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拝啓、○○に出会いました。  作者: 緋色
三章

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14/17

対等

 着替えと昼食を終え、リフレッシュした気分で、アイゼンとラドニーは再び庭にいた。

「誰も見るんじゃないぞ!」

「あらあら」

 そんな会話が事前にあった。

 確約が得られなかったことは不満だったが、こうやってアイゼンに相対すると、どうでもよくなってしまうから自分でも不思議だ。

「さて、まずは何をするかだが」

「はい!」

 力むラドニーの前で、アイゼンは手を差し出した。

「?」

 小首を傾げつつ、思わずアイゼンの手に自分の手を重ねてしまうラドニー。

「言葉足らずだった。重ねるのではなく、見ていてほしい」

「ししししし失礼しました!」

 しゅばっ! という擬音が似合いそうな動作で飛び退るラドニー。

「いや、遠すぎる。もう少し近づいてくれ」

「は、はいぃ……!」

 今度は距離が開き過ぎた。自分を振り返って赤面してしまう。

 まさか、こんなところを誰かに見られていないだろうな、とアイゼンに近づきつつあたりを見渡すラドニーだったが、とりあえず誰もいないようで、安堵のため息をついた。

「今、手のひらから魔力を放出している。見えるか?」

「え? いえ、まったく」

 ラドニーにはアイゼンが手のひらを差し出しているだけにしか見えなかった。

「極わずか、漏れ出る程度だがな。破魔眼ではどうだ?」

「やってみます」

 ラドニーの瞳が輝く。

 そうすると、かろうじてだが、見えた。

 アイゼンの手のひらから立ち上る、湯気のような白い魔力。

「見えました」

「失念していたが、その破魔眼はどれだけ維持できるのだ? 負担ではないか?」

 心配が混ざった声音に、ラドニーの鼓動が大きくなる。

(気遣われてる! なんだ、嬉しいな!)

 内心の感激を押し隠しつつ、ラドニーは答えた。

「長時間でなければ大丈夫です」

「それなら良かった。俺の魔力と、ラドニーの魔力には差があるか?」

「差?」

 言われ、ラドニーは自分の手のひらを見た。言われるまで気づかなかったが、自分の身体からも同じように魔力が漏れ出ていて、身体全体を覆っていた。

 今まで、破魔眼を通して見ていたのは放たれてなんらかの形となった魔力ばかりだった。

 そう思いながら、自分の魔力とアイゼンの魔力を見比べてみる。

「……差は、あります。わたしのは赤く、アイゼン様は……白い」

(白い。神々しいほどの白さだ。それに、漏れているのは手のひらからだけ。わたしは全身から……)

 自分も手のひらからだけにしようと、何気なく試してみた。

 だが、やり方がわからない。どこに意識を向けて、どこに力を入れればいいのか、全くわからなかった。

(これは……わたしの制御が甘く、無駄に漏れている、ということか?)

 漏れ出る程度に放出している、と先ほどアイゼンは言ったが、それは裏を返せば、まったく漏れないが常だということだ。

 常に、それほどまでに、完璧に制御している。

 自分との差は明らかだった。

 それがわかっても、もはや「そうだろうな」としか思えない。

 アイゼンの規格外ぶりは体験済みだし、力量差も思い知らされているし、そこに至るまでの努力もなんとなく認識できているからだ。

 ラドニーの感想を聞いて、アイゼンは満足そうに頷いた。

「俺がその差を感じるには大分苦労した。その差が、魔力波長の差だ。ラドニーの表現で言えば、その色を意識して別の色に維持し続けることが、魔力波長の変化ということになる」

「そう言うことなのですね……!」

 感嘆することばかりである。やはり、指導者の不在は大きかったと痛感する。

 また試しに色を変えてみようとするものの、やはりやり方はわからなかった。すぐそこに指針があるのに、もどかしさを感じる。

「制御できそうか?」

「……いえ、駄目です。アイゼン様のように、手のひらだけにしようとしてもうまくいかず……」

「俺からしてみれば、差を認識できるだけでも大したものだ」

 ふがいなさが顔に出ていたのか、アイゼンがそう返す。俯きそうなラドニーがちらりと表情を窺うと、本気で感心している見て取れた。

 思えば、いつもそうだった。

 アイゼンはいつも本気で真面目で素直で誠実なのだ。変にごまかしはしない。

 その生き方を貫くのは色々と苦労が伴うと思う。自分は出来るだろうか。

 そんな思いを片隅に抱きつつ、今は課題に向き合うラドニー。

「……色々試すしかないでしょうか。例えば、誰かに魔力を押し戻してもらって、その時の感覚を覚えるとか」

「いい案だと思う」

 頷きを返すアイゼン。

 なんとなく考え付いたラドニーだったが、その誰かがアイゼンしかいないと気づき、恐縮してしまう。

 だが、謝ってばかりでは返って失礼だと思いなおし、おずおずと尋ねてみる。

「あ、あの、お手伝いをお願いできますでしょうか」

「無論だ。その為にここにいる」

 今度は、ラドニーが差し出した手のひらに、アイゼンの手のひらが翳される。

 破魔眼を通して、白と赤の魔力が混ざり合うように重なっていく。

 それを見て、ラドニーは背中がむずむずするような感覚に襲われた。

(な、なんだ。なんだか、妙な感覚だ……!)

 知らず、体温が上がっていく。それでも逃げるわけにはいかず、必死で体勢を維持する。感覚から逃げる様に視線を上向けると、アイゼンの真剣な表情が目に入った。

(そうだ、アイゼン様がお手伝いして下さっているんだ! 何してる、わたし! これは鍛錬、これは鍛錬……! 集中するんだ……!)

 視線を自分の手のひらに戻す。その先で、アイゼンの魔力がラドニーのそれに覆いかぶさるような形になっている。その分、ラドニーの魔力は厚みを薄くしている。

 その状況を、自分の手のひらで感じ取る。

(なにか、押されている感じだ……。とても、優しく、優しく……)

 押された分、手のひらから手首へ、その先へと、波が伝播するように、身体の芯へ達していく感覚。

(これは、魔力の、波……?)

 やがて、ラドニーの手のひらから漏れていた魔力の厚みは限りなく薄くなり、その分だけアイゼンの手のひらが近づく。

(優しい波が……。この波を、もっと……)

 顔が紅潮するのを自覚する。身体の芯が熱を帯び、汗が滴る。

 その波は、要求と反対に静かに離れていった。アイゼンが手のひらを離したのだ。

「え、あ……」

 ラドニーの瞳が切なくアイゼンを見上げる。

 対して、アイゼンは気遣わし気な表情だった。

「破魔眼を解くんだ。一旦、ここまでだ。息が乱れているぞ」

「は……ん……」

 条件反射的に返事をしようとして、溜まっていた唾液を飲み込むラドニー。

 酔ったような精神状態で、自分でも何が何だかわからなかった。

「なんだか……ふわふわ、します」

「微量だが、余分としている魔力を戻したからな。それが、酔いという形で影響したのかも知れん」

 ラドニーの足がもつれ、倒れまいと身近にあるものにしがみついた。

 それはたくましく温かだった。

「……ふえ?」

 ぼうっとした頭で自己分析する。

 両腕は彼の胴体に回されている。

 嗅覚は男性特有の匂いを、頬どころか全身で体温を感じている。

 誰の?

 恐る恐る、ラドニーは顔を上げた。

「大丈夫か? ラドニー」

「ひああああああっ!?」

 至近距離の黒い瞳に酔いも吹き飛び、ついでに自分も後方へ吹き飛ばし、ラドニーは悲鳴を上げて距離を取った。

(分厚い胸板だった! 違う、またしても! もう少し感じたかった! って、だから違うだろわたし! ああもう、またやらかしたああっ!!)

 胸に押し寄せる大後悔。蹲って頭を抱えてしまう有様だった。

「精神に影響があったのかもしれん。とりあえず深呼吸を……」

「だ、大丈夫ですうっ……!」

 いささか慌てた調子のアイゼンの気遣いが、ラドニーにはひどく痛かった。



「今回は押していただく形でしたが、内側から引っ張る形で再現できれば手掛かりになりそうです……!」

 なんとか態度を取り繕えたラドニーは、いささか興奮気味だった。

 停滞気味だった成長に光が見えたことがやはり大きい。

「うむ。そうして、段々感触を確かなものにしていけば、いろいろできる幅が広がるはずだ」

 アイゼンも指針としては異存ないようだったが、彼には一つ気がかりなことがあった。

「ただ、一人では行わない方がいいだろう。どのような影響が生じるかわからんしな」

「そ、それは……!」

 ラドニーは困って返答を詰まらせた。

 それは常に醜態を見せてしまう可能性があることと同義である。

 ラドニーとしては嬉しい。鍛錬に確かな実力者がついてくれるのだから。

 加えて、アイゼンの瞳に灯るのは純粋な気遣いの色であり、それが嬉しくてたまらない。

(けど、それは酔っ払いの世話をさせるのと同じ……わ、わたしはなんて答えれば……!)

 内心頭を抱えるラドニー。

 その焦ったさまを見て、アイゼンは何やら得心したように頷いた。

「ラドニーほどの手練れに逐一ついているのも、過保護と言うものだな。手ほどきが必要な時には遠慮なく声をかけてくれ」

「は、はい……! ありがとうございます……!」

 混乱と焦りを、プライドを刺激するものと解釈したアイゼンに、申し訳なく思いつつもラドニーは礼を言うのみにとどめた。

(よ、よかった……! このままじゃわたし、爆発するところだった……!)

 身体の芯から迸る何かが、ラドニーを動揺させていたのだった。

 何とか深呼吸してそれを抑え込み、一息つくラドニー。その間、アイゼンは静かに待っていた。

「改めて、ありがとうございます。何とか形にしていきます」

「うむ。焦らず、慎重にな」

「は、はい。お気遣い、ありがとうございます」

 ラドニーは深々と頭を下げた。それは純粋に感謝の念からの自然な動作だった。

「…………」

「アイゼン様?」

 無言で返されたラドニーは、違和感に顔を上げた。

 そこに飛び込んできたのは、少し眉を寄せたアイゼンの表情だった。

 その表情に、ラドニーの鼓動が跳ね上がる。

「あ、あの、申し訳ありません。なにかやらかしてしまいましたか……!?」

「それだ」

「え!?」

 それ、と言われたラドニーはどれのことかわからず、慌ててとりあえず手元をわたわたさせてしまう。

「俺への接し方が丁寧すぎると思ってな。なぜだ?」

「えっ」

 言葉に詰まるラドニー。

 自覚はある。

 最初は凶悪な暴君という印象で、その圧倒的な力量に本能で屈服した。

 次はその知識や見解に感服した。

 知るにつれ人格に惹かれ、尊敬の念を抱いた。

 そして今は指導を賜る、師でもある。

 いや、それらの経緯はどうでもよかった。

 自然に敬う姿勢を取っていて、それが自分でも心地よく、充足してしまっていた。

「わ、わたしは」

 いかに尊敬の念を抱いているか。

 思いの丈をぶちまけようとして、ラドニーは思いとどまった。

 そのラドニーの姿勢を、アイゼンは歓迎していないように思えたからだ。

 眉を寄せたその表情に、その瞳の奥に、不満や不快感ではなく、一抹の寂しさを感じたのだ。

 ごくり、とラドニーは生唾を飲み込んだ。

 予感が、前のめりになりそうな姿勢を押しとどめた。

 ここで返答を間違えると、決定的なことになる。

 もう二度と、交わらない。

 そんな予感だった。

 だからこそ、彼女は言葉を選ぶ。間違わないために。

「尊敬しているのです」

 アイゼンと視線を交え、離さずに。伝わるように。間違えないように。慎重に、慎重に。

 とても大事だから。

「その気質も、強さも、なにもかも」

 アイゼンが口を開こうとする。それをあえて遮って、ラドニーは綴る。

 お願いだから、聞いてほしい。

「もちろん、アイゼン様の全てを知っているわけではありません。でも」

 知らず、胸の前で祈るように両手を組んでいた。

「……尊敬に足る方なのです。アイゼン様は」

 真摯な瞳に、アイゼンは僅かに気圧され……目を閉じた。耐えかねたように。

「あ、あの、駄目だったでしょうか……?」

 ラドニーのそれは、色々なことを込めた問いだった。

 アイゼンは一つため息をつくと、再び目を開いた。

「ラドニーのことは、俺も尊敬している」

「……え」

「その気高さ、飽くなき向上心、豊富な知識、他者への思いの深さ。挙げれば切りがない。お互い尊敬しあう。そこは同じだと思っている」

「……え、え」

 ラドニーは訳がわからなかった。けれど、手放しで褒められていることはわかった。

 アイゼンは嘘を言わない。

 だからそれらは全て、直接ラドニーの心を立て続けに揺らす。

 なのに、ラドニーの心の大半を占めるのは戸惑いだった。

(……なんだろう。迷子の子供のような……この、頼りなさは)

 本当にあのアイゼンなのだろうか。

 アイゼンの黒い瞳は、僅かに揺れている。

「ラドニーは俺とパーティーを組みたいと言っていた」

「は、はい。それは今でも」

「パーティーとは仲間なのだろう?」

「は、い」

「仲間とは……」

 アイゼンはそこで区切った。

 ラドニーはそこで気づくことが出来た。アイゼンにこれ以上言わせてはいけない。

 そこから先は、自分で言わなければならないのだと。

「対等です」

 ラドニーは口早に続ける。

「対等です。片方がむやみにへりくだったりは……その、相応しくないか、と」

 どの口がそれを言うのか、とラドニーの語調は後半でトーンダウンした。

(ああもう! 「様」とかつけたり、臣下のように接していたのは自分だったじゃないか!)

 その態度が、今までアイゼンを傷つけていたのかもしれない。

 それを思うと、ラドニーは消沈した。

 地面に頭を擦り付けて謝罪したいくらいだったが、そのような態度こそ違うのだろう。

 鬱々とし始めたラドニーに、アイゼンは戸惑う。

「いや、すまん。ラドニーの考え方を否定したいわけではないのだ」

 アイゼンは自由を重んじる。それは自分以外の自由についても同じだ。

 ラドニーもそれはわかっていた。アイゼンの声に、ラドニーは俯いていた顔を上げる。

 飛び込んできたのは、今まで見たことのない、苦し気な表情だった。

「ただ……。距離を感じるというか……」

 アイゼンは目を伏せた。

「……少々、辛いのだ」

 その幼子のような表情に、ラドニーの身体が勝手に動いた。

(可愛いーーーーーーーーーーーーーっ!!)

 内心の絶叫とともに、アイゼンの頭を胸に掻き抱いていた。

(わたしの馬鹿馬鹿! こんな表情をさせてしまうだなんてええええええ!)

 ぐぐっと両腕に力がこもる。

(反省! 反省するぞ! わたしは思ったじゃないか! アイゼン様は人と話ができない環境にいたかもしれないって! だったら、人恋しいのは当たり前じゃないか! なのに距離を感じるような接し方をされたら、それは寂しいに決まってる! ああもう、「アイゼン様」呼びもやめだ! 呼ぶぞ、呼ぶぞおおお!)

「わかりました! これからはちゃんと接します! ア、アイ、アイゼン……! はわあああああ!? いだっ!?」

 アイゼンに呼びかけようとし、そのアイゼンの顔を無意識に胸に押し付けているのを自覚し、悲鳴を上げて後方へ飛び退ったラドニー。その際、かろうじてアイゼンの頭を解放はしたが、勢い余って後頭部を地面に打ち付けてしまった。

「はうう……!」

 もんどりうつラドニーに駆け寄るアイゼン。

「だ、大丈夫か、ラドニー?」

「だ、大丈夫ですう……!」

(ああもう! なにしてるんだ、わたしは!)

 ラドニーは頭を抱えてしまう。先ほどから支離滅裂で、何もかもうまくいかない。

 心身ともに、頭が痛くて仕方がない。

 と、頭の物理的な痛みが静かに引いていく。同時に感じる温かさ。

 アイゼンの治癒魔法だ。

「傷になってもいかん。治させてもらったぞ」

「あ、ありがとうございます」

 声と魔力から感じる温度に、ラドニーの鼓動が高鳴る。

 思えば心配されてばかりだ。

 アイゼンは苦笑した。

「すまんな。俺が妙なことを口走ったばかりに」

「い、いえ」

 それを言うなら、自分の方こそ妙な言動をしてばかりだ。ラドニーはそう思う。けれど、「ちゃんと」しようとは思うのだ。

「あの……ア、アイゼン」

 とは言うものの、それだけで顔中に血が集まってしまった。思わず視線がそこかしこに飛んでしまう。

「す、すいません。い、今すぐには……その」

「いや、ありがとう。十分だ」

 アイゼンはほっとしたように口元をほころばせ、目元を緩めた。

 そこには、色々な意味合いが見てとれた。

 ラドニーの体温がより上がる。

(や、やっぱり可愛い……! ああ、頑張るぞ! 頑張るぞ、わたし! ア、アイゼン、のこの笑顔をまた見るために!)

 心の中ですら口ごもるラドニー。強くなるということ以外にも、目標ができた瞬間だった。



 その夜。

 ラドニーの姿はカタリナの書斎にあった。

 部屋の主も同席していたが、その表情は若干辟易していた。飲まなければやっていられないとばかりに、ワインはもう三杯目である。

「で! その時のアイゼン様のお顔がそれはそれはもう、お可愛くて!」

「その話、もう五度目だよ」

「三度目ぐらいだと思っていた!」

「わかってるなら、もうおよしよ」

 という言葉をカタリナはワインと一緒に飲み下した。発言すら面倒になってきていたというのが実際のところだ。

 夕食後にワインボトルを抱えて突撃してきた義理の娘を招き入れてしまったことを、後悔しているカタリナだった。

(酒乱の気はなかったはずだがね。酒以外にも酔っていそうだよ、これは)

 ラドニーは頬を赤く染めているが、それは酒ではなく興奮によるものが大半だろう。まだワインを一杯も飲み干してはいなかったからだ。

「で、本題はなんだい?」

 いい加減、面倒になったカタリナは単刀直入に切り出した。

 その返答は、半ば自棄気味だった。

「アイゼン様と友人のように接するにはどうしたらいいと思う!?」

 結局、ラドニーの内心ではアイゼンは尊敬というか崇拝の対象のままだった。

 頑張るとは決心したものの、何をどうしていいかさっぱりだった。

 なので、自身の周りで最も年長のカタリナを頼った次第だった。

「ふむ」

 いささか回りくどかったが、大事な義理の娘が頼ってくれたのは素直に嬉しい。

 その内容が目下のところ監視対象にあるアイゼンのこととあって、複雑ではあったが。

「血、なのかねえ」

「……血?」

 自棄を打ち消されて、きょとん、としたラドニー。

 少しは落ち着いたその姿を見て、カタリナは頷く。

「あんたの出身、ウドナ村。成り立ちは覚えているかね」

「……なんだ、いきなり」

 それまでの高揚は吹き飛び、苦い表情を浮かべざるを得なかったラドニー。

 自分にとって、故郷を思い出すことは禁忌ですらあった。それはカタリナも知っているはずで、だからこそより、抵抗感があふれ出す。

 それを認識しつつも、カタリナは言葉を止めない。

「あの村は、自ら主を定める戦士の血を受け継いでいた。隠密、騎士、お側用人。仕え方は様々だけれどね。忠誠を捧げる相手を本能のように探し求める連中の集まりだった」

 ラドニーの表情が強張る。眼差しが鋭さを伴う。その向かう先は義理の母、カタリナだ。

「わたしの血を、呪いのように言うな」

「落着きよ。そんな風には言っていないよ」

「じゃあ、なんなんだ」

「元々の気質もあって、アイゼンに忠誠心を抱いているのじゃないのかい、と言っているのさ」

 図星だった。

 ラドニーは反論できず、視線をさまよわせた。

 同時に、カタリナにも腑に落ちたところがある。

 ラドニーの様子を「懐いている」と評したことがある。

 泰然としたアイゼンとラドニーの気質を考えあわせれば、それは結果的に間違っていたと言わざるを得ない。

 アイゼンを「様」づけで呼ぶことも考え合わせれば、それはまさに主従と呼ぶにふさわしい関係ではないか。

「……そう、だと思う。でもそれは……望まれていない」

 本能と願望がせめぎ合う。

 現状のラドニーを表すならまさにそれであった。自分の心の動きにラドニーは戸惑うばかりだ。

 自然、ラドニーの目線はカタリナに向かう。

「わたしは、どうしたらいい?」

 再度の問いかけにカタリナも頭を悩ませた。だが、あいにく彼女にも回答の持ち合わせはなく、唸るようなため息のような声を出すしかなかった。

「アイゼンに、今言ったことを説明して、理解してもらうのがいいだろうねえ。そうして、徐々に頭を切り替えていくしかないよ」

「…………うん」

 ラドニーも、カタリナの意見に頷くしかなかった。現実的で、それでいて迂遠な方法に俯いてしまう。

 結局それは、アイゼンに今の状況を受け入れてもらうしかない、ということである。

 対等なパーティーを組んでほしいと言いながら、アイゼンが辛いと言った主従関係を継続してほしいなど、どんな立場で言うのか。

 ラドニーの握りこぶしが、自身の膝を殴りつけた。

「……諦めた方がいいのか?」

 心の声が漏れたことにも気づかなかった。

 そんなラドニーの握りこぶしを、カタリナの手のひらが包み込む。

 皺の多いその手を辿ると、柔らかい笑みが出迎えた。

「しっかりおしよ」

「でも、カタリナ」

「まだ何にもしちゃいないだろうに。想像だけで投げ出すのは早すぎるさね」

「できる、かな」

「やってみなきゃわからんさ。けど、少なくともアイゼンはあんたと仲間でいたいとは思っているんだろう」

「……うん」

 恐れ多い、と本能が叫ぶ。

 けれど、感情は歓喜に震えるのだ。

 それに身を任せられれば、どれほどいいか。

「成功率なんぞ知りはしないさ。けれど確実に言えるのは、今あんたが諦めたら、アイゼンはきっと一人になってしまうということだ」

「…………!」

 ラドニーは息を呑んだ。

 幼子のようなアイゼンの表情を思い出す。

 いつもの圧倒的な存在感とは真逆の、儚さすら感じたそれ。それが横顔となり遠ざかり、背中を映し出す。それはいつもと違って消え入りそうで。

 ……どこかへ、一人で行ってしまいそうだった。

 自分だって、孤独の寂しさを知っているのではなかったか。

 それを忘れて、自分だけ楽になろうなんて、その手を離そうだなんて。

「……わたしは、弱いな」

「気づけたなら、その弱さはもう克服できたも同然さね」

 カタリナはウインクして見せた。その茶目っ気溢れる仕草に、思わずラドニーに笑みがこぼれた。

「さすがだな。年の功というやつか?」

「ふん。こんなものは、年の功のうちにも入らんさ」

 ラドニーの笑みが更に深くなる。

 義理の母の偉大さに頭が下がる思いだった。



 月下の庭にアイゼンの姿があった。

 拳を繰り出し、足を踏み出し、見えない敵に向かって、鞭のように蹴りを見舞う。

 その動作を、ゆっくりした速度で繰り返す。

 そこに誤りはないか確認しながら、パターンを変えて何度も何度も。

「心配ごとかい?」

 離れて見ていたケニックが、おもむろに話しかける。

 ケニックが庭にいるアイゼンのもとを訪れたのは偶然だった。

 庭の手入れに使用する道具を置き忘れていたのに気づき、そこに足を踏み入れたのだ。

 最初、ケニックがそれを目にした時、知らぬ間に大樹でも生やしていたか、と思ったものだった。

 静かな、だが、確かな存在感は一瞬後にアイゼンと認識できた。

 ほお、というため息とともに、すぐに見つかった手入れ道具を膝に、丁度よくあったベンチに腰掛ける。

 その気配に気づいていただろうに、アイゼンの動きは止まらず、淡々と流れるような動作を繰り返す。

 何時間でも続きそうなそれに水を差したのが、ケニックの問いだ。

 月を蹴り飛ばすような姿勢で止まっていたアイゼンは、普段の速度で姿勢を整えた。

「そんな風に見えるか?」

「俺の目にはな」

 振り返ったアイゼンに、ケニックは、にかっと笑った。

「なんてな。一度、そんなわかったような台詞を言ってみたかった」

 それに、二度瞬きをすることで困惑を表したアイゼンに、ケニックは、してやったり、とばかりにさらに笑みを深くする。

「俺にわかるのは、大したもんだ、ってことくらいさ。どんだけの鍛錬を積んだか知らんが、超一流って感じだよな」

「俺からすれば、この庭こそ、素晴らしいものに思えるがな」

「そいつは嬉しいね。この庭にゃ、俺の気合いが詰まりまくってるからな」

 ケニックは立ち上がると、近くにある花壇に歩み寄る。

 そうしてケニックはしゃがみこむと、月下にも白く映える小さな花に手を伸ばした。

「俺ん家は代々、鍛冶師でな。けど、俺はそれが性に合わず、園芸に興味を持った。軟弱な野郎だってことで、家を追ん出されちまった。で、それを拾ってくれたのがここだ。四十年くれえ前か。いや、五十年だったかな?」

 アイゼンが近づいて来て、同じように白い花に視線を落とす。

 それに構わず、ケニックは独白を続ける。

「俺を追い出した兄貴は、そりゃあ腕利きでな。俺にはわからないレベルで凄かった。いや、わからねえのは周りも一緒だったかな。腕利きすぎて、誰にも共感も理解もできねえくらいだった。凄いと思う反面、可哀想でもあったかな。孤独なんじゃねえかなー、って。追い出される身で考えることでもなかったが、そう思ったもんは仕方ねえ」

 アイゼンは、僅かに身動ぎした。孤独というキーワード。それは、アイゼンの心身を揺らす。

「兄は壮健か?」

「王都で元気にやってるみたいだぜ? 一時は宮廷鍛冶師に召し上げられたらしいが、職人気質が災いしたのか、すぐにクビになったみたいだが。まあ、兄貴にしたら、清々してんじゃねえかな」

 誇らしげな笑みがケニックを彩る。

「恨んではいないのだな」

「最初は、わからず屋め、と思ったもんだったがね。今では、自由にやれるように、っていうことだったかな、とも思う。手荒い門出だったのは確かだが」

 懐かしむ眼差しだった。それが、真面目なものに変わる。

「十年前だったかな。カタリナ様が、お嬢を初めて連れて来たのは」

 風が夜気を揺らした。

「第一印象は、まあ、なんというか。どんな目にあったんだ、って感じだったな。とにかく暗くて無気力でな。最低限の会話どころか、こっちを見てもくれなかった。いや、あれは、目に何にも映ってなかったのかも知れねえな」

 ケニックの独白は続く。

「何度か家出したこともある。その度に肝を冷やしたもんさ。下手すりゃ、命を絶ってもおかしくねえ感じだったしな」

「……そんなことがあったのか」

「ああ。で、ある時またいなくなってな。どうするか、と思ってたら、なんだ、庭にいるじゃねえかって。慌てて行ってみりゃ、しゃがみこんで、この花をじっと見てた」

 ケニックの手に比べて、とても小さな花だった。

「その時、お嬢がぽつりと言ってくれたのさ。『可愛い』ってな。初めて聞いたお嬢の声だった。俺はそれで、全部報われた気になった」

 ケニックは鼻を啜った。

「俺の咲かせた花が、お嬢の家出をとめたんだ。いや、よくわかんねえな。単なる気まぐれで足をとめたのかも知れねえ。でも、それまで、生きてるか死んでるかわからねえような無気力な女の子が、興味を示してくれたのさ。誇らしかった。もっともっと興味を持たせて、いつかは笑顔にしてやる。そう思ったもんだ。他の連中も、似たようなもんさ。お嬢を元気にしたいってな。ずーっと、そんな感じさ」

「……そうか」

 アイゼンは深く息を吐いた。

 今からでは想像もつかない、ラドニーの過去。それに思いを馳せる。

「……そんな甲斐もあって、少しずつ元気にはなってくれたかな。かと思ったら、冒険者になるっていきなり飛び出してな。止める暇もなかった。ずっと考えてたんだろうな。無気力さはずいぶん減ってたけど、その分……なんてーか、険しい表情が増えてた。危なっかしい、って感じか」

 ケニックの表情がひきつる。

「その頃から、ちょっとはあった会話も拒否するようになってな。カタリナ様とも、事務的な会話しかしなくなっちまった。怪我することも多かったみてえだ。冒険者ってな、その名の通り、あぶねえ仕事なんだな。それでも、ありゃあ、鬼気迫るって感じなんだろうな。誰が何言っても、聞き入れやしなかった。強くなるんだって言うばかりでな。何日も帰ってこねえ日もザラだった。ちくしょう、酒持ってくりゃよかった。なんだって、こんなことを素面で話してんだ、俺。かと思ったら、突然帰って来てくれて、あんなに表情柔らかくなってて」

 次第に早口になっていくその独白を、零れ落ちるものを、アイゼンは静かに受け止める。

「良かった。本当に良かった……! あんたのおかげなんだろ、旦那。ありがとう。本当に、ありがとう……!」

「俺など、些細な力添えに過ぎない。それまでの、ケニックたちの支えがあったからこそだと、俺は思う」

「ちくしょう、これ以上泣かせんじゃねえよ。ちくしょう……旦那あ……、会ったばかりの旦那にこんなことを言うのはお門違いかも知れねえが……たまにでいいんだ。お嬢のこと、見ておいてくれねえかなあ……!」

「俺ができることなら、なんだってやろう」

「くっそ。カッコいいじゃねえか。ちくしょう……ちくしょう! お嬢は、本当にいい御仁に巡り合ったなあ……! くっそ。認めるしかねえじゃねえか。ちくしょう。俺ぁ、あんたにどう報いればいい? なあ。旦那あ……!」

 気分屋なドワーフに、アイゼンの口元が思わず緩む。

「ラドニーと言い、カタリナと言い、この家の人間は義理堅いな。ということは、いらんと言っても聞き入れないか」

 アイゼンは視線を上げる。そこを満たすのは、昼には鮮やかさで楽しませ、夜には心を安らがせる、見事な手腕の証だ。

「ならば、花の咲かせ方を教えてくれ。俺も園芸に興味が湧いた」

「どこまでカッコいいんだ! 当然、その花はお嬢にプレゼントするんだろうな!?」

「枯れなければそうしよう。俺は不器用なんでな」

「俺が教えるんだ、そんなことある訳ねえだろうが!」

 静かな夜に、泣き笑いの声が響き渡った。

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