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20 消えない痕

 作業場の隅に持ち込んだロッキングチェアーに、深く背中を預けて腰掛ける。煎剤の染み込んだガーゼを顔の左半分に乗せ、両目を閉じてじっと待つこと十分。

 アルマが丁寧な手つきでガーゼを取り去る。それから火傷痕を見たり触れたりしながら検分する。


「……変化はないようだね」


 抑揚のない声が耳に届く。それを合図にソフィはゆっくりと目を開き、詰めていた息をそっと吐き出した。


「ハイペリカムも効果なし、か……。これまで単一の薬草で治療してきたけど、今晩からは調合したものを試してみよう。複数の薬草を合わせることで相乗効果が期待できるからね」


 アルマは独り言のようにぶつぶつと口に出しながら、ノートにあれこれと書きつけている。その横で、ソフィは静かに上体を起こし、けれど顔を上げられないままでいた。


 ソフィがアルマの助手になってから、早くも二ヵ月が過ぎた。

 この間、朝晩の湿布と軟膏に加え、傷を治す効果のある薬草茶を飲むなど、火傷痕を治すためのあれこれを続けてきた。

 湿布や軟膏に使う薬草は半月続けて同じものを試し、効果が感じられなければ別のものに変えた。カレンデュラにはじまり、エキナセア、ラベンダー、ハイペリカム。火傷の治療に効果があるとされる薬草を計四種類、試してきた。


 けれどいまだに、ソフィの火傷痕には何の変化も見られない。左の頬から額にかけて、まるで炎が燃え上がるかのように赤く、くっきりと刻まれたままだ。


「肌の調子を整えたり白くしてくれる薬草を加えるのもいいかもしれないね……。カモミール、ローズ、ローズマリー。ローズヒップはお茶にしよう。ソフィ、お前さん、酸っぱいのは平気だったね? ……ソフィ?」


 名前を呼ばれていることにようやく気づき、ソフィははっと顔を上げた。こちらをじっと見つめるアルマと目が合う。その視線から逃れるようにソフィは再び視線を落とした。


「すみません……。……えっと、酸っぱいのは、はい、大丈夫です、けど……」


 言いながら、ソフィの眉はどんどん下がっていく。


(続ける意味はあるのでしょうか……)


 その言葉はかろうじて飲み込んだ。

 期待しては裏切られる。その繰り返しは、ソフィの心に暗い影を落としていた。

 アルマはうつむくソフィをなおも無言で見つめてから、鼻で大きく息を吐き出した。


「ソフィ。いつもよりちょいと早いが、お茶の時間にしよう」

「……はい」


 のろのろと立ち上がり、お湯を沸かすために炊事場に向かおうとしたソフィを、アルマが止めた。


「アタシが淹れるよ。お前さんは外のテーブルにカップを準備しておいてくれるかい? 今日はいい天気だからね、庭でティータイムと洒落込もうじゃないか」


 アルマの家の庭には大きなリンデンの木があり、そのふもとに古い木製の丸机と椅子が二脚、置かれている。

 薬草の世話の合間に一休みするためのテーブルセットだが、晴れた日にはここでアルマと二人、お茶の時間を過ごすこともあった。

 クリーム色の地に小花柄のテーブルクロスをかけ、ガラス製のティーカップとソーサーを二セット並べてから、ソフィは椅子に腰掛けた。


 風がさわさわとリンデンの葉を揺らし、ソフィの頬を撫でていく。

 夏の暑さは盛りを過ぎ、風には秋の気配が混じっている。

 薬草園のハーブ達が音もなく揺れるのを、ソフィは見るともなしに眺めた。


(やっぱり、どうにもならないのかな……)


 火傷痕を覆い隠すように、左手を顔の左半分に当てる。

 クラプトン伯爵家を出て以来、まともな食事をとれるようになった。アルマの助手になってからは、治療も受けている。

 伯爵家にいた頃と比べれば明らかに血色は良くなっているし、肌にも艶が出てきたように感じられる。

 それなのに、顔の火傷痕には少しの変化も見られない。


 治る可能性は低いと、はじめにアルマは言った。

 それでも、完全には治らないまでも、少しでも赤みが薄くなれば、少しでも痕が小さくなればと、ソフィは期待していたのだ。


(わたし、ずっとこのまま生きていかなきゃいけないの……?)


 八歳のときに負った火傷痕。それを受け入れることは、あれから八年経った今も到底できることではなかった。


「待たせたね」


 なみなみとお湯の注がれたティーポットと、ティースプーンの入った小さな壺を手に、アルマがやってきた。

 アルマはテーブルの端に手をかけ、どっこらしょ、という声と共にソフィの向かいに腰掛ける。


 テーブルの中央に置かれたティーポットのお湯は、薄青色に染まっている。

 その色が次第に濃くなっていくのを、ソフィは無言で見守った。


 やがて、「うん、いい頃合いだ」と、アルマが二つのティーカップにお茶を注ぐ。

 その色ははっとするほど鮮やかな青紫色をしていた。


「きれいな色……。なんのハーブですか?」


 しかしアルマはソフィの質問には答えず、悪戯っぽい笑みを浮かべて小さな壺を示した。


「シロップだよ。このお茶はあまり味がないからね、シロップを入れた方が美味しく飲めるんだ。試してごらん」


 アルマから薬草茶に蜂蜜やシロップを入れるよう勧められたのは初めてのことだった。

 小さく首をかしげつつ、ソフィは素直に従う。壺の中のシロップをスプーンで半分ほど掬い、カップに入れてぐるりと混ぜる。

 次の瞬間、ソフィは「あっ」と声を上げた。

ハイペリカムはセントジョーンズワート(セイヨウオトギリソウ)の別名です。


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