ぶっ壊れた
ゴーレムは背負い袋に平らげられた。
おかしな表現だが、それ以外に表現のしようがなかった。
それ以前に、人の身長と体重を易々と超えるゴーレムの部品をひょいと持ち上げて、無造作に背負い袋に突っ込んでいくアイゼンと名乗った男の行動にも、もはやラドニーは何も言えなかった。
自身の心の平穏のために、ゴーレム回収が始まった途端、アイゼンから視線を外したということもある。
(はは。常識ってなんだっけ。忘れちゃった。ああ、それにしても喉が痛い。一生分、叫んだ気分だ)
アイゼンの奇行の間、ラドニーは壁に向かって自問自答していた。
「こんなものか。結構、広かったのだな」
その声に、やっと回収作業が終わったか、とラドニーはアイゼンに視線を戻した。
アイゼンは、やはり全く体積を増やしていない背負い袋を背に、あたりを見渡していた。
この部屋は立方体のようだった。広さは街の一区画ほどもあり、天井も同じだけ高い。
改めて見ると、壁はレンガを規則正しく並べたように組み合わされている。ただ、レンガではなく、淡く光る材質でできているようだった。
部屋には出入口らしきものはなく、アイゼンが登場した円形の穴が唯一のそれだった。
ゴーレムの破片が片付けられて、ぽっかりと開けた空間に、ラドニーは、先ほどまでのことは夢だったのか、という思いにもとらわれる。
自分が死にそうになったこと、怪獣大決戦のような一幕があったこと、すべてが創作物だったかのように、他人事のように回想される。
だが、それが事実だったことは、盛大に砕けたいくつもの壁、わずかに床に散らばるゴーレムの破片が物語っていた。
それになにより、部屋の中央に立つその男。
その男が確かに有している存在感が、先ほどまでの光景と激情を、ラドニーの心に根付かせている。
「さて。……む」
アイゼンが、ラドニーを振り返って何かを言いかけようとして、口を閉ざした。
アイゼンの視線に及び腰になってしまうラドニー。
(な、なぜだ。苦手だ、この男に見られるのは)
自身の瞳を通じて、自分のすべてを見透かされているような、なにかが自分の心に侵入してくるような。
(――ああ。あまりにも真っすぐだからか)
すとん、とラドニーの腑に落ちたのはそれだった。
アイゼンは、常に相手の目を見て話すのだ。それが、圧迫感となって、苦手意識をもたらすのだろう。
それに気づくと、ラドニーの心は幾分か楽になった。
だから、ラドニーは、その瞳を見返して、尋ね返すことが出来た。
「なんでしょう?」
「名は?」
「え?」
「名前を聞いている」
「……ああ」
そう言えばそうだった。
色々ありすぎて失念していたが、自分を救ってくれた相手にまだ名乗りもしていなかった。
そんな事実がおかしくなり、自然と唇がほころんだ。
「ラドニーです。改めて、命を救っていただき、ありがとうございました」
そうして、深々と頭を下げた。やっとお礼を言えた。そんな感情をこめて。
「礼を受け取ろう。先ほども名乗ったが、俺はアイゼンだ」
おそらくは偽名であろう、それ。
だが、今までの破天荒な振る舞いを見てしまえば、偽名を名乗られるくらいは許容範囲だった。
そもそも自分も冒険者で、いわゆる訳ありだ。素性をごまかす、ごまかされるくらいは日常茶飯事だったわけだし。
改めて、ラドニーはアイゼンを上から下まで、不躾にならないように観察した。
黒髪と、印象的な黒い瞳。
顔立ちは表情こそ好戦的になったり不敵になったりはするが、存外若い。二十歳を超えるということはないだろう。
口を開けば、犬歯が目立つ。それがまた、凶悪な印象を与えてしまうこともある。
ありふれた旅装に、不可思議な背負い袋。
鋭い蹴りを繰り出していた足には丈夫そうなブーツ。
その男の名を、改めてラドニーは口にする。
「アイゼン様」
(って、なんだ「様」って! 滅茶苦茶しっくりくる! しかも、なんかドキっとした! なんだドキって! どうしよう、圧倒的な上下関係を喜んで受け入れそうな自分がいる! しっかりしろ、わたし! いくら相手が暴君のようだとは言え!)
さすがに恥ずかしく、咄嗟に言い直した。
「ア、アイゼンさん! アイゼンさんですね! 承知いたしました!」
顔を赤くしながらも、なんとか軌道修正したラドニー。口にした敬称がしっくりこず、尋常ではない違和を感じてしまう。
「……お、おう。よろしく頼む」
ラドニーの勢いに押されるように戸惑うアイゼン。
(え、なんかわたしの奇行で戸惑っているみたいじゃないか! 理不尽だ! それはこっちが言いたいことなのに!)
思わず睨むラドニーに、アイゼンはとりあえず咳払いすることで返した。
「それでラドニー。出口だが」
「あ、はい」
急務を告げられ、さすがに冷静になるラドニーだった。
そうだ、こんな事をしている場合ではなかったではないか。
「ラドニーはどこからこの部屋に入ったのだ? 見る限り、俺が通した道しかないようだが」
通した道、という言葉に、そこに目をやるラドニー。はは、となんだか乾いた笑いが込み上げてきたが、気を取り直してアイゼンに向き直る。
「わたしは、この部屋に転移させられてきたのです」
「転移?」
「はい。わたしは冒険者パーティーの一員として、ダンジョンを探索していました。そのダンジョンの一室に足を踏み入れたところ」
ラドニーは部屋を見渡す。
「この部屋に、一人転移させられていました。そうして、この部屋にいたゴーレムに襲い掛かられたのです」
「ふむ」
語られ、顎に手を当てて考え込むアイゼン。
「冒険者、と言ったか? 察するに、それは危険な地域を踏破しようとする力量を持つ者の呼称か?」
「あ、はい。概ね、それで合っています」
自身の生業をそんな表現で言われたのは初めてで、ラドニーは戸惑いながらも頷く。
その戸惑いを置き去りに、アイゼンの声は静かに部屋に満ちて行く。
「もしかしてラドニーは、その冒険者パーティーの中で飛びぬけて強かったか?」
「あ、はい。そうです。中堅パーティーの探索のお守として同行していました」
なぜそれを? と、ラドニーの顔が疑問で彩られる。
「ならば、あのゴーレムの行動も頷ける。あのゴーレムを先ほど少し分析して分かったことだが、どうやら捕えて食った相手の魔力を奪い、強くなる性質を持っていたようだ」
「食って強くなる!?」
そんな性質を持つゴーレムなど、ラドニーは聞いたことがなかった。餌として見られていたと知って、寒気に襲われるラドニーだった。
「だが、対象にはある程度の強さが必要らしい。他のパーティーメンバーはその選から漏れ、結果、ラドニーだけが対象となったのだろう」
「そういうことでしたか! そう言えば、わたし以外の他のメンバーは、転移させられようとはしていなかったように思います」
転移の魔力に捕らわれたラドニーを、他のメンバーは驚愕しながらも阻止しようと動いていた。自分たちも転移に捕らわれていれば、そんな対応はできなかっただろう。
「となると、相手を逃がすわけがないから、出口などない、ということか」
「アイゼンさ……、ん、が通って来た道は、どうなのでしょうか?」
(ええい、しっかりしろ、わたし! さっきからおかしいぞ! それにしても呼びにくいな!)
「行ってみなければ分らんが、確かに廊下らしき道は続いていた。だが、その前に一つ試してみたいことがある」
「試してみたいこと?」
「うむ。ゴーレムの目的が、強くなるだけだとは思えなくてな」
「と、言いますと?」
「強くなるだけならあまり意味はない。まあ、際限なく強くなって、いずれ外に出て災厄をまき散らすのが目的かもしれないが、他にも考え付くことはあってな。その一つが、あのゴーレムは、金庫なのではないか? という仮説だ」
「金庫? 確かに、やけに丈夫でしたが」
「確かに丈夫で強く、ゴーレムの核には強大な魔力が内包されていた。これまでに多くの犠牲者を出したのだろうな。で、強くなり、貯めて、強くなり、貯めて……。そうして、いずれ、誰かがその強大な魔力を取りに来る」
「それで金庫なのですね!」
アイゼンの語りに引き込まれ、瞳を輝かせるラドニー。内心を高揚が満たしていた。
そんなラドニーを冷静に、手で押しとどめるアイゼン。
「仮説だ。その仮説にたどり着いたのは、あのゴーレムの核から、貯蔵されていた魔力とは違う波長の魔力を見つけたからだが。おそらく、ゴーレムの創造主とダンジョンの管理者だろうな」
「え、いつです!?」
「核を抜き取るときに、ついでにな」
(あの時か!)
それは、ゴーレムの解体作業が終盤に入って、哀れに思ったラドニーが声をかけた時だろう。無造作に解体していたと思いきや、そんなことをしていたとは。
「自然発生したゴーレムではない、ということだ。創造主も管理者もいる。ならば、俺の金庫という仮説が正しければ、その創造主、もしくは管理者はいつかゴーレムのいるこの部屋にやってくる。だが、どこからだ? この部屋には出入口はない」
改めてあたりを見渡すアイゼン。それにつられ、同じくあたりを見渡すラドニー。
「転移で来るとも考えられるが、まずは地道に歩いてくると考えてみよう。ならばやはり、この部屋には出入り口が必要だ。だが、せっかく捕えた獲物を逃がすわけにはいかないから、やはり出入口は作れない」
もったいぶるようなアイゼンに、ラドニーは興奮を隠しきれない。早く結論を、と拳を握りしめて食い入ったようにアイゼンを見つめる。
「ならば、隠されているのではないか? と思ってな。試しに、見つけた管理者の魔力波長を模倣した魔力を解き放てば」
ラドニーを押しとどめていたままの手に光が纏われる。そこから、柔らかに全周囲にその魔力光が拡散していく。アイゼンとラドニーをすり抜けたその光が壁まで到達したとき、変化は劇的に訪れた。
天井までそびえる、巨大な両開きの扉が、一辺の壁の中央に出現していた。
「隠されている物が表れるのではないか、とな。当たったか。やはり、管理者の魔力が、隠された出入口が表れる条件だったのだな」
「おお……! す、すごい……!」
いきなり現れた大扉の異様さもそうだったが、これがここにあると看破した推理力と言い、ゴーレムの核から波長を見つけ出したことと言い、実際に扉の存在を暴く技術と言い、それらはラドニーを感嘆させるに十分すぎるほどだった。
その感嘆や驚きと言った様々な感情は、今日一日にあった出来事と結びつき、劇的にラドニーの在り方を揺さぶった。
先ほどまでの疑いやら恐怖やら、負の感情はすべて裏返り、正の方向へと導かれたのだ。
ありていに言えば、とうとうラドニーはぶっ壊れた。
「すごいです、アイゼン様! こんなことが出来るなんて!」
顔を紅潮させ、きらきらとした視線を向けるラドニーは、アイゼンの手を取ってはしゃいだ。
その様子に、泰然とした態度を崩し、気圧されるアイゼン。
「いや、たまたまだ。先ほども言った通り、転移が手段だったかもしれないしな」
(様? なぜだ。まあ、呼び方を制限するつもりはないが……)
「それでもすごいです!」
「ま、まあそれはいい。とりあえず、ここ自体からまだ脱出できたわけでもないしな。扉の先に向かうとしよう。まだ何があるやも知れぬから、慎重にな」
「はい!」
取り繕うようにアイゼンが言うと、ラドニーは双剣を抜き放った。
その瞬間、ラドニーの雰囲気が変わる。
その赤い瞳に冷徹な光を宿し、隙がなくなる。台風の目のように静かに、力を解き放つ瞬間を待つようだった。
(ほう)
アイゼンをして、感嘆させる佇まいだった。目につくのは、右手に順手、左手に逆手に構えられた双剣。
先ほどまでは満足に見ることもできなかったが、無骨な作りの剣であった。所謂ショートソードほどの長さだが、刃は分厚く鉈のようであり、相当な業物のようだった。
それらを確認し、アイゼンは大扉に歩み寄る。それに静かに続くラドニー。
やがて大扉にたどり着くと、先ほどと同じく、ゴーレムの管理者と同じ魔力波長の光を両手にまとわせた。
そして、その両手を大扉に押し当てる。
すると、アイゼンが力を籠めるまでもなく、大扉は静かに開いていった。
大扉が開き切ると、その先には石造りの通路が広がっている。
危険がないことを確認し、頷くアイゼン。
「行くぞ」
「はい」
先行するアイゼン、左後方につくラドニー。
その隊形のまま、二人は慎重に歩を進める。
通路は静かなものであった。
やがて、再び扉が表れた。
先ほどのような無骨な作りの扉ではなく、装飾が施されている片扉だ。その装飾はどこか、おぞましさを連想させるようにうねっていた。
ひときわ目につくのは、扉を斜めに横切るように図案化された直線だった。直線の下側の端から、返しのような短い直線が伸びている。
それを目にしたラドニーが、思い出したように呟く。
「これは、ダズニュートの銛?」
「知っているのか?」
「あ、はい。あらゆるものに災害をもたらすという、海の邪神ダズニュートの紋章です」
「ほう。そんなものがあるのか。博識なのだな、ラドニーは」
「いえ、それほどでも」
謙遜しながら、ラドニーの内心は吹き荒れていた。
(褒められた! アイゼン様に褒められた! 嬉しい!)
一気に頭に血が上り、顔が紅潮する。頬が緩むのを止められない。
「ふむ」
そんなラドニーの変化などお構いなしに、アイゼンは思案顔だった。邪神の紋章とやらを眺めやり、腕を組む。
まだ脱出もおぼついていないということで、なんとか激情を収めたラドニーは、そんなアイゼンを訝しんだ。
「アイゼン様? なにか思うことが?」
「うむ。先ほどの部屋はこの扉につながっているが、あのゴーレムと海の邪神というのがどうにも結びつかなくてな」
「……確かに。この扉の紋章が別のものになるか、先ほどの部屋に出現するのが海のものになるか、どちらかのような気がしますね」
アイゼンの考えに感心してこくこくと頷くラドニー。そんなラドニーを見やり、腕をほどくアイゼン。
「だが、あまり深く考えるのもよくない。念頭には置いておくが、あまりこだわらないようにしよう。足元をすくわれかねん」
「え? あ、は、はい」
(アイゼン様が足元をすくわれることなんてあるの?)
と、疑問が脳裏に渦巻くラドニー。ラドニーには、アイゼンが不覚を取る光景など想像もつかなかった。
だがその時、ラドニーに天啓が降りてきた。
(そうか、わたしがそうなる可能性もあるか。アイゼン様の足を引っ張らないように、気を引き締めねば。ということは、これは、わたしのプライドを傷つけないようにという、遠回しの忠告か……! なんと、お優しい……!)
もはやアイゼンの行動をなんでも肯定的にとらえてしまうラドニー。傍に誰かいればそんな考え方を戒めたかもしれないが、ラドニーにとって幸か不幸か、そのような人物は見当たらなかった。
「中に入れば何か分かるかも知れん。最悪、戦闘も予想される。準備はいいか?」
「はい」
双剣の重みを確かめ、思考を鋭くするラドニー。
再び、ゴーレムの創造主の魔力波長を手にまとわせ、扉を開けるアイゼン。
扉は何事もなく開いた。明かりの保たれた廊下とは違って中は暗く、静かで何者の気配も感じられない。
「中を照らすぞ」
「はい」
どうやって? とはもはや聞かなかった。アイゼンがそうする、と言えばそうなる、と何の疑問も抱かなかったからだ。
「『夜闇を照らせ』」
アイゼンの手の中に光の玉が現れる。それは一人でに飛び立って扉の先に侵入すると曲がって上方へと向かい、部屋の天井にぶつかると閃光を降り注がせた。
その閃光は角度的にアイゼンとラドニーには影響を与えず、一瞬で光量を落とすと、目に害のない程度へと落ち着いて照明として維持される。
(閃光弾を兼ねた照明魔法か……!)
アイゼンの行いには感心するばかりのラドニー。
その思慮深さ、先見性に、尊敬の念を抱かずにはいられない。
「行くぞ」
「はいっ」
扉をくぐったところで散開し、構える二人。
だが、一向に想像されていた襲撃などはなかった。
「……ふむ」
「……誰もいない?」
拍子抜けなどはせず、じりじりとした動きであたりを見渡す二人。
そこは古く、小さい教会のようだった。
祭壇があり、そこには銛を模したオブジェが飾られていた。
だが、他には何もない。今は明るいというのに圧迫感を感じるのは、窓もないせいだろう。
誰も、何もないと確認し、アイゼンはゆっくりと構えを解いた。
「……教会か? 教会と言えば、ステンドグラスやいくつもの長椅子がつきものだと思ったが……」
「個人的な施設なのでしょうね。そもそもダズニュートは邪神ですから、多くの信者を伴うものではないのかもしれません」
「なるほどな。ラドニーの言う通りだと思う」
アイゼンのお褒めの言葉に、頬が緩むラドニー。
咳払いをして気を取り直したラドニーは、部屋の片隅に目をやった。
「あの扉が、出口でしょうか?」
それには、部屋に入ったときに、アイゼンもラドニーも気が付いていた。
両扉だが、それにしては少し細長い。人が一人、通れるくらいの細さだった。
「扉というより、昇降装置のようだな」
近づいてみると、それがよく分かった。上下を表すボタンが扉の脇についており、昇降装置の位置を表示する光も近くに灯されていた。
「動くのでしょうか」
「さてな。だが、昇降装置が今、上にあることは示されているから、動力は生きていそうだ」
言うと、おもむろに「下」のボタンを押して昇降装置を呼び寄せるアイゼン。
上方で響いた、なにかが外れるような音にびくっとしたラドニーだったが、隣にいるアイゼンが平然としているのに気づき、少々恥じ入った。
(この落ち着きぶり……わたしも見習うべきだろうな)
そうラドニーが自らを省みる間にも、何かが近づいてくる気配が伝わってくる。
「昇降装置の中から何かが飛び出してくるかもしれん。注意せよ」
「はいっ」
この慎重さも、と思いながらラドニーは答える。
結果、その警戒も杞憂に終わった。
昇降装置がたどり着くと自動的に扉が開いたが、特に何事もなかったのだ。
そこでようやくアイゼンは構えを解き、ラドニーは双剣を鞘に納めた。
「問題なく動くようだな。上に行けば出口とは限らんが……。どう思う、ラドニー?」
「う、ええ? なぜわたしに聞くのです?」
「実績ある冒険者としての経験から、これに乗るのが最善か、判断がつくかと思ってな」
「……なるほど」
(あのアイゼン様に、わたし、頼られてる!? いいとこ見せなきゃ! いや違うだろう、わたし! 浮かれていないで、アイゼン様の安全も考えて、きちんと判断するのだ!)
「ゴーレムのいた部屋と、転移元のダンジョンの位置関係は正直分かりませんが、転移元のダンジョンは、地下へ地下へと下っていくタイプのものでした。とすると、今までのダンジョン攻略の経験から考えて、おそらく最奥に位置すると思われるゴーレムの部屋は、それより下にあると考えられます。よって、脱出を考えるならば、これに乗って上に向かうというのは最善とまでは言い切れませんが、少なくとも出口に近づくのではないか? と思います」
「分かった。ラドニーの判断に従おう」
「え、あの。そんな簡単に、いいのですか?」
「ラドニーの分析は十分に説得力を伴うものだ。俺としては非の打ち所がない。よって従う。それだけだ」
(お、おお……)
アイゼンの真摯な瞳に射抜かれ、ラドニーは心身ともにぐらついた。
(あんな、圧倒的な力と思慮深さを持つのに、分からない事は分からないと言い、他の者の意見も素直に取り入れる。そんなこと、なかなか出来ない。なんだこの人。凄いだけじゃない。謙虚だ。なんて人なんだ、この人は……!)
顔を紅潮させ、瞳を潤ませ、口元に手を当てるラドニー。いきなりそんなことになった彼女に戸惑いを隠せないアイゼン。
「……では、乗ろう。行けるか、ラドニー?」
「は、はいっ」
なにやら火照って来た身体を鎮めることもできず、必死に返すラドニー。目を伏せがちな彼女は、アイゼンが気遣わしげな表情をしていることにも気づけない。
昇降装置は一人が乗ることを想定しているのだろう。二人同時に乗ると狭かった。
それこそ、密着しないといけないほどに。
(え、どういう状況、これ?)
アイゼンの胸板に、ラドニーが顔を当てている、という状況のことである。
もっと言えば、胸板と顔だけではなく、全身が密着しているという状況であった。
心臓がうるさいほどに鼓動を大きくしているのが、ラドニーには分かった。でも、どうにもならない。心臓が全開で全身に血液を送り込んでくるのを制御できない。身体が熱い。心が、嬉しい悲鳴を上げている。
(は、恥ずかしい。聞こえてないか、わたしの鼓動。というか、わたし、汗臭くない? 服も自分の血で汚れてるし。なんでこんなのなんだ! この好機に! 好機ってなんだ! わ、わたし、喜んでいる? もしかして?)
「元は一人乗りだから二人だと重量制限が心配だが……仕方ないか。では、行くぞ、ラドニー」
「は、はひっ」
そのまま発火しそうなラドニーの様子とはうらはらに、アイゼンは通常通りだった。
アイゼンの操作に応じて扉がしまり、上方への浮遊感が二人の身体を包み込む。
(し、心臓が爆発しそうだ。なんだこれ。恥ずかしさと嬉しさと、なんだ? よく分からない。ふわふわして、どこかへ行ってしまいそうだ。このままじゃわたし、どうにかなってしまう……!)
息をすることも忘れているラドニーと違い、アイゼンは昇降装置の行き先に気を張っていた。
次の瞬間、浮遊感が減じて行くのが分かった。もっとも、それを感じているのはアイゼンだけだった。ラドニーは自己の制御に必死でそれどころではなかった。
やがて昇降装置は完全に静止した。次いで、扉が開く。光が飛び込んでくる。
二人は昇降装置を出た。
だが、その行動は対照的なものだった。
あたりに目を光らせて構えに隙が無いアイゼン。
ふらりと四つん這いに蹲って、忘れていた呼吸を思い出して息の荒いラドニー。
「……大丈夫か、ラドニー?」
危険はないと判断したのか、アイゼンはラドニーの背中をさする。
びくり、と身体を震わせたラドニーは、転げるようにして慌ててその感触から逃れた。
「だ、大丈夫です! 慣れない経験に、息をするのを忘れていただけですので!」
(ま、まずいまずい! わたしの身体、なにかおかしい! 落ち着かなきゃ! でも、せっかくアイゼン様が背中をさすって下さったのに、もったいない! もったいないって何だ!? もっと味わいたかったって事!?)
自問自答が激しいラドニーに、アイゼンは、うむ、と頷いた。
「確かに、もしかしたら昇降装置が途中で止まるかもしれなかったしな。無理もない」
(よかった! ごまかせた!)
アイゼンはラドニーを気遣い、しばしそっとしておいてくれるようだった。あたりを見渡した後、扉を閉ざした昇降装置に近寄る。
しかし、二人が出てきた昇降装置の扉は、ただの岩壁に見えた。
丘に突き立つ一つの巨岩。その一部が偽装された昇降装置の扉だったのだ。
「とりあえず、ダンジョンからは脱出成功、ということか」
「え、あ」
ラドニーは、深呼吸を繰り返してようやく、自分たちが置かれた状況に目を向けることが出来た。
森の中の拓けた場所にある、小さな丘。それが、自分たちがいる場所だった。
遠くからは野鳥の鳴き声が響き、空からは陽光が降り注ぐ。先ほどいた鬱屈するようなダンジョンとは違い、穏やかな空気が流れていた。
「……そのようですね」
立ち上がり、改めて深呼吸するラドニー。ようやく、脱出の実感が湧いてきた。
「さて。ダンジョンから脱出できたはいいが、ここはどこだ? 分かるか、ラドニー?」
「さすがにここからでは。ですが、少々お待ちください」
言うと、ラドニーは地面を蹴って、近くの木の枝に飛び乗った。そこからまた、さらに跳躍し、別の上方の枝に。森を一望できる枝まで跳躍を繰り返す。
やがて目的を果たせる高度まで達すると、遠くを、近くを見渡した。
「何か見えるか?」
「はい。向こうに村が……って、アイゼン様!?」
「おう」
アイゼンが同じ枝に立っており、同じように森を見渡していた。
(いつの間に……! 同じ枝なのに、なにも感じなかった……!)
飛び乗る瞬間に、枝には抵抗がかかるはずである。その抵抗はラドニーにも伝わるはずだ。だがそれらは感じられず、そもそもここまで来た気配すら分からなかった。
改めてラドニーがアイゼンの力量に驚いている間に、アイゼンはラドニーが見つけた村に目をやっていた。
「炊き出しか? 煙が上っているな。廃村などではないということか」
「あ、はい。おそらくは。そして、村の名前などが聞ければ、現在地も分かるかと思います」
「向かってみよう、ということだな」
「それでいいでしょうか?」
「異存はない」
と、そこまで会話を運んで、ラドニーは大事なことに気が付いた。あまり聞きたくはないことだったので、恐る恐るという口調になってしまう。
「あ、の。着いて来て下さる、のですか?」
「うん? と、言うと?」
「アイゼン様の目的は存じませんが、わたしの行動は、それには反しませんか?」
「俺の目的は、自由を謳歌することだ」
そのアイゼンの発言に、ラドニーは虚を突かれた。
「自由、ですか」
「うむ。不自由な身の上だったのでな。そこから解放されて」
アイゼンは彼方に目をやった。
どこまでも広がる空、風に流れる雲、さんさんと輝く太陽。
豊かな森、その向こうに連なる険しい山々。
眼下を吹き抜ける自然の胎動。
アイゼンは、それらをとても愛おし気に眺めやった。
「俺は、とても充足している」
その横顔に、ラドニーは惹きつけられた。ぎゅっと胸が締め付けられるような感覚。それの名を、まだラドニーは知らずにいた。
「だから、他にあてもない。ラドニーはまだ、元の場所には帰りつけていないのだろう? ならば、その手伝いをするのも一興と言うものだ。もっとも、ラドニーが不要と言うのであれば、その限りではない」
「お手伝いをお願いいたします!」
「お? おお、分かった」
詰め寄られて戸惑い気味のアイゼン。そんな表情にも、ラドニーはどこか惹きつけられるのだった。