3 伯爵家の人々②
ベリンダは形の良い眉を寄せ、自身の父親に目を向けた。伯爵の傍らにいた初老の執事が無言で一歩下がる。
「わたくし、あんな凡庸な方の取り巻きになるなんて嫌よ。ねぇ、構わないでしょう、お父様?」
「ああ、それでいい」
新聞に目を落としたまま伯爵が答える。
ベリンダの父親である伯爵もまた、金の髪に深い青の瞳を持つ整った容姿の男だ。綺麗に整えられた口髭が、生来の甘い顔立ちに年相応の渋みを与えている。
ただし、その口から紡がれる言葉に甘さはなかった。
「落ち目の侯爵家についたところで我が家に旨味はないからな。プライドだけは高いんだ、あの家は」
「へぇ……中身の伴わないプライドって、端から見ると痛々しいものですわね。そうそう、メリッサ様の連れていらした婚約者が、これまた地味な方で。確か、子爵家の跡取りだとお聞きしたわ」
「まあ、子爵家! お気の毒に、侯爵家や伯爵家では嫁ぎ先が見つからなかったのね」
そう言う夫人の口元には嘲りの笑みが浮かんでいる。
「爵位も見た目もパッとしない婚約者だなんて、わたくしだったら耐えられないわ。お父様、お母様。わたくしの婚約者には、地位も容姿も最高の殿方を選んでくださらなくちゃ嫌よ」
「ええ、ええ、もちろんですとも! ベリンダは格上の侯爵家……いいえ、王族にだって嫁げるほど美しいんですもの。ねえ、あなた?」
「そうだな。このカナル王国に、ベリンダと歳の釣り合う王子がおられないのが残念だ。王太子殿下はまだ九歳でいらっしゃるからな」
「そうねぇ、王太子妃の座は魅力的だけど……七つも年下の王子様の成人を待っていたのでは、さすがに嫁き遅れになってしまうもの」
ベリンダが残念そうに眉を下げる。
「心配せずとも、年齢の釣り合う侯爵家や公爵家の子息は全て把握済みだ。相手は慎重に選ばなければな。我がクラプトン伯爵家の娘を嫁がせるのだから」
「ねえ、あなた。周辺国の王族の中にもお歳の近い方がいらっしゃるのではなくて? たとえば西のウェスターナ王国とか、東のトーグ王国あたりに」
「ああ、何人かいるな。我が家の商会と取引きのある国の方なら、お目にかかる機会も作れるかもしれん」
ベリンダが目を輝かせて身を乗り出した。
「素敵! お父様、ぜひそうしていただきたいわ。わたくし、相手がどんな方だって、機会さえあれば絶対に見初められる自信があるもの」
「うむ。そのときは我がクラプトン伯爵家を挙げてお前を支援しよう」
「でしたら、北の魔法大国ツァウバルの王弟殿下にお目にかかれないものかしら? とっても見目麗しい方だという噂なの」
伯爵が、新聞に落としていた目を上げてベリンダを見た。
「ツァウバルの王弟……ジークベルト殿下のことか?」
「そう、その方よ! 輝く銀の髪に、アメジストのような紫の瞳をお持ちなのですって。確か御年は二十五でいらっしゃるとか。お姿が素晴らしいだけでなく、魔法使いとしても当代一だと聞いたわ」
「ジークベルト殿下は、ツァウバル王立魔法研究所の所長を務めておられる。噂では、国王陛下をも凌ぐ魔力をお持ちなのだとか」
「あら、素敵じゃないの!」
夫人が華やいだ声を上げたが、伯爵はわずかに眉根を寄せた。
「ツァウバルの王弟殿下であればもちろん願ってもないことだが……なかなか難しいだろうな。あの国の上流階級は、魔力を持たない他国の者との婚姻には消極的だ」
「まあ、そうなのね……。でも、そんなに素晴らしい方ならぜひ一度お目にかかってみたいものだわ」
そんな親子の会話が繰り広げられる中、ソフィはダイニングルームの隅にひっそりと佇んでいた。
給仕を担当するわけではない。それは他の使用人達が担当していて、手出しをしないよう言われている。後片付けのために控えておくよう伯爵夫人から命じられ、ただただ立っているのだ。
バターやベーコンの匂いが鼻を刺激し、きゅる、と小さくお腹が鳴った。日が昇る前から働き続けているが、いまだに水しか口にしていない。
主人達より先に食事をとることは許されていないのだ。美味しそうな料理がテーブルいっぱいに並び、けれどほとんど手をつけられないまま下げられる光景を見せつけられるのは、苦痛でしかなかった。
食事の間、伯爵も夫人もベリンダも、まるでソフィが見えていないかのように注意を払うことはない。
ただ一人、伯爵の息子だけが違っていた。