7 ソフィのハーブ園
差し出された靴に足を差し入れ、姿見に目を移すなり、ベリンダは盛大に顔をしかめた。
「……駄目ね、これじゃないわ。ドレスの色と全然合ってない。別のを持ってきて」
「は、はい」
傍らの侍女が慌てて別の靴を見繕いに向かう。
「ぐずぐずしないでちょうだい。今日は王妃殿下のお茶会なのよ。絶対に妥協はできないんだから」
一ヵ月前に王宮の夜会で社交界デビューしたベリンダは、精力的に社交に励んでいる。毎日のように夜会やお茶会に忙しい。
その甲斐あってか、念願叶ってイザベル王妃の目に留まったらしい。比較的少人数のお茶会に招待されたとあって、身支度にもいっそう気合いが入っている。
精緻な薔薇の刺繍があしらわれたデイドレスは、薄いピンクがかったオレンジ色。薔薇のモチーフの髪飾りが、艶やかな金の髪を彩っている。
侍女によって薄化粧がほどこされた顔は、口を開かずにいれば人形のように美しい。
さらに何足もの靴を合わせ、次に小物やアクセサリーを取っ替え引っ替えしてから、ベリンダはようやく満足したらしい。
「どうかしら」
自信たっぷりの表情で大きな姿見を見つめたまま、侍女達に問いかける。
「素敵です!」
「さすがはベリンダ様、薔薇の花の化身のようにお美しいですわ!」
侍女達が口々に褒めそやす。
ベリンダはその言葉に満足そうにうなずいてから、床に跪いて靴を拾い集めていたソフィに目を向けた。
「ソフィ、あなたはどう思うの?」
「……お綺麗だと思います」
「このエメラルドのネックレス、十六歳のお誕生日にお父様からいただいたものなのよ」
「……とてもお似合いです」
「羨ましいでしょう? 美しいドレスも宝石も、あなたには一生縁がないものね」
「……はい、羨ましいです」
ソフィは目を伏せたまま淡々と答える。
これまで幾度となく繰り返されてきたやり取り。おそらくベリンダはこのためだけに、ソフィを身支度の場に呼びつけているのだろう。
はじめの頃こそ、きらびやかなドレスや宝石に目を奪われ、ベリンダを羨ましく思う気持ちもあった。従姉妹であるベリンダと自分とのあまりの違いにうなだれもした。
けれど、そんな態度はベリンダを喜ばせるだけだと気づいてからは、羨む気持ちを顔に出さないように努めてきた。そのうち心も動かなくなった。ベリンダの言うとおり、元々自分には縁のないものなのだ。
「あなたの醜い顔を見ていると、本当に苛々する」
望む答えを返したはずなのに、ベリンダはつまらなそうに鼻白んだ。
「……まぁいいわ。わたくしは出かけるから片づけておいて、ソフィ。壊したり汚したりしたら承知しないわよ」
「はい、ベリンダ様」
「ああ、宝石と化粧品はソフィには触らせないで、他の者が片づけてちょうだい。盗まれてはたまらないもの」
屈辱的な言葉にさっと顔に熱がのぼった。
「……そのような真似は決して」
「どうだか。平民はわたくし達とは根本的に考え方が違うもの。信用なんてできないわ。ねえ?」
同意を求められた侍女達は「おっしゃるとおりですわ」と揃って賛意を示し、ベリンダと同じ蔑みの目でソフィを見下ろす。
伯爵令嬢であるベリンダの身の回りの世話をする侍女達はいずれも、子爵家や男爵家出身の見目の良い者で固められている。彼女達は下級の使用人達以上にソフィに冷淡だった。
中でも子爵家出身の侍女クレアはセオドアに好意を抱いているらしく、顔を合わせる度に敵意のこもった眼差しをソフィに向けてくる。
ソフィのことがそれほど信用できないなら、身支度の場になど呼ばなければいい。部屋に入れなければいいのだ。
それなのに、ベリンダは毎日何かと理由をつけてはソフィを呼びつけ、蔑みの言葉を投げつけるのだった。
◇
ベリンダがお茶会に出かけ、部屋中に散乱する靴や小物類を丁寧に片づけた後、ソフィは一人で裏庭の掃除をしていた。
それなりに広さのある裏庭を一人で掃除するのはそう楽なことではない。雑草の元気な季節は特に。それでも、ソフィはこの仕事が一番好きだった。
やわらかい春の風がそよぐ中、ソフィは庭の隅、緑の生い茂る辺りにしゃがみ込んだ。
(ローズマリーの新芽、順調に育ってるみたい。タイムも……あ、ラベンダーも)
冬の間は葉の色をグレーに変えていたハーブ達が無事に冬を越えたことを知り、ソフィは口元をほころばせた。
(カモミール、今年も芽が出てきてくれて良かった。お花が咲くの、楽しみだな……)
可愛らしい小花の姿と甘い香りを思い浮かべると、心がわずかに浮き立った。
ハーブの芽を丁寧に見分け、雑草を一本一本抜いていく。湿った土と草の混じり合う匂いに、春の力強さを感じる。
ここはソフィの小さなハーブ園。裏庭で自生していたハーブを見つけ、剪定したり植え替えたりしながら、何年もかけて整えてきたものだ。亡き母がしていたのを懸命に思い出しながら。
種類も規模も母の庭には遠く及ばないが、ソフィにとっては大切なもの。このハーブ達の世話をしている時間と、お茶やポプリの香りに包まれているときだけが、唯一心の休まるときなのだった。
夫人やベリンダに知られれば、「勝手なことをするな」と禁止されてしまうだろうが、幸いなことに二人が裏庭に姿を見せることはめったにない。
他の使用人達は、ソフィがせっせとハーブの世話をしていることを知っているはずだが、今のところ邪魔をされることはなかった。時々コック達が無断でハーブを摘んでいくことはあるが、採りつくされるわけではないので気づかないふりをしてやりすごしていた。
(ミントは今年も元気いっぱいね。こんなに小さな葉っぱなのに、とってもいい匂い。でも増えすぎる前に間引かなきゃね。間引いた葉っぱはミントティーにして……)
そんなことを考えながら手を動かしていると、近くの草むらでカサリと何かが蠢く気配があった。
(カエルさん? それともトカゲさんかしら?)
他のメイド達が忌み嫌って大騒ぎするカエルやトカゲだが、ソフィは嫌いではない。動きも顔立ちも、よく見れば愛嬌があって可愛いのにと思っている。
ところが、ソフィの視界に飛び込んできたのは、見慣れない黒いかたまりだった。ソフィはぎょっとして、のばしかけた手を止めた。
そうっと近づいて見れば、草むらの中に、ソフィの片手に乗るほどの小さな黒い毛玉のような物が落ちている。
(なに……?)
息を殺して見つめる先で、黒い毛玉がもぞもぞと動き、「クゥ」と小さく鳴いた。




