0.99 責務
無我夢中で走り続けていると、繰り返し自分の名を呼ぶ声に気づいた。
「斗愛!!」
「じいちゃん!?」
そこには、斗愛を探してきたと言わんばかりに息を切らした祖父がいた。その瞬間、斗愛の頬には、叫びに似た涙が流れた。
「そうか。お前も見てしまったんだな。」
「え、じいちゃん、お前もって…?じいちゃんは知っていたの!?」
祖父はその問いには答えず、斗愛の腕を掴み歩き出した。斗愛の手を握る祖父の手は、力強く温かかったが、小刻みに震えているのが感じられた。
「悪いことは言わない。この島を今すぐ出ていきなさい。そして、もうこの島のことは忘れて生きていってほしい。」
「玲奈がし…あんな状態なのに!!?結婚するって言った矢先だったんだぞ。じいちゃんもグルなのか!!なんで…なんで!!」
斗愛の怒りは鋭く磨かれていく。何も真実がわからないままこの島を出て、どう納得して生きていけというのか。
「詳しく話す時間はないが、船を降りた後、『新宿』という町を目指すんだ。その町にこの島のことをよく知る “一ノ瀬昌”という人物がいる。徹の親友だ。」
「と、父さんの?」
「そうだ。」
斗愛はようやく景色を見渡す余裕が出てくると、船乗り場の方へ向かっていることに気づいた。
「ねえ。じいちゃんは本当にグルなの?」
「じいちゃんはな、残念ながら玲奈ちゃんのことは予想だけで詳しくは知らなかったんだ。いつも私はこうなんだ。仕事ばかりで何も気づけなかった。お前の両親のことも、なにもかも。だからせめて斗愛だけは命に代えても守らなければと思ってきた。それでも私は罪を償いきれないだろうな。」
続けて、彼・源次郎は、祖父母が名乗っている八咫家と斗愛には血のつながりがないこと、斗愛の実の父を逃がしたのも源次郎であることを打ち明けた。
「ゆえ子…!」
「あたしゃ、あんたならやりかねないと思ってたんだ。徹の時みたいに外に出すわけにはいかない。」
船乗り場に着くと、祖母だと思っていた人物が立っていた。
「ばあちゃんは知っていたの!?玲奈がこうなるって。あの黒髪の女のことも!!!」
何もかもわからないことだらけだ。しかし、斗愛の矛先が鋭く向けられたその先では、無言の応答が返ってきた。それは肯定に他ならなかった。
すると、腰が悪いと思っていた祖父は、背筋を伸ばし、隠し持っていた新刀の鞘を抜いた。
「あんた、やる気か?」
「もう地獄行きは決まってるもんでね。例え血が繋がっていなくとも、私たちが果たすべき責務は島の掟ではない。」
「それで親になったつもりか?罪滅ぼしのつもりか!!」
斗愛の心の中に怒りと混乱が渦巻く中、源次郎の手は震えながらも確かな決意を込めて刀をゆえ子へと向けられた。源次郎の眼差しには、普段の温厚な様子からは想像もできないほどの冷徹さが宿っている。
「じいちゃん…まさか本気で…?」
斗愛は思わず立ち止まり、祖父を見つめる。源次郎はゆっくりと首を横に振り、冷たい表情を浮かべながら言った。
「お前には言わなければならないことが多すぎる。だが今はそれを話す時間はない。今すぐこの島を出なさい。そしてできればこの島に囚われず生きる術を見つけなさい。ここまで伝えても、まだ何か知りたいというなら、昌に会うといい。お前の両親のことも、お前が本来やらなければならなかったことも知れるはずだ。」
斗愛はその言葉に戸惑いながらも、祖父が口にした言葉に、何か重大な事実が隠されていることを理解し始めていた。
(黒髪の少女も、俺に責務があると言っていた――。)
「お前の父親がどんな人間だったか、そしてこの島に隠された過去を知れば、全てが明らかになる。だが、それを受け入れる覚悟がない者には、決して教えない。お前は真面目だからだ。」
斗愛はその言葉の重さを噛み締めるように目を閉じ、そして改めて祖父を見つめた。彼の目には、全てを背負い込んだ男の覚悟が込められていた。
「わかった…行くよ。」
祖父はしばらく黙っていたが、やがて頷き、斗愛だけに聞こえる声で伝えた。
「お前にはやらなければならないことが山ほどある。そのためにお前が今知るべきこと、それはただの島の真実じゃなく、お前の命がかかっている。斗愛、お前は父親似の大真面目な小僧だ。真面目になんて生きるな。」
事の重大さをなんとなく理解し始めた斗愛は、源次郎の「乗れ!!」という怒号と共に船へと飛び乗った。