1.6 彷徨無依
役所を出て、斗愛は再び街をさまよっていた。このままでは、何ひとつ前に進まないという焦燥感だけが、じわじわと胸の奥に広がっていく。
──「お手数ですが、ご家族や身元を証明できる方はいらっしゃいますか?」
役所の女性の声は、繰り返し脳内再生される。
(いない……。)
誰にも頼れない。乏薬島を出た瞬間、自分は"存在しない人間"になってしまっていた。
気づけば、日は傾き始め、空が赤く染まっている。街を行き交う人々は、それぞれの目的地へと向かい、誰も斗愛のことなど気に留めていなかった。
(何か、ほかに方法は……。)
考えを巡らせても、答えは出ない。もう一度役所に行ったところで、結果は変わらないだろう。夜になれば、またどこかで寝床を探さなければならない。
(……昨日は運がよかったけど、ずっとこんなことを繰り返せるわけじゃない。)
疲労がじわじわと足にのしかかってくる。喉もとっくに渇いていた。かつての憧れの場所は、斗愛にとってあまりに厳しすぎる場所になっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇
高層ビルの非常階段に、窓の外を眺める一人の男が立っていた。
黒のスーツに、きっちりとまとめられた金髪。手に持ったタバコは火もつけられないまま、指の間でゆっくりと回されている。男はふと視線を落とし、街の雑踏の中をさまよう一人の青年を見つけた。
昨日よりも、さらに疲れ果てたような足取りで、人混みの中をふらついている。
(……また、あいつ。)
指の動きが止まる。男の視線は、一瞬だけ迷うように揺れたが、すぐにタバコをコートの内ポケットへしまい込んだ。
——今は、声をかけるべきじゃない。
店の連中に見られたら厄介だし、客に気づかれたらもっと面倒になる。わざわざリスクを負う理由もない。
(……悪いけど、スルーさせてもらうね。)
男は何事もなかったように踵を返し、ビルの中へと消えていった。