8 小さなお友達
「えっ、鳥……もしかして、カラスの赤ちゃん……!?」
それは黒い羽毛に覆われた、カラスのヒナのようだった。身体は小さく、羽毛はふわふわで、どう見ても巣立ちの時期には早い。
(近くに巣があるのかしら? 巣から落ちてしまったの?)
そう思って周囲を見回すが、それらしいものは見つからない。親鳥らしいカラスの姿も見当たらなかった。
いつからここにいたのか、ヒナはどうやらだいぶ衰弱しているらしい。立ち上がって羽ばたこうとはせず、クゥクゥと鳴く声も弱々しい。
エサを求めているのか、それとも親鳥を呼んでいるのか、懸命に大きな口を何度も開け閉めしている姿に胸の奥がきゅっとなった。
(どうしよう……)
今すぐに抱き上げて助けたい衝動に駆られるが、もし親鳥が近くにいるのなら、余計なお節介になってしまうに違いない。
ソフィは一旦ヒナから離れて見守ることにした。親鳥が気づいて迎えに来てくれればと思ったのだが、まもなく塀の上に姿を現したのは親鳥ではなく、このあたりに住みついている野良猫だった。
野良猫の目が、カラスのヒナがいる茂みを捉えたその瞬間、ソフィは駆け出していた。
「駄目よ! あっちへ行って!」
大声で野良猫を追い払い、両手の平でカラスのヒナをそっと掬いあげると、大急ぎで小屋の中に連れて帰ったのだった。
◇
その日から、カラスのヒナとの生活が始まった。
持ち手の取れたバスケットに古いタオルを敷き詰め、ヒナの寝床とした。
一日三回、食堂で貰ってきたパンを手に小屋へ戻ると、「クァクァクァ」と真っ赤な口をパクパクさせて出迎えてくれる。
「待っててね、クーちゃん。すぐに準備するから」
パンを小さくちぎり、ミルクに浸してふやかす。それを小さなスプーンですくってヒナの口に入れると、「あわわわわ……」と鳴き声を上げながら食べる。もっともっとと催促されるままに次々と与えると、準備したエサはあっという間になくなってしまう。
「ごめんね、もうないの……」
眉を下げてそう言うと、ヒナは「クゥ」と一声鳴いてから口を閉じた。
ヒナのために追加のパンをもらうことはできない。カラスのヒナを育てていることは秘密にしているのだ。
真っ黒な身体でゴミや屍肉を漁るカラスは、人々に好かれていない。もっとも、たとえ姿や声の美しい小鳥だったとしても、ソフィが育てることを良く思う者はいないだろうけれど。
そういうわけでソフィのパンを半分、ヒナに分け与えているのだが、元々のソフィの取り分自体が少ないのだ。育ち盛りのヒナには足りないに違いないのに、ヒナはソフィの言葉が理解できるかのように、それ以上ねだってはこない。
「クーちゃんは賢い子ね」
「クゥ……」
ヒナの頭のてっぺんや首のあたりを指先でこちょこちょと撫でると、気持ちよさそうに目を閉じる。その愛らしい姿に思わず口元がゆるむ。
「ふふ、可愛い……」
ソフィの食事は以前にも増して減ってしまったが、ヒナのことを思うと空腹は不思議なほど気にならなかった。
まもなく、ヒナはバスケットの中で身を乗り出して、バタバタと羽を羽ばたかせるようになった。
次いで、小屋の中を動き回るようになり、ベッドやチェストの上から飛び降りてはまた上ってを繰り返し、飛ぶ練習を始めた。
やがて、ソフィが裏庭で仕事をするときに一緒に小屋の外に出るようになった。水桶を運ぶソフィの後ろをトコトコとついて歩いたり、掃き掃除をするソフィの肩や頭に飛び乗って遊ぶ。ヒナが一緒にいるからだろうか、重たい水桶を運びながらもソフィの心は軽かった。
塀や小屋の屋根、庭木などを使って飛ぶ練習を繰り返したヒナはあっという間に上達し、十日もすると危なっかしいながらもあたりを飛び回るようになった。
それと同時に、自分でエサを見つけることも覚えたらしい。すでに大人のカラスとそう変わらない大きさにまで育っていて、ソフィの用意するエサだけでは明らかに足りていないはずだが、足りない分は自力で補っているようだ。
ヒナの成長が嬉しい半面、巣立ちの時期が近いことを思うと、ソフィは寂しさを感じずにはいられないのだった。
『クー』と名付けられたカラスはソフィによく懐いた。夜はソフィの小屋のバスケットの中で眠り、ソフィが裏庭で仕事をしているときはベッタリと後をついて回る。
クーはとても賢いカラスのようで、他のカラスのように大きな声で鳴くことは滅多にない。また、他の使用人が裏庭にいるときは、庭木の枝や塀の上に留まったままひっそりと気配を消している。
おかげでクーは、伯爵家の裏庭から追い払われることなく過ごすことができた。
毎晩寝る前にクーの頭を撫でながら、その日世話をしたハーブのことなどを話して聞かせる。
夫人やベリンダから悪し様に言われた日には、その辛い気持ちを吐露することもあった。
「今日も奥様とベリンダ様に、醜いと言われたの。この顔の火傷痕は本当は……っ、ううん、なんでもない。……他の皆さんも、わたしの顔をまともに見てくれない。口もきいてくれない……。無理もないよね。恐ろしい痕だと、わたしだって思うもの。もし、この火傷痕がなかったら、もっと普通に接してもらえるのかな。ベリンダ様が使っているような白粉があったら、少しは隠せるのかな……」
「クゥ……」
クーはまるでソフィの話に耳を傾けているかのように、じっとソフィの顔を見つめている。
「でもね、わたしのことよりも、お父さんとお母さんを悪く言われる方が辛い……。会いたいな……お父さんとお母さんに。二人が亡くなったのはね、わたしの七歳のお誕生日の日のことだったの。三人で海辺の町に向かう途中、乗り合い馬車の事故で……何が起きたのか、そこだけ記憶が抜け落ちているのだけど、わたし一人だけ、生き残ってしまって……。わたしも一緒に連れて行ってくれたら良かったのに……」
「クゥ、クゥ……」
声を詰まらせると、クーが慰めるように小さな頭をソフィの手に寄せた。ソフィは目元を拭い、カラスに微笑んで見せる。
「……そうよね、そんなこときっと、お父さんもお母さんも望んでないよね……」
「クァ!」
「ありがとう、クーちゃん。わたし、頑張るね。いつかこの家から出られる日まで。絶対に折れたりなんかしない……」
クーと過ごすひとときがソフィの日々の慰めになり、そうしてあっという間に二ヵ月が過ぎた。




