22 化粧水作り①
宮廷薬師アルマの助手から弟子になったソフィだが、その日常が劇的に変化したわけではなかった。
アルマの薬作りの手伝いをすること、掃除や料理、アルマから火傷痕の治療を受けることは、これまでと変わらない。
最も大きな変化は、ソフィの毎日に勉強の時間が加わったことだった。
「薬草について学ぶならこれが一番だ」
アルマがそう言って、分厚い本をソフィの前に積み上げた。
いかにも実用書といった風情の飾り気のない、けれども丁寧な装丁が施された本。ところどころにシミや擦り傷のある革張りの表紙は、飴色の鈍い輝きを帯び、持ち主によって大切に使い込まれたものであることが見て取れる。
全五巻からなるこの薬草辞典には、約六百種類もの植物が効用別に分類され記載されている。百年ほど前に書かれた本だが、いまだにこれを上回る書物はないのだという。
「ただ、これはアタシがツァウバル王国から持ち帰った本でね。ツァウバル語で書かれているんだが……お前さん、ツァウバル語の勉強なんてしていないだろ?」
そう言ったアルマは、
「辞書を貸していただければ読めると思います」
というソフィの答えに目を丸くした。
ツァウバル語はカナル語と言語体系が異なるため、習得は決して容易とは言えない。貴族のご令嬢でも、教養としてツァウバル語の読み書きを修めている者はそう多くないのだという。
実は、ソフィがゴードンから罰のように課されていた様々な勉強。その一つにツァウバル語の読み書きも含まれていたのだ。
『クラプトン伯爵家は、古くから交易を生業としてきた家。あなたのお父上、モーリス様は、十五歳の頃には五ヵ国語を修めておられました』
ゴードンは冷え冷えとした目でソフィを見下ろしながら、ソフィの父親がいかに優秀であったかを口癖のように語り、同じ能力をソフィに求めた。
(まさか、ゴードンさんの課題が、こんなところで役に立つなんて……)
さっそくソフィは、辞書を傍らに置いて本を読み進めていった。
余白を埋めるように書き込まれたアルマのメモも理解を助けてくれた。それでもわからないことは、アルマに尋ねれば嫌な顔一つせずに答えてくれる。
これまでアルマのそばで見聞きし、バラバラに蓄えられていた知識が、ソフィの中で体系的に整理されていった。
そうやって本から学ぶのと並行して、薬作りの実践も、これまで以上に行うようになった。
「ソフィ、これからは湿布と軟膏に加えて、朝晩に化粧水を使うようにしよう。湿布と軟膏に使う薬草の配合は、これまでどおりアタシが考えるから、お前さんは化粧水を作ってごらん。どういう作り方がいいか、どの薬草をどんな割合で組み合わせるのがいいか、まずは思うようにやってみることだ」
そんなアルマの方針で、ソフィは薬草学を取り入れた化粧水作りに取り組むことになった。
二ヶ月の間アルマの助手を務めたおかげで、薬の一通りの作り方は頭に入っている。化粧水についても、三種類の作り方を心得ていた。
(まずはローズで試してみよう……)
ローズには肌を美しくする効果があるとされる。それに、イザベル王妃のために毎日のように精油や芳香蒸留水を作っているため、材料がふんだんにあるのだ。
はじめに作ったのは、ローズの芳香蒸留水をそのまま使った化粧水だ。
水蒸気の熱で薬草から芳香物質を抽出する精油。その過程でできる芳香蒸留水にも、少量ながら芳香物質が溶け込んでいる。
出来たての化粧水を手の平に取り、両手でパシャパシャと顔に馴染ませると、上品なローズの香りに包まれた。
(わぁ、すごくいい香り……。これだけでも、十分香りの良い化粧水になるのね。やわらかな使い心地が好きだわ)
二つ目は、ローズの精油を使って作る化粧水。
薬草の精油は水には溶けにくいため、まずは少量のアルコールに溶かし、それから蒸留水と混ぜる。このとき、ただの蒸留水ではなくローズの芳香蒸留水を用いて作った化粧水を、イザベル王妃は日々愛用している。
(芳香蒸留水だけのときよりも、さらに香りが華やかで力強いわ。まるで満開の薔薇園にいるみたい。アルコールが入っているからかしら、肌に乗せるとスッとするのね)
三つ目は、ローズのチンキを蒸留水に混ぜて作る化粧水。
両手に取り、手全体で頬を包み込むように優しく馴染ませる。目を閉じて、鼻で静かに深呼吸を繰り返した。
(他の二つと比べると、落ち着いた、深みのある香りだわ。華やかさでは少し劣るけど、わたしは好きだな。それにきっと、一番効果が高いのは、このチンキを使った化粧水なんじゃないかしら……)
薬草の力を抽出する方法はいくつかあって、やり方によって取り出せる成分が異なる。
(水やお湯で取り出せる成分と、油で取り出せる成分は違う。そして薬草をアルコールに浸けて作るチンキは、その両方が取り出せる……。あ、そうだわ、芳香蒸留水にチンキを混ぜたら、芳香物質も同時に取り入れられるんじゃないかしら……)
化粧水を作っては、自ら使い心地を確かめる。良さそうだと思えば数日使い続けてみる。
ローズの次はローズマリー、それからラベンダー。香りが良く、肌を美しくするとされる薬草で、毎日あれこれと化粧水を作る。
慣れてくると、複数の薬草を使った化粧水も作ってみたくなった。
(組み合わせることで相乗効果が期待できるって、アルマさんも言ってたわ。香りにも厚みが出る気がするし……)
肌を白くしてくれる薬草、潤いを与えてくれる薬草、肌理を整えてくれる薬草。
ローズマリーの芳香蒸留水をベースに、肌に良いとされる薬草のチンキや精油を十五種類も投入して作った化粧水。
鼻息荒く手に取り、わくわくと匂いをかいでみて、ソフィはぎゅっと眉を寄せた。




