次に斗愛を見た時には、いつものはきはきとした声に戻っていた。
「いいかい。一度しか言わないから、よく聞いてほしい。斗愛君が抱えている疑問、一連の出来事に関して僕はほぼ無知でしかない。よって、僕が話せることは大きく分けて三つ。」
そう前置きすると、先生はゆっくりと右手の親指を立てた。
「その一。」
短く言い、少し間を置く。船が小さく揺れ、遠くで波が砕ける音がした。
「僕は本来、島の人間ではない。」
先生の声は、いつになく低く響いた。
「けれど、かつてこの島を訪れた際に“何か”があると悟り、それを探るために残った。そもそも乏薬島には、当時外交官をしていた玲奈君の実の父、一ノ瀬昌。医者で、君の父である天宮徹。そして大学教授だった僕――萩原義則。この3人が、それぞれの仕事で同じ船で訪れていた。」
言葉の重みを噛み締めるように、先生は人差し指を添えて、二本の指を立てた。
「その二。」
斗愛の顔をじっと見据え、先生は続けた。
「君が名乗っている『天宮』という苗字。それは、島に残っていた古い書籍にも何度も出てくる。おそらく、あの島で何かしらの行事を司る特別な家系だ。」
斗愛は思わず息を呑んだ。
「ただ……」
先生は目を伏せ、わずかに表情を曇らせる。
「島の書庫は、過去に何度か意図的に燃やされている。だから行事の詳細についてはわからない…し、徹は出逢った頃から出生についても教えてくれなかったから、ほぼ僕の勘に近い。……だが少なくとも、あの島では“天宮”の血が特別視されていたと僕は推測してる。」
先生はそこでふっと笑い、最後に中指をピンと立てた。
「その三。」
斗愛は無意識に先生の指を凝視する。
先生は、ゆっくりと言った。
「君の父親は――生きている。……だが、君の母上については、僕は何も知らない。」
船が小さく揺れる。冷たい風が、斗愛の頬を撫でた。