2 伯爵家の人々①
朝のダイニングルームに、カチャカチャと食器の触れ合うささやかな音が流れる。
重厚なダイニングテーブルを囲むのは、クラプトン伯爵、夫人、そして息子と娘。
「旦那様、本日のご予定でございますが――」
「うむ」
伯爵は早々に食事を終え、コーヒーを啜っている。そうしながら新聞に目を通し、さらに初老の執事がスケジュールを読み上げる声にうなずきを返している。
他の三人は各々の食事に集中しているらしく、家族の会話は少ない。
四人で囲むにはいささか広すぎるテーブルの上には、到底四人分とは思えない量の料理がずらりと並んでいる。
伯爵家に大食漢がいるわけではない。伯爵と息子のセオドアは成人男性としてはごく平均的な食事量だし、夫人と娘のベリンダは体型を気にしてか、慎ましやかな量しか口にしない。
食べきるつもりなど、はなから彼らにはないのだろう。ある程度捨てることを前提に用意させているのだ。
『食べ物を粗末にするのが金持ちの証とはね。まったく、お貴族様の考えることは理解できねぇや』
ほとんど手の付けられていない皿の中身を、厨房のゴミ箱にを放り込みながら、コック長がぼやく場面に居合わせたことがある。
残った料理を使用人達が食べることは許されていない。以前、捨ててしまうのはもったいないからと、こっそり食べていた使用人がいたのだそうだ。残り物とはいえ、質の良い材料を使い、腕のいいコックが手間暇かけて作った料理は、庶民であれば一年に一度食べられるかどうかというご馳走だ。
けれど隠れて残り物を食べていた使用人は、それが夫人に知られると、盗人と糾弾されて伯爵家をクビになった。夫人曰く、使用人が主人と同じものを食べるのは不遜極まりないということらしい。
「そういえばベリンダ、昨日のお茶会はどうだったの? 侯爵家のお嬢様に招待されていたでしょう?」
少量の果物のみで朝食を終え、食後の紅茶に手をのばしながら、伯爵夫人が気怠げな目を娘に向けた。昨夜も遅くまで夜会に出かけていた夫人は、あまり食欲がないらしい。
「ああ、メリッサ様のお茶会ね」
フォークの先でサラダをつつきながら、ベリンダが退屈そうに答える。
「正直に言って期待外れだったわ。紅茶もお菓子も平凡で。侯爵家といってもあの程度なのね」
「やっぱりねぇ。あそこの家は落ち目だと、もっぱらの噂なのよ。必死に取り繕ってらっしゃるけど、内情はかなり苦しいのじゃないかしら。……ああもう、薄いじゃないの。ちょっと。わたくしの朝の紅茶は濃い目にと、何度言えばわかるのかしら。今すぐに淹れ直してちょうだい」
「は、はい、奥様。ただいま」
夫人の視線の先にいたメイドが、慌ててティーカップを下げる。それに一瞥をくれてから、夫人がこれ見よがしなため息をついた。金の髪に灰色の瞳の夫人は、整った目鼻立ちながら、細い顎が神経質そうな印象を与える。
「ああ、そういうことだったのね」
夫人の話を聞いたベリンダが、合点がいった様子でうなずいた。
「メリッサ様のドレスもアクセサリーも、なんだか垢抜けないと思っていたのよ。地味なお顔でいらっしゃるのに、どうしてドレスまで流行遅れの地味なものをお召しなのかしらって。ああでも、もしかしたらご自分では気づいておられないのかもしれないわ。そうでなければわたくしに向かって『あなた、なかなか綺麗な子ね。お友達にして差し上げてもよろしくってよ』なんて、言えるはずがないわ。なかなか、だなんて!」
そのときの様子を思い出したのか、ベリンダは苛立った様子でポーチドエッグに何度もフォークを突き立てた。白身がぐちゃぐちゃと崩れ、黄身が皿に流れ出る。
「もちろん、相手は侯爵家の方ですもの。にっこり笑って、『まあ、光栄ですわ。わたくしのような者でメリッサ様に釣り合うか、自信がありませんけれど』とお答えしておいたわよ。だけど本当は、『わたくしがおそばにいたのでは、ますます霞んでしまわれますわよ』とご助言して差し上げたかったわ!」
「まあベリンダ、そんなことを言っては失礼ですよ。メリッサ様は格別不細工というわけではないわ――美人とまでは言えませんけれどね。仕方ないわよ、あなたと比べたら、たいていのご令嬢は見劣りしてしまうんですもの」
「ふふ、お母様ったら」
夫人は笑みの形に唇を歪めてうっとりと娘を眺め、それをベリンダは当然のような微笑で受け止めた。
実際のところ、母娘の言葉は自惚れとばかりも言えない。
美形揃いと社交界で評判のクラプトン伯爵家。その中でもベリンダはひときわ美しい少女なのだ。
両親から受け継いだ金の髪は華やかに波打ち、ぱっちりとした深い青色の瞳を、長い睫毛が囲んでいる。小ぶりな鼻は形良く上品で、ぷっくりとした唇は紅を差したように艶やかで赤い。そばかす一つない肌は上質な磁器のように白く滑らかで、内側から光りを放っているようにすら感じられる。
ほっそりとした身体は十六歳ながら女性らしい丸みを帯びていて、開く直前の薔薇の花のように瑞々しい色香をまとっている。
誰もが目を奪われずにはいられない、ベリンダは非常に華やかで魅惑的な容姿の少女なのだった。
ただし、美しい薔薇に棘があるように、ベリンダも美しいだけの少女ではなかった。