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憂鬱な魔女  作者: 土方ラムウ
第一章
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1.12 無知の得

 午後、結菜はホテルのロビーをゆったりと歩きながら、護衛役の斗愛と榊を従えて外へ出た。


 「少し買い物に行くわよ。」


 そう言うと、待機していた車に乗り込む。榊がドアを開け、斗愛は慌てて後に続いた。


 (初任務、今のところ順調だけど……護衛ってこんなに平和なものなのか?)


 そんなことを考えながら、車は静かに発進した。






 数十分後、高級ブランド店の前に車が停まる。榊が後部座席のドアを開くと、結菜が優雅に降り立った。


 「いらっしゃいませ、浅倉様。お待ちしておりました。」


 結菜は店員へ軽く会釈をすると、斗愛と榊を従え、店内へと入る。慣れた足取りで店内を歩きながら、視線を右から左へと流してゆく。店内は煌めくショーケースが壁一面に並び、そこには眩いばかりの宝石が陳列されていた。


 「最近、ジュエリーがなぜかお手頃なのよね〜。」


 壁一面を見渡し終えた結菜は、中央にある四角いショーケースを眺めながら淡々と呟いた。


 「そうなんですか? 俺にはどれも信じられない価格なんですが……。」


 斗愛の素直な感想に、結菜は表情を変えずに頷いた。


 「何事も無知が悪とは限らないわ。特にジュエリーなんかはね。」


 斗愛の返答を待たずに、結菜はショーケースを覗き込む。


 「会食がある度に新調するのも、なんだか寂しいのよね。父は派手に着飾ることを好むし、それも理解できるのだけど、私は一つの物を大切に愛でたいわ。」


 結菜は淡々と話すと、近くにいた店員に問いかけた。


 「最近、なんと言いますか、その...お好みが変わりましたの?何かあったのかしら?」


 「さすが、お詳しいですね。」と店員は微笑み、結菜の前に五種類のアクセサリーを持ち出す。

 「実は、良質な原石が市場に大量に出回っておりまして。その影響で、お手頃価格になっているんです。」

 「へえ……。」


 結菜は軽く流し、二種類のネックレスを手に取ると、鏡の前で軽く首を傾げた。片方はシンプルなデザイン、もう片方は華やかな装飾が施されている。


 「どっちがいいかしら?」


 斗愛はじっとそれを見つめたが——正直、違いがよくわからない。


 「榊さん、どう思いますか?」


 戸惑いながらも、斗愛は榊に助けを求めた。すると榊は一瞬だけ視線を結菜に向け、冷静に答える。


 「どちらもお似合いですが.....強いていうならば、右手の物が結菜様らしいかと。」

 「ふーん。」


 結菜は短くそう返し、そのまま右手に持っていたネックレスを店員に渡した。


 「これでいいわ。お会計をお願い。」


 榊の言葉が決め手になったのか、それとも最初から決めていたのか。どちらにせよ、買い物はあっさりと終わった。



 買い物を終えた後、結菜は「もう戻るわ。」とだけ言い、斗愛と榊を連れてホテルへ戻った。結菜が部屋へ入るのを見届けると、榊が斗愛に向き直る。


 「お疲れ様でした。次の護衛役がいらっしゃったので、我々は本日はこれで解散となります。」

 「ありがとうございます。」


 斗愛が頭を下げると、榊は軽く会釈を返し、そのままエントランスへと足を進めている。


 (……これで本当に終わり、か。)


 初任務が思っていたよりも平和に終わり、拍子抜けすると同時に安堵する。斗愛は次回もそうとは限らないと気を引き締め直し、帰路に立った。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 夜の街を抜け、斗愛はあっこママが用意してくれた仮住まいのマンションへと戻った。野宿を覚悟していた頃を思い返すと、随分と整った環境にいることに気づかされる。


 玄関の鍵を開け、中に入る。照明のスイッチを押すと、やわらかな光が室内を照らした。スーツの上着を脱ぎ、ソファに腰を下ろす。初めての護衛は思ったよりも穏やかだったが、それでも気疲れはした。斗愛はふとポケットの中の社用携帯を取り出した。


 (……そういえば、先生は由宇のことを知っているのかな。)


 ——結菜の占いを間に受けるつもりはなかったが、「誰かに相談するのもひとつの手」という言葉が妙に引っかかっていた。


 (今のところ何も進展はないけれど、生存報告はした方がいいよな。)


 連絡先が書かれた紙はなくさないように家に置いて仕事へ出ていたが、番号は覚えている。軽く息を吐き、斗愛は画面をタップし、ゆっくりと番号を入力する。『誰にも見せるな』と言われたことを思い出し、念の為非通知にすることも忘れていない。


 コール音が数回鳴った後——


 『……もしもし?』


 懐かしい、聞き慣れた声だった。


 「外は案外狭いのかもしれません。」

 『……斗愛君か。』


 先生の声を確認すると、合言葉代わりに聴き慣れた言葉を自分流に伝える。数秒の沈黙の後、萩原先生が静かに息を吐いた。


 『無事だったんだな。』


 その言葉に、斗愛の胸がじんわりと温かくなる。


 「はい。なんとか……。」

 「心配していたよ。……それで、外の世界が狭いだなんて、もう都会に染まったか?」


 先生の声に少し笑いが混じる。


 「はは、まだ全然ですよ。」


 斗愛が苦笑すると、先生は「よかった、よかった」と安堵したように繰り返した。その響きには、斗愛が無事に生きていることへの心からの喜びが滲んでいる。


 「新宿に着いたら、乏薬島出身の奴とたまたま出会ったんです。」

 『……なんだって?』

 「由宇っていうんですけど……。」


 斗愛は、由宇との出会いからこれまでの出来事を簡単に話した。先生は黙って聞いていたが、やがて静かに答えた。


 『由宇……少なくとも私は知らないな。だが、本当に乏薬島出身なのだとしたら、とんだ奇跡が起きたな。』

 「そうですよね……。」


 先生が知らないのは意外だったが、由宇は5歳の頃に島を出たと言っていた。それなら、先生が把握していなくても無理はないのかもしれない。


 『乏薬島は人口も少ないし、出て行った人間の記録なんて探りを入れればすぐわかりそうだが。必要なら調べてみようか?』

 「あ、いえ。今は大丈夫です。本人からもまだ詳しく聴いていないので。」

 『そうか。』


 先生の静かな声の後、少し間が空く。


 『源次郎さんたちは、なんとかほぼ日常生活を送っているようだよ。』

 「そう……ですか。」


 よかったとは思う。だが—— あれだけのことがあったというのに、"ほぼ日常生活" という言葉に引っかかる。本当に何も変わっていないのか。それとも、"変えられない" からそう言っているのか——。

 けれど、それを先生に聞いたところで答えが出るわけではない。気持ちを切り替えるために、斗愛は小さく息を吐いた。


 『それで——昌探しは順調か?』

 「……正直、まだ何も掴めていません。でも、探してみます。島のことを知る手掛かりは、今それしかないので。」


 斗愛の言葉に、先生は「そうか」と短く答えた。


 『なんせ、源次郎さんに "(あきら)は新宿という町にいる" と話したのは僕だからな。気にしていたよ。だけども、それも数十年前の話だから、100パーセントではないかもしれないがね。』

 「……やっぱり先生だったんですね。」


 先生が情報源だと知って、斗愛は妙に納得した。祖父の普段の生活を見ていた限り、誰かと連絡を取っているような様子はなかった。


 (昌さんは、本当にまだ新宿にいるんだろうか……。)


 情報が古い以上、どこかで行き止まりになる可能性もある。それでも、今の自分にとっては“唯一の手掛かり”だった。


 『まあ、焦るな。情報というのは、動いていれば向こうからやってくることもある。』

 「……はい。」


 斗愛が短く答えたところで、先生が少し声を潜めた。


 『それと、斗愛君。』

 「はい。」

 『この電話なんだが、私は秘密基地でしか受けることができないんだ。取れない時もあるが、許してくれ。』

 「……秘密基地?」

 『まあ、そんなものだと思ってくれ。もし繋がらないときがあっても、またかけてくれればいい。すまないが、今日は失礼するよ。』


 そう言うと、プツッ という無機質な音とともに、通話が切れた。唐突すぎる終わり方に、斗愛はしばらくスマホを耳に当てたまま遠くを見つめた。しばらくスマホを持っていたが、やがて息を吐き、ベッドに倒れ込んだ。

 静寂が戻った部屋の中は、さっきまでと何も変わらないはずなのに、妙に空気が冷えて感じた。


 「……はぁ。」


 斗愛はゆっくりと息を吐き、携帯の通話履歴を削除する。


 (昌さん、どこにいるんだろうな。)


 そう考えながら、ベッドに倒れ込んだ。懐かしい声を聞き、島での日々が次々と思い出される。それを振り払うように、斗愛は目を閉じた——。

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