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14 新たな同僚

前回に引き続き汚い描写がありますのでご注意ください。

「ラナさん、こちらでしたか」


 背後から声をかけると、猫背ぎみに丸まった背中がびくりと揺れ、赤毛のおさげ髪がぴょこんと跳ねた。


 ゴミ集積場近くの植木の陰に隠れるように、一人の少女がしゃがみ込んでいる。膝の上には、読みかけの手紙らしき紙の束。

 それを慌ただしく畳みながら振り返った少女は、そばかすの浮いた顔を赤く染めてソフィを睨みつけた。


「なによ! 何か用!?」

「何って……もちろんお誘いです。お仕事の」


 噛みつくようなラナの剣幕にも動じず、ソフィは淡々と応えた。ラナとのこんなやり取りには、この一月ですっかり慣れてしまったのだ。

 ラナはソフィと同じく王宮の下働きで、一緒に汚物回収係を担当している。ソフィより年は下だが、二ヵ月長く勤める先輩だ。


 そんなラナはしばしば仕事を放り出しては、こうして人目につかない場所で時間を潰している。それを探し出し、宥めすかして仕事に戻らせることが、すっかりソフィの仕事の一部になっていた。


「仕事ならもうしたわよっ。あたしの持ち場、朝のうちに一周したんだから!」

「そうでしたか。それはお疲れさまでした、ラナさん。でも、もう溜まっているトイレがあるみたいなんです。食堂横はさっきわたしが回収しておきましたが……。だからそろそろ休憩はおしまいにして、二周目に行きましょう?」

「やだ」


 ラナはぷいと横を向いて唇を尖らせた。ソフィより二つほど年下のラナは、そうするとますます幼い印象になる。


「少々溜まってるくらい、なによ。溢れたわけじゃあるまいし、ちょっと臭いくらい我慢すればいいんだわ! それが嫌なら出さなきゃいいのよっ。こっちは一日中臭くて汚い思いしてるんだから!」

「……ラナさん、確かに臭くて汚いですが、これだって必要な仕事ですよ。誰かがやらなきゃいけないんです」

「だとしても、あたしじゃなくたっていいはずだわ!」


 ラナは立ち上がり、怒りをぶつけるようにだんだんと足を踏み鳴らした。


「そうよ、なんであたしがこんな仕事しなきゃいけないのよ! 臭いし汚いし、もう最悪よっ! 王宮で働けば経歴に箔がつくなんて言われて来たけど、こんなことなら男爵家のメイドにでもなった方がよっぽどマシだったわ! だいたい、あたしより後に入ってきて、はじめっから掃除や洗濯の係をしてる子だっているのに、おかしいじゃない! あの人達、実家が付け届けをしてるに違いないわ。絶対そう!」


 そう言うラナは、王都に店を構える商家の娘であるらしい。貴族ではないものの、実家は裕福で何人も使用人を雇っていたというから、ラナはこれまで掃除や洗濯すらしたことはなかっただろう。初めての仕事が汚物回収係でショックを受ける気持ちは、ソフィにだって想像できないわけではない。


「わかってるのよ、お父様とお母様の嫌がらせだって」


 ラナが声を震わせる。ぎゅっと握った手の中で、手紙がくしゃりと音を立てた。


「あの人達、弟が生まれたとたん手のひら返してさ。あたしのことが邪魔になって、それで王宮に売り飛ばしたのよ。ここなら、そう簡単に逃げ帰れないからって!」

「そう決めつけなくてもいいように思いますが……」


 確かに王宮は高貴な方々が住まう場所だけあり、人の出入りが厳重に管理されている。住み込みの使用人が王宮の敷地から出るには、事前に日時と行き先を届け出て使用人頭の確認を受ける必要があるのだ。


 ソフィやラナのような勤め始めてまもない者は、外出は月に一度までと決められているし、行き先も実家しか認められない。だからこそ、ゴードンはソフィを王宮に行かせるよう提案し、クラプトン伯爵もその案を採用したのだ。


 けれどラナの両親が同じ考えでラナを王宮に行かせたとは思えない。ラナの言うとおり、本来、王宮で働くのは名誉なことなのだ。

 少なくともラナの両親は、毎月手紙を送るくらいには、娘のことを気にかけている。ラナがしょっちゅう両親からの手紙を読み返していることにも、そうしながらこっそり目元を拭っていることにも、ソフィは気づいていた。


 だからだろうか、八つ当たりされ、仕事を押し付けられながらも、ソフィは不思議とラナのことを放っておけないのだった。

 

「決めつけじゃない、事実よ! あんただって実家から厄介払いされた口でしょ? わかるわよ、その顔だもんね!」

「……わたしには実家はありません。叔父の家に居候していたので……。両親はもう亡くなっていますから」


 そう言うと、ラナはわずかに狼狽えた顔をし、それを誤魔化すようにソフィから顔を背けてずんずんと歩き始めた。


「だ、だとしても、やっぱりあたしの方が不幸よ! だって実の親に疎まれてるんだもの!」

「はぁ……。あ、ラナさん、大事な仕事道具をお忘れですよ」


 謎の不幸自慢に目を瞬いてから、ソフィはラナの分まで桶を持って後を追う。


「ついてこないで! もう嫌よ、こんな生活! いつか見返してやるんだから、お父様もお母様も弟も……素敵な王子様に見初められて、こんなところ、抜け出してやるんだから……!」

「王子様なんて、来ませんよ」


 思わずこぼれ出た言葉に、ラナが足を止めた。


「良い魔法使いも、来なかった……」

「はぁ? 意味わかんない」


 ラナが訝し気に眉を寄せる。


「王子様も、良い魔法使いも来ない。だから自分でなんとかするしかないんです。わたしはそう思っています」


 それはソフィの、自分自身に向けた言葉だった。八歳のときに、あの地下室で思い知ったのだ。良い魔法使いは来ない、と。


 けれどラナは馬鹿にされたと感じたらしい。パッと顔を赤くして眦を吊り上げた。


「……なによ、あたしじゃお姫様にはなれないって言いたいわけ!?」

「いえ、そういう意味では……」

「なんなのよ! なんで、あんたにそんなこと言われなきゃなんないのよ! 今日はもう仕事なんかしないっ! やりたきゃあんた一人ですれば!?」


 勢いよく赤毛のおさげ髪を揺らして踵を返し、ラナは再び大股で歩き出した。ソフィも慌てて後を追う。

  

「待ってください、ラナさ――」

「ついて来ないでったら!」


 ラナが振り向きざまにソフィの肩をドンと押した。両手に桶を持っていたソフィはバランスを崩しよろめく。たたらを踏んで数歩後ろに下がった先に、運悪く肥溜めがあった。

  

「あっ」


 肥溜めの縁を囲むレンガの段差につまづき、踏みとどまろうと足をついた場所は固い地面ではなかった。とぷりと片足が沈み、あっと思ったときには腰のあたりまでずぶずぶと沈んでいた。


 とっさに持っていた桶を離し、両手で縁を掴んで、それ以上沈むことはなんとか免れた。しかし、そこで身動きが取れなくなってしまった。必死で足を動かしてみるが、足をかけられるような場所は見つからない。汚物にまみれた服は重く、腕の力だけで這い上がることもできない。


「たすけっ……うっ、ごほっ」


 強烈な悪臭に咳き込みつつ、助けを求めてラナに目をやれば、ラナは真っ青な顔で座り込んでいた。


「うそ、あ、あたし、そんなつもりじゃ……」


 ふるふると力なく首を振るラナは、どうやら腰が抜けているらしい。


(ど、どうしよう……)


 言葉にできないほどの臭いと不快感。

 肥溜めの正確な深さは知らないが、おそらくソフィの身長よりは深い。もしも顔まで沈めば窒息してしまう。

 背中がぞくりと震えた。


(それだけはいや……!)


 刺激臭に涙が滲む。それを拭うこともできず、ぎゅっと目を瞑ったとき、不意に頭上に影が差した。


「つかまりな」


 しわがれた声に目を開けると、視界が黒で覆われていた。

 全身真っ黒の衣に身を包んだ老婆が、腰を落としてソフィに手を差し出している。

 とっさにのばしたソフィの手を、思いの外やわらかい老婆の手がしっかりと掴んだ。


「え、あ、魔女……?」


 ラナの呟きを耳が拾ったのと同時に、ソフィの身体は引き上げられた。

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