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10 地下室

 無断でクーを飼った罰として、伯爵夫人から背中に鞭を打たれた。

 罰はそれで終わらず、ソフィは食事抜きで丸一日地下室に閉じ込められることになった。それだけは許してほしいと床に頭をつけて懇願したが聞き入れられることはなく、ソフィは引きずられるようにして地下に連行された。

 突き飛ばされるようにして、地下室に押し込められる。すぐさま鉄製の重い扉が閉められ、ガチャリと無機質な音を立てて鍵がかけられた。


 冷たい石造りの地下室はじめじめとカビ臭い。灯りはなく、天井近くの壁に設けられた換気口からわずかな光が差し込むだけ。

 日が沈むと、地下室に本当の暗闇が訪れた。ベッドもブランケットも、椅子すらもない部屋の隅に、震える身体を抱きしめてうずくまる。そうしていても、恐怖は容赦なくソフィの身体を侵食する。


(ここは嫌……怖い、怖いよ……)


 心臓が痛いほどに鼓動が速くなる。息苦しさに涙が溢れる。

 顔の火傷痕がその存在を主張するかのようにジクジクと痛んだ。


(怖い……誰か助けて……お母さん、お父さん……)


 どれほどそうしていただろう。深夜の静寂の中、ソフィの耳がコンコンと扉を叩く控えめな音を捉えた。


「ソフィ、ソフィ、僕だ。食べ物を持ってきたよ」


 ソフィはのろのろと顔を上げ、足をもつれさせながら扉に近寄った。

 扉の上部に取り付けられた小窓の覆いが外から開かれ、セオドアが顔をのぞかせた。次いで小窓から、小さな紙包みが差し入れられる。


「ビスケットだよ。お食べ」


 受け取った紙包みを震える手で開けると、ビスケットの甘い香りが立ち上り、忘れかけていた空腹感を思い出した。

 セオドアから食べ物を貰うことは禁じられている。けれどこの状況で誘惑に抗うことは難しかった。

 一瞬のためらいの後、ソフィはビスケットに手をのばす。一枚食べるともう止まらなくなり、五枚のビスケットを貪るように腹に収めた。シナモンかジンジャーでも入っていたのだろうか、奇妙なほどに腹の奥がじわじわと温かくなる。


「大丈夫かい? 可哀想に、背中が痛むだろう?」


 優しい言葉に、再びぽろぽろと涙が溢れ出した。縋りつくように、扉に身体を寄せる。


「セオドア様、セオドア様、お願いです、ここから出してください、どうかわたしをこのお屋敷から逃がして……」


 涙でぐちゃぐちゃの顔で、扉の向こうのセオドアに訴える。

 この家で、八年以上も使用人以下の生活を強いられてきた。どんなに辛くても、何も持たない自分が屋敷の外に出て一人で生きていけるはずはないと、外よりはマシなのだと自分に言い聞かせて耐えてきた。

 けれどカラスのクーをあんな形で失い、鞭を打たれ、その上このおぞましい地下室に閉じ込められたソフィの心は、唐突に限界を超えてしまったのだった。


(この家から逃げたい、たとえどんな目に遭っても、きっとここにいるよりはいい……)


 クラプトン伯爵家の中で唯一ソフィに親切なセオドア。彼に縋る以外の方法など、今のソフィの頭にはよぎりもしなかった。

 ところが頼みのセオドアは、困ったように眉を下げた。


「ごめんね……この部屋の鍵は父上が管理していて手が出せないんだ。それに、逃げると言ってもどこか行くアテはあるの?」

「いえ……」


 そんなもの、あるわけがない。両親と住んでいたのは、このカナル王国の王都から遠く離れた隣国の、小さな田舎町だった。この国には知り合いもおらず、地理すらわからないのだ。


「お金も技能も伝手ないのに、ここを出て一人で生きていくなんて無謀だよ」

「そうかもしれません……でも、何かわたしにできる仕事が――」

「それは無理だよ」


 優しげな、それでいてきっぱりと容赦のない声が、ソフィの言葉を遮った。セオドアはため息をつき、幼子に言い聞かせるように続ける。


「あのね、ソフィには顔に酷い火傷痕があるだろう? そんなソフィを紹介もなく雇い入れるような奇特な人間はいないよ。まっとうな人間の中にはね。言い辛いんだけど……その顔では娼婦として身を立てることすらできないと思うんだ」

「そ、んな……」


 ソフィはうなだれた。ソフィは世間を知らないが、娼婦というのが、クラプトン伯爵家の人々から最下層の職業として蔑まれていることは知っている。ソフィはその娼婦にすらなれないのだと、セオドアは言う。


(そうか……わたしには、それほどの価値すらないんだ……)


 不意に全身から力が抜け、ソフィはずるずるとその場に座り込んだ。


「……だけど、僕だけはソフィの味方だからね」


 もやがかかったような頭に、セオドアの甘い声がとろとろと染み込んでいく。


「今すぐには無理だけど、近いうちに必ず僕がこの屋敷から連れ出してあげる」


 ソフィはのろのろと顔を上げた。小窓からのぞくセオドアの目は、蕩けるような甘さでソフィを見下ろしている。


「本当、ですか……?」

「約束するよ。だからどうか、僕を信じて待っていて」

「はい……はい、セオドア様……」


 涙を流しながら何度もうなずくソフィは気づかなかった。扉の向こうでセオドアが、うっとりと唇を歪めていることに。

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