ラドニーの評価
そこから先は、何事も起きずに目的地へと辿り着いた。
太陽が頂点に上る時間にたどり着いたのは、ラドニーが拠点としているドゥーナの街である。
六角形に整備された街は壁で囲われ、街道に続く門が開け放たれて、絶えず人が行き来している。
「栄えているな」
「王都に次ぐ規模の街ですので」
「王都。ここはなんという国だ?」
「ヴィントス王国、と言います」
ほう、と頷くアイゼン。
門をくぐる順番待ちに並び、そんな会話を交わすアイゼンとラドニー。
(ヴィントス王国を知らないか。アイゼン様は一体、どこから来たのだろう)
街道を通らずに王国の国土に侵入することは可能ではある。
だが、アイゼンの場合はその常識外の言動も合わさって、そんなレベルではないような印象を受けるのだ。
(まるで、この世の住人ではないような。まさかな)
ラドニーは、自分の想像を一笑に付した。
やがて、アイゼンたちまで門をくぐる順番が回ってくる。
そこでは、特に身分証の提示などは求められず、すんなり通ることが出来た。
鎧をまとった門番などはいたが、抑止としての役割が大きいようで、特に見とがめられることもない。それは、この街の治安がいい事の裏返しであろう。
門をくぐった先は中央通りとなっていて、やはり人が行きかっていた。
「ラドニーにとっては、ようやくの帰還だな」
「そうですね。アイゼン様のおかげです」
掛け値なしにそう思う。
と、その会話を、往来の賑やかさの中で聞き取った者がいた。
「は? ラドニー?」
ぎょっとしたようにすれ違いざまに振り返ったのは、金髪に鉢金が目立つ、二十代前半の男性だった。
「ん? バトゥか」
「バトゥか、じゃねえよ! 無事だったのか、あんた!」
その男、バトゥは驚きの中にも喜色を浮かべた。その声はあたりに響き渡り、往来と言うこともあって周りの視線を集めた。
「目立っているぞ」
「そうですね。バトゥ、ここでは目立つ。とりあえずこっちで話そう」
「あんた、相変わらず冷静だな……!」
バトゥは、自分の感情とは差があるラドニーの振る舞いに戸惑いながらも、どこか納得いった風情でラドニーと共に大通りから小道へと入った。
ラドニーは、余計な口出しをしないようにか、静かに横で佇むアイゼンに説明する。
「十等級の炎使い、バトゥです。同じ冒険者ギルドに所属しています」
「なるほど。ひとまず、無事を伝えられて何よりだ。俺はアイゼン。旅の武闘家だ」
「……バトゥだ」
片手に杖を持ち、ローブと言う姿から魔法使いと目されるバトゥは、アイゼンを胡散臭げに眺めて、短く自己紹介するだけにとどめた。
「それでバトゥ。その様子では、わたしの事情は伝わっていそうだな」
「ああ。ダンジョンで消えたってな。捜索隊が組まれそうだぜ。俺は立候補したが、まだお呼びがかからないってことは、選別の段階なんだろうな」
「まだ出立していなかったか。ならば、急ぎ無事を伝える様にしよう。そうだ、『青の剣』のメンバーは無事か?」
「不測の事態だっつって、あんたが消えた後はすぐに戻ってきたみたいだからな。全員無事だ。ただ、あんたが消えたことに責任を感じて、全員死んだみてえに落ち込んでる」
「それはわたしの不覚で、彼らのせいではないのだがな」
思わず苦笑してしまうラドニー。
その表情に、バトゥは瞳を瞬かせた。ラドニーがそんな表情をしたことが意外だったようである。そのやりとりを見ながら、ただアイゼンは静かに佇んでいる。
「なおさら急がなければな。アイゼン様。冒険者ギルドは、大通り沿いにあります。そこまでご同行願えますか?」
「分かった」
ラドニーとしては、自分の無事の報告のついでに、サーベルボア討伐や悪徳パーティの引き渡しのために、アイゼンにそう言ったに過ぎない。
また、アイゼンもそれは理解できていたので、短い返答となった。
二人にとっては何気ないやり取りだったが、それを間近で目撃したバトゥは仰天した。
(あのラドニーが、同年代の男に敬語を……!? しかも、「様」……!? ラドニー、頭でも打ったのか……!?)
実際には、それ以上の衝撃を立て続けに受けたせいなのだが。
戸惑うバトゥを連れ、アイゼンとラドニーは急ぎ、冒険者ギルドへと向かった。
冒険者ギルドは大通りにある大きな建物で、すぐにアイゼンにもそれと分かった。
「剣と杖の看板。ここが冒険者ギルドか」
「はい。どこの冒険者ギルドでも、この看板が目印です」
剣と杖が交差する意匠を仰ぎ見るアイゼンに、ラドニーが補足する。それを一歩下がったところで、バトゥはますます胡散臭げに表情を歪めた。
(冒険者ギルドを知らない? アイゼンと名乗ったか。こいつ、どこの田舎もんだ? しかも、ラドニーはそれを当然のように受け止めてやがる。どういう関係だ? 気に食わねえな)
鬱屈するバトゥに構わず、ラドニーは冒険者ギルドの扉を開け放った。
「火双剣のラドニーだ。今戻った」
開け放った扉の先は受付業務を行うスペースだったが、そこにいた全員が振り返った。
一瞬後、喜びと喧騒が爆発した。
「ラドニーさん!? ご無事だったんですか!?」
代表したように、受付嬢の一人が喜色も露わに叫ぶ。その声に反応してか、受付スペースから繋がる酒場の方でも、驚きの叫びが挙がった。
「え、ラドニーさん!?」
どたどたと足音を響かせて、酒場の方から一組のパーティが現れる。
「ホントだ、ラドニーさんだ!」
「ご無事でよかったっす!」
「よかった、本当に良かった……!」
「俺たち、俺たち……!」
そのパーティは、泣き崩れるやら号泣するやら、ひときわ感情を高ぶらせていた。
「お前たちも無事で何よりだ。だが、歩き方には気をつけろと何度も言ったと思うが」
「このクールな対応、ホントにホントに、ラドニーさんだよぉ……!」
ラドニーの苦言も喜びの材料でしかなかったようだった。ますます感涙に打ち震えるパーティ。今にも抱き着かんばかりの彼らの脇から、受付嬢が近づいてくる。
「ラドニーさん。お疲れとは思いますが、まずはご報告いただけますか? ダンジョン内で何があったか、その後の経過などを」
「そうだな。ギルドマスターはいるか?」
「はい。奥の部屋をお使いください」
ラドニーはそれに頷く。そうして、アイゼンを振り返った。
「アイゼン様。わたしは報告がありますので、いったん外します。隣に酒場がありますので、そこでお待ちいただけますか?」
「分かった」
建物の奥に消えていくラドニー。
先ほどラドニーが帰還した時とはまた違うざわめきが、静かに広がった。アイゼンとラドニーのやりとりを目の当たりにした受付嬢は、表情と動作を固着させるという形で驚きを表現している。
ざわめきの内容は二種類が混ぜられた。ラドニーの無事を喜ぶ声と、ラドニーと親しげにしているアイゼンが何者かという疑問である。
とりわけ、後者の疑問を強く感じているのはバトゥである。
(なんなんだ、こりゃ。どうしちまったんだ、ラドニーは?)
アイゼンの後ろ姿を見やる視線は、胡散臭いものを見る目から睨みつけるものに変わっていた。
それらに該当しないのは、喜びにむせぶパーティだけであった。
「とりあえず、『青の剣』の方々。ラドニーさんは無事だったということで、一旦、受付からはお引き取り下さい。ね? 邪魔なので」
「ひどいよ、シズルさぁん……」
「青の剣」のメンバーは、シズルと言う名の、緑の髪の受付嬢に退場させられた。
それらの光景を、冒険者ギルドの扉の脇で眺めやっていたアイゼンは、一人のんきに呟いた。
「ラドニーは慕われているのだな」
「そりゃそうだ。ここのエースだからな」
返事を期待していなかったアイゼンに、思わず返してしまったのはバトゥだった。
言ってから、「しまった」という表情になったが、いいきっかけが出来たとばかりに、バトゥはアイゼンに一歩近づく。
「お前、何者だ? 旅の武闘家とは言っていたが、それだけでラドニーがあんな態度をとるわけがねえ。何があった?」
「あんな態度、とは?」
アイゼンとしては、バトゥが言う「あんな態度」について心当たりがなかった。だから聞き返してしまったわけだが、その態度はバトゥをさらに苛立たせた。
さらに言えば、アイゼンがその黒い瞳で真っ向からバトゥの視線を受け止めたことも、バトゥにとっては不快感を増す原因にもなった。
「お前に関係があるのか?」
そう言っているように、バトゥは受け止めてしまったのだ。
「しらばっくれるつもりかよ」
「バトゥさん」
そこで、横から話しかけてきたものがいる。受付嬢のシズルだった。
「ギルド内での揉め事は、ご遠慮くださいね?」
「なんだ、シズル。揉め事なんて起こしてねえよ」
「起こしそうな感じがしたので」
「やっぱり、まだ起こってねえじゃねえか」
「前科がありますから。今月で何回目になりますか?」
「……ちっ」
目を細めるシズルに気圧されたわけでもないだろうが、バトゥは前のめりになっていた姿勢を元に戻した。
そのやり取りの間、アイゼンはただ冷静にバトゥを観察していたようだった。その余裕が、バトゥの内心を逆なでする。だが、これ以上つっかかるには人目が多すぎた。
「……興ざめだ。だがよ、アイゼン。そのうちには聞かせてもらうぜ。お前、いつまでこの街にいるつもりだ?」
「それは分からんが、ここで冒険者登録をするつもりだから、当分はいると思うが」
「そうかよ。せいぜい、頑張んな」
それが激励を意味するものではないことはアイゼンにも分かった。言い捨てて冒険者ギルドを立ち去るバトゥを、アイゼンは無言で見送った。
「……ふぅ」
バトゥが完全に見えなくなってからため息をついたシズルに、アイゼンは感心の瞳を向けた。
「なかなかの胆力だな」
「日常茶飯事ですので」
にこり、とほほ笑むシズルは、随分年若く見える。まだ十代か? と思ったアイゼンの目に、特徴的な形の耳が入って来た。
その耳は細長く先端が尖っていた。その特徴は、アイゼンの知識と一致した。
「エルフは初めてご覧になりますか?」
「いや、そうでもない。会ったことがある」
エルフは長寿命の森の住人で弓と魔法を得意とし、閉鎖的な性質と言われている。それを嫌って冒険者として外に出る者は珍しく、こうやって街中の事務に従事するものはさらに珍しい。
端的に言うと、珍しがられるのは慣れているのだろう。シズルは会話のきっかけとして、自分の出自を話題にするのに抵抗がないようだった。
おそらく見た目通りの年齢ではないのだろうが、アイゼンの興味はそこにはない。ラドニーには酒場で待つようにと言われたが、冒険者登録ぐらいはしてしまって構わないだろう。
「冒険者として登録したいのだが」
「では、こちらへどうぞ」
バトゥとのやりとりもあり、注目を浴びながら未だにざわつく受付スペースを抜けて案内されたカウンターで、シズルがそのまま受付として対応する。
「冒険者登録は初めてですか?」
「そうだ」
「新規登録は三銀貨となっております」
「これで」
「確かに。では、こちらに記入を」
そうして渡されたのは、水晶の板と、同じく水晶のペンだった。
板は不透明で、名前、年齢、性別、種族、職種、得意分野を書く欄があり、一番下には何に使用するのか、くぼみがあった。
ペンは一方が尖っている棒で、羽ペンなどのようにインクが溜まるような構造ではなかった。
アイゼンはペンを手に取って、しげしげと眺める。
「これで書けるのか?」
「はい。インクは必要ありません」
「ふむ」
物は試しと、アイゼンは水晶の板に自分の名前を書いてみた。
ペンの先端でなぞった部分が光の文字となり、水晶の板の表面に留まる。
「ほう」
感心したアイゼンは、そのまま詳細を書き連ねていく。
書き終わったそれをシズルは受け取り、内容を確認していく。
「アイゼンさんですね。十六歳、男、人間、武闘家。得意分野は挌闘、防御魔法、治癒魔法、と。……十六歳?」
シズルはある一点を見返して、アイゼンを二度見した。
「どうした?」
「……いえ、なんでもありません」
シズルとしては、「問題児」バトゥと冷静沈着にやりあったところを見ているので、アイゼンの態度と年齢に折り合いがつかなかったのだ。
「こほん。では、タグを発行しますね」
カウンター下から、アイゼンも見たことがある冒険者タグを、シズルは取り出した。ただし、その色はラドニーのそれとは違って銅の色をしており、等級も刻まれてはいない。
タグを水晶の板のくぼみに押しあてるシズル。タグを板から離すと、どういう仕組みなのか「一」と刻まれる。それを確認し、シズルはタグをアイゼンに渡す。
「これがアイゼンさんの、冒険者ギルドでの身元を証明するタグです。なくした場合は再発行に手数料がかかりますので、お気を付けください」
「分かった」
タグを受け取り、首にかけるアイゼン。
「これで、冒険者ギルドからクエストを受けることが出来るようになります。クエストは掲示板に張り出されていますので、ご自分の力量に合うと思われるクエストをお選びください。ただし、アイゼンさんは現在一等級ですので、一つ上の二等級までのクエストまでしか受けられません。その他、注意事項などがありますが、お聞きになりますか?」
「聞こう」
「クエストに失敗した時についてです。失敗にはいくつかのパターンがあります。採取のクエストで、必要数を収められなかった場合は、足りなかった分が報酬から差し引かれます。討伐クエストで討伐証明部位を必要数収められなかった場合も同じです」
「ふむ」
「ただ、単体の魔獣の討伐そのものが達成とみなされる場合においてはその限りではありません。期限の超過などで討伐できなかった場合は報酬は出ませんし、そのクエストが自身の等級を超えていた場合は、違約金などが課されます」
「身の丈を超えたクエストを受けた、ペナルティと言うわけか」
「そうです。基本的にはクエストの失敗は今あげたパターンですが、例外の場合は各クエストに記載があります。それに目を通していなかったがために、多大なペナルティを受けた方々もいらっしゃいます」
「気を付けておこう」
「……また、四人以上でのパーティが必須とあるクエストも中にはあります。その場合、パーティ登録をしていないと受けることが出来ないので、予めご了承ください」
「分かった」
「…………」
「どうした?」
「あ、いえ」
いきなり沈黙してしまったシズルに問いかけたアイゼンだったが、あまり内容のない返事が返って来た。
(なんでしょう、この人。やけに素直ですね。中には、登録が終わったら何も説明を聞かずにすぐクエスト、という人もいるのに。私との会話を引き延ばそうとしているような様子もないですし)
いたのだ。エルフと言う物珍しさと、見目麗しい外見と言うことで、やたらシズルと馴れ馴れしい会話をしようと言う者たちが。二言目には「お茶でも」と言い出したり、中にはもっと下卑た物言いをして来た者もいた。
「説明は終わりか?」
「私からは以上です。後は細かいことになりますので、こちらのギルド規則書をご参考ください」
シズルがカウンターから取り出したのは、ポケットに入りそうな小さな冊子であった。
アイゼンはそれを受け取ると、一ページ目を開いてみた。
「君よ、この道を選んだのはなんのためか? 願わくば、それが誰かの一助とならんことを」
記名のない文面が、アイゼンの瞳に飛び込んでくる。
これが、ラドニーの言っていた、「困っている依頼人を助けるのが冒険者」ということであろう。
「これを書いたのは誰か、知っているか?」
文面を示されて、シズルは軽くうなずいた。
「冒険者ギルドの創始者と聞いています。名前までは存じませんが……」
「存命か?」
「いえ、随分昔の方のようで、もう亡くなっているかと」
「そうか。会ってみたかったが」
少々残念そうなアイゼン。シズルは、そんなアイゼンを、今までとは違う色の瞳で見ていた。
一つ息を吐き出し、シズルがアイゼンに聞く。
「一等級でも受けられる討伐クエストがありますが、それを受けられますか?」
「お勧めはあるか?」
「冒険者になりたての方にお勧めしているのは、採取クエストですね」
「なら、それに従おう。なりたてで右も左も分からんのでな」
ギルド規則書をポケットに入れて、アイゼンは立ち上がった。
「シズルと言ったか? 世話になった。これからも、よろしく頼む」
「はい。お気をつけて」
「アイゼン様。こちらにいらっしゃったのですね」
そこに、ラドニーが現れた。
「ああ。冒険者登録をしていた」
「そうでしたか。申し訳ありませんが、お越し願えないでしょうか。わたしの報告だけでは不足がありまして、アイゼン様のお話も伺いたいと。後……」
声を潜めるラドニー。
「『烈火の牙』の件で」
「分かった」
アイゼンはラドニーに、建物の奥に連れられて行った。
そこに残されたのは、受付業務が一段落したシズルである。
シズルは、アイゼンの後ろ姿を見送ってから、呟いた。
「ああいう人になら、お茶に誘われてもいいんですけどね」